青森に赴任している母を訪ねて東北に向かいます。
青森駅で待ち合わせして今日は浅虫に一泊。
こんな娘でも、母は私が訪ねると大喜びしてくれます。
・・・楽しそう。
大爆笑してるのは、頼んだうどんがお鉢で配膳されたから。
棟方志功記念館
「わだばゴッホになる」の棟方志功さん
志功さんの、顔が板にくっつくほど近づけて彫る姿が有名ですけれど。
1963年のこんな映像を見つけました⤵
志功さんの制作風景は、忙しそうです。
書きたいもの、作りたいものが、頭の中にどんどん膨らんできて、時間が足りないのかな。
彫っている時の志功さんは、殺気すら感じます。
記念館は撮影禁止。写真はホームページから
中央奥の一面に並んだ12枚のお釈迦麻の弟子の版画が大迫力でした。
これが、その絵葉書⤵
『弁財天妃の柵』 『振向妃の柵』
棟方さんは、独特の漢字の使い方をされます。
- 版画 → 板画
- 作 → 柵
- 仕事 → 仕業
- 芸術 → 芸業
上の作品にも「柵」という字がついていますが、
「柵」とは、四国の巡礼者が寺々に納めるお札のことを意味しているようです。
お寺で願いをこめてお札を納めるように、一柵ずつ作品に祈りをこめて、ひたすら彫っていく志功さんの姿勢が、この一文字に要約されています。
また、版木の板が持つ性質を活かし、木の魂を彫り出そうという気持ちから、志功さんは自分の木板を「板画」と呼び習わしたそうです。
記念館の隣には、池泉回遊式日本庭園があって、四季折々の植物が楽しめます。
薔薇の実と花
暑いなぁ、と自分の影を写す
浅虫温泉
浅虫温泉は、私たち夫婦にとっても母たちにとってお気に入りの場所でした。
別々に旅をしてたのですが《お気に入りの場所》を言い合ったらお互い浅虫温泉だった。
なので、宿は浅虫温泉に決めました。
「旅館 さつき」
5年前に投宿して、すっかり気に入ってしまった宿です。
当時、お宿のロビーにペルシャ猫がいたのが印象的でした。
料理屋や旅館で、動物がいる所はあまりないでしょう?
お客さんの中には、猫嫌いもアレルギーの人だっているハズですから。
でも私は嬉しい。
「猫ちゃん、居るかな」と探しましたが、残念ながら姿はみえません。
夕食
食事をしていたら、仲居さんが「そろそろ山車が来ますよ」と呼びにきました。
「えっ、山車って何?」
たまたまなんですが、今日は浅虫温泉のねぶた祭だったのです。
そうとは知らないで泊まった私たちと、知らないとは知らない仲居さんの妙な会話でした。
小さな温泉町主催の、小さなねぶた祭
手作りのねぶたはこの通りスモールサイズ
小学生が引いている山車がやってきました。
小さいねぶただけど、、、
暗くなったら、この迫力!
人が写っていないと、凄く大きく見えます。
いや~、凄い体験でした。
次の朝
「ちょっとちょっと」と義父に呼ばれて行ってみると、
母たちの部屋に、お客さんが。
宿の女将の飼い猫ちゃんだ。
猫好きの人を知っているのか、ホントはいけないだろうに、客室までやってきた。
てなずけた ( ´艸`)
ああ、うれしい。
5年前のペルシャじゃないけど、この子が二代目のようです。
竜飛岬
あの港の向こうは北海道なのか
私の写真は煙っているが、晴れた日にはこんな風に見えるようです。
反対側の見晴らし台からは、見事な紫陽花が。
こんな風に群生している紫陽花もまたよろしいものです。
竜飛岬灯台
高所恐怖症の母をおいて昇ってみました。
写真嫌いの私たちなので、旅行に行ってもツーショットはありません。
母たちと一緒だと撮られる、撮られる (-_-;)
まあこれも親孝行ということで・・・
斜陽館
太宰治の実家跡が「斜陽館」という記念館になっている。
この屋敷は、太宰が生れる2年前の明治40 ( 1907 ) に父・津島源右衛門によって建てられたもの。
和洋折衷・入母屋造りの建物は、米蔵にいたるまで青森ひば が使われていて、国の重要文化財建造物に指定されています。
太宰はここで、家の商売や自らの立場を感じ、兄弟の間にも存在する身分の差を実感。親代わりの叔母きゑ、小守のタケとの出会いと別れを経験し、育ったのだそうな。
土間から入口を振り返ったところ
常居、茶の間、前座敷までどどーんと続く
奥にひのきの凄い階段が見えます。
一階 東側の板の間
ウチの人たち、ここが気に入っちゃったみたいで、動かない。
一階の土間から南側の庭を見る
裏庭のこの風景がすき
1階北側廊下からの庭園
廊下も黒光りしている
蔵への渡り廊下から見た廊下と庭
庭園
2階の廊下も見事です。
2階にある通称「斜陽の間」の襖には「斜陽」の文字が。
洋間もありました。応接室だそうです。
2階北から南に抜ける廊下の右には
階段がありました。
この階段、面白い造りです。
真ん中が踊り場になっていて、
こっちからも、あっちからも降りられるようになっています。
太宰の父・津島 源右衛門は、衆議院議員、貴族員議員の他、金木銀行の頭取で、陸奥鉄道の取締りも務めていた人だそうです。
この実家の一部も銀行として使われていたとのこと。
とにかく凄い金持ちのボンだったんですな太宰さんて。
そんな実家での悶々としたこと ( お金のことや兄弟のこと ) など紆余曲折が
作品の下地に反映されているのかも。
この屋敷の豪邸だけど、重苦しく暗~い雰囲気は、
そのまま太宰さんの心の影のようにも思えてしまいました。
夕陽
母に案内してもらった店で食べたウニの美味しかったこと。
残念ながら店名をメモしそびれたので二度と行けません。
お土産は、母に買ってもらった棟方志功さんのミニ板画、
十二支になっています。