蜜蜂と遠雷を読了しました。
2016年に発表された本なのに、図書館の予約待ち37人。
かなり待つけれどエントリーしておけばいつかは読めると、予約したのが9月のことでした。
順番が回ってきたので、珍しく MOURI と二人で読みました。
二人とも本好きですが、本の好みは違う。
年齢を重ねるにつれ顕著になったようで、好みの共通項は狭めらた感があります。
彼は、主に落語を中心とした演芸関連の本が好き。
私は、大正・昭和初期の文芸ものが好き。
そんな二人の《読みたい本》が一致するのは珍しいことでした。
感想を語り合う愉しみ
映画でも本でも、感想を語り合う相手がいるというのは嬉しいものです。
先に読み終わった彼は、「今、どのあたり? 二次予選か」と横目で見ています。
早く感想、語り合いたかったみたい。
まず最初に感動したのが装画でした
装画は杉山巧さんというイラストレーターが手掛けていらっしゃいます。
主人公の風間塵の家が生業とする養蜂業をイメージさせる絵です。
原画は杉山さんの群生という作品です。※群生をクリックすると原画が見られます。
杉山さんの技法は、ボール紙に絵の具を付け、スタンプを押すように色を重ねていくらしい。
どおりで沢山の色を使いながらも濁った色になってない。
装画から、明るさと強さと躍動感が伝わってきます。
その明るさや躍動感は、4人のピアニストを連想させるものでした。
4人の若者は、お互い影響を受けながらも、相手の個性に左右され ( 濁され ) ずに、
独自の色合いを積み上げていきます。まさに杉山さんの技法そのものです。
美しい色が混ざり合っても、濁ることなくキャンバスに重ねられていく。
ボール紙をトントンと叩く杉山さんの技法は、私にピアニストが鍵盤を叩いている様を想像させました。
杉山巧さんのホームページ⤵
【あらすじ】 幻冬舎 HPより
俺はまだ、神に愛されているだろうか?
ピアノコンクールを舞台に、人間の才能と運命、
そして音楽を描き切った青春群像小説。
著者渾身、文句なしの最高傑作!
3年ごとに開催される芳ヶ江国際ピアノコンクール。「ここを制した者は世界最高峰のS国際ピアノコンクールで優勝する」ジンクスがあり近年、覇者である新たな才能の出現は音楽界の事件となっていた。
養蜂家の父とともに各地を転々とし自宅にピアノを持たない少年・風間塵16歳。
かつて天才少女として国内外のジュニアコンクールを制覇しCDデビューもしながら13歳のときの母の突然の死去以来、長らくピアノが弾けなかった栄伝亜夜20歳。
音大出身だが今は楽器店勤務のサラリーマンでコンクール年齢制限ギリギリの高島明石28歳。
完璧な演奏技術と音楽性で優勝候補と目される名門ジュリアード音楽院のマサル・C・レヴィ=アナトール19歳。
彼ら以外にも数多の天才たちが繰り広げる競争という名の自らとの闘い。
第1次から3次予選そして本選を勝ち抜き優勝するのは誰なのか?
二段組、507頁のこの本は、1週間の期限で読めるかどうか心配になる大作。
しかし美しいその文章は、ピアノの旋律に合わせて流れていくようにサクサク読めてしまいます。
物語は、4人のコンテスタント※が、第一次、第二次、第三次予選、本選と足かけ2週間かけて、10数曲以上を弾いて競い合う形で進行します。
※ コンテスタントとは、コンテストの参加者のことらしい、初めて聞く言葉でした。
1人あたり10曲として4人で40曲。その他のコンテスタントの曲も含めれば50曲近いクラシックの名作を、1人の作家が筆ひとつで表現するのです。
恩田陸さんに音楽の素養があるとはいえ、彼女はプロの演奏家ではありません。
その彼女が、ここまで沢山の曲を書き分けていることも驚きですが、
〇〇が弾く、〇〇という曲を、会場の〇〇が聞いているというシーンを、弾き手のキャラクター、曲の印象、聞き手のキャラクターのどれをも的確に書き分けられるとは、まさにこれこそ《神業》です。
読んでいる自分が、まるで会場でコンクールを見ているように感じさせてくれる臨場感があるのです!
盛り上がりは、カザマ・ジンの登場
風間塵という15歳の無名のピアニストをコンテストに送り込んだのは、
今は亡きユウジ・フォン=ホフマンという名ピアニストでした。
風間塵の参加書類には「ユウジ・フォン=ホフマンに5歳より師事」とあり、
ホフマンの紹介状まで添えられていました。
ホフマンはめったに弟子を取らないことで有名でした。
審査員のナサニエルは、ホフマンに教えを請うたひとりですが、
弟子と名乗らせて貰えなかった為、塵の存在に感情が昂ります。
このように作品の中には、審査員や調律師やステージマネージャーなど、音楽に携わる人たちも登場し、彼らの心情も丁寧に描かれています。
審査員の立場や地位や嫉妬。
ステージマネージャーから見たコンテスタントの様子。
楽団員のプライドや指揮者の心境などなど、様々なエピソードが散りばめられていて、
それは凄いものでした。
長編なのに、飽きがこないどころか興奮しっぱなし。
凄いボリュームの本でした。
特に興奮したのがホフマンの推薦状でした
推薦状
皆さんに、カザマ・ジンをお贈りする。文字通り、彼は『ギフト』である。恐らくは、天から我々への。だが、勘違いしてはいけない。試されているのは彼ではなく、私であり、審査員の皆さんなので。
彼を『体験』すればお分かりになるだろうが、彼は決して甘い恩寵などではない。彼は劇薬なのだ。中には彼を嫌悪し、憎悪し、拒絶する者もいるだろう。しかし、それもまた彼の真実であり、彼を『体験』する者の中にある真実なのだ。
彼を本物の『ギフト』とするか、それとも『災厄』にしてしまうのかは、皆さん、いや、我々にかかっている。
ユウジ・フォン=ホフマン
この推薦状が、コンクールの関係者を揺るがす場面が秀逸でした。
また、3人の若者たちもドラマも面白い。
天才少女ピアニストの亜夜の復活劇。
年齢制限ギリギリで最後の挑戦をする高島明石の健闘ぶり。
ジュリアード音楽院のマサルの生い立ち、学院での葛藤。
それぞれの生きざまが交錯していく中で火花が散り化学変化が起き、お互いに刺激を受け、触発された若者は日々進化する。
2週間という長丁場のコンテストを、緊張感を切らさずにどう駆け抜けるか、
自分の力を最大限に発揮するべくさまが生き生きとつづられていくのだから、読み手はたまりません。
春と修羅のカデンツァの書き分けは神技!
課題曲の中に、このコンクールのために作曲された新作品 「春と修羅」がありました。
第二次予選では、必ずこの曲を弾かなければならないのですが、
その「春と修羅」のカデンツァ部分の書き分けが見事でした。
カデンツァとは主に、独奏協奏曲やオペラのアリアにおいて、独奏楽器または独唱者がオーケストラの伴奏を伴わずに自由に即興的な演奏・歌をする部分のことです。
「春と修羅」はその名の通り、宮沢賢治の作品のオマージュでした。
コンテスタントは、カデンツァを各自で考え演奏しなければいけません。
人によっては、師匠や専門家に作ってもらったカデンツァを演奏する者もいますが、
主役の4人は、各自のインスピレーションからカデンツァを作り上げて挑みます。
例えばこんな風に
亜夜は、五つのバージョンのカデンツァを作って、本番のその場の気分で弾くと言い出します。
明石は、カデンツァに宮沢賢治のある台詞をメロディーにのせようと思い立ちます。
あめじゅとてちてけんじゃ。
あめじゅとしちてけんじゃ。
賢治が死にゆく妹を詠った「永訣の朝」の、妹の台詞でした。
マサルが「春と修羅」から感じたのは森羅万象でした。そして見つけた答えは、説明はしない⸺感じさせること。いたって単純なことだが、それを表わす言葉として見つけたのは「余白」で、マサルは「余白」をイメージにカデンツァを作り上げました。
風間塵の紡ぎ出したカデンツァは、客席を凍りつかせました。
彼のカデンツァは、すこぶる不条理なまでに残虐で、凶暴性を帯びていたのです。彼のカデンツァはまさに「修羅」だったのです。
このように同じ曲の解釈を、作者は4人のキャラクターごとに作り上げ、
それを演奏するシーンを聞く者の心裡まで描写しました。
こんなことまで出来る作家はそうはいないでしょう。
この作品が、第156回直木賞を獲得し、映画化され、CDが発売され、4年たった今でも図書館の予約待ちは絶えないのも うなづけます。
「蜜蜂と遠雷」と「のだめカンタービレ」が、クラシック業界にあらたなファンを作った その貢献度は大きいはず。
次の楽しみは映画
映画化は音響にもこだわり、コンクールで競う4人の演奏をプロのピアニスト4人がそれぞれ担当したそうなので、それも観どころのひとつでしょう。
- 栄伝亜夜 → 河村尚子さん
- マサル → 金子三勇士さん
- 風間塵 → 藤田真央さん
- 明石 → 福間洸太朗さん
この本でひとつだけ残念に思ったのは、最終章 ( 本選 ) でした。
第一次予選、第二次予選、第三次予選の章では、誰が優勢かを予想する楽しみがありましたが、本選の描写はとても淡泊で、あっけなく結果が書かれていたのが意外でした。
それでも凄い大作。久々の話題作を読んだという感動に変わりはありません。
さあ今夜は、Amazonで、映画鑑賞といきますか。
本日の朝ごはん
変わったのは、にんじんジュース。 (;'∀')
本日の夜ごはん
いつもの酢の物、ピータン、卵入りポテトサラダ、文化さば
ところで文化さばの文化って、何だろう・・・。
今夜は無精して、スーパーのお寿司でおしまい。
あっ、これも食べました。
クリームサンドと書いてありますが、中身はピーナツバターでした。
コペパンに、スーパーチャンクのピーナツバター、
合います! 美味しい! ごちそうさま!