岩野泡鳴の『
図書館から泡鳴の『人か熊か』が届くまでのつなぎです。
蔵書の筑摩現代文学大系から
『耽溺』は泡鳴の代表作で、1909年 ( 明治42 ) 2月『新小説』にこの作品を発表し、
泡鳴は、自然主義の作家として認められたのだそうです。
内容は、、、なんとまあ、不埒な男と女の話でございます。
【ざっくりあらすじ】これから読まれる方はやめておいてください。ネタバレです。
主人公の作家がこみいった舞台の原稿を書こうと、ひと夏 海辺の素人家の間借りする。
隣は芸者家で、そこの芸者-吉弥にずるずるとハマっていく話です。
芸者-吉弥は、色黒の田舎芸者で決して美人とはいえない。
吉弥が土地の男をニ~三人手玉にとっていることは作家も薄々気づいている。
《惚れた芸者を身請けする》というなら話はわかるが、そうではない。
作家は、吉弥が他の男に身請けをしてもらうのを眺めているだけだった。
他の男の金で借金が綺麗になり、自由の身となったら女優としての口ききをしてやる。
今 関わっている舞台にたてるよう計らってやる、と、悪徳プロデューサーのようなことを言う。
作家も作家だが、吉弥の方も只者ではない。
あの男が駄目なら今度はこっち、それが駄目なら東京から母親を呼びつけて何とかさせようとする。
吉弥の母もとんでもない婆で、金の匂いのする方に尻尾を振りまくる、
作家に対しても「先生、なんとかしてくださいまし」とおべっかを使う。
身請けの金が捻出できずにいる所に、作家の妻がやってくる。
作家が金策に東京に帰る為の、人質であった。
妻は作家より年上で、夫婦仲はとうに冷めきっている。
妻は、吉弥にあれこれと事情を聞いて親身になる。
東京に戻った作家は、妻の母親の願いを振り切って、妻の着物に手をつける。
質屋に入れて作った金は、自分の宿代・飲み屋の酒代に宛てるつもりだったが、
受け取った吉弥は、自分の借金の返済にさっさと使おうとする。
色と金、人間関係のドロドロとしたやりとりが、なんの解決もなく進展していく。
やがて東京に戻った吉弥は「結婚の約束をしていた」という男の所に転がり込むが、
その時すでに吉弥の眼は梅毒の為、視力を失うばかりであった。
とまあ、とにかく凄い話でした。
ドロドロとして、すくいようのない男と女のやりとりが続くのですが、
こんなにクズ男と女の話なのに、嫌悪感を抱かないで読了できたのが何故だかとても不思議です。
これほど淡々とクズっぷりを披露されたので、こっちの神経が麻痺してしまったのかしら。
芸者に対しての悲哀も、妻に対する同情も、作家に対する怒りも沸いてこない、とても不思議な作品でした。
本分では、変わった句読点を使っています。
「なるとも、さ。」
「しどい、わ」
「うまく行かないの、さ。」
さらっと普通に書いてあるところと、こういう奇妙な句読点のところとがあるのですが、これが功を成しているのかとても心に残ります。
印象的なセリフ p.353
「これからは、あなたの」と、吉弥は僕の寝ころんでゐる胸の上に自分の肩までもからだをもたせかけて、頸を一音づゝに動かしながら「め⸺か⸺け。」
以上が、私がまとめたあらすじと感想ですが、
ネットで「耽溺 岩野泡鳴 あらすじ」と検索し、最初に出てきたのは、こちらです。
読む人によって随分印象が違うものだなと面白く感じた次第です。
国府津にある料理店「井筒屋」の芸者・吉弥(きちや、本名・渡瀬菊子)にすっかり耽溺(たんでき)した僕(作家・田村義雄)。 井筒屋をやめて東京に帰りたがっている彼女を女優にしようと熱心になるが、吉弥を自分のものにしたがっている男たち(古道具屋の青木や、銀行員の田島、区役所の野沢)の存在もあって、なかなかうまく事が運ばない。
本日の昼ごはん
ざるそば
ワサビ入れに、金継ぎしたばかりの珍味入れを使っています。
対のものの内、金継ぎした方に目がいって、それを使いたくなるのが不思議。
本日の夜ごはん
ちくわぶ煮、ジンギスカン、かぼちゃの煮物、きゅうりトマトみょうが和え物、
真あじ魚肉ソーセージの炒め物、もずく酢
真あじの魚肉ソーセージはそのまま炒めたら、ええっという味だったので、
えのきと明太子で誤魔化しました。これならイケる!か?
きゅうり、トマト、みょうがは胡麻油とポン酢で
かぼちゃは昨日のもの
昨日テレビで「ラム肉は食べても痩せる」と紹介されていたので、
店頭から消えるのが心配です。
「また、こんなの買ってきて」と呆れられます。
でも好きなんだもの、酢飯が。
たまごパン。
美味しいと思ったらタカキベーカリーでした。
このコンテンツは前日書いて予約投稿したものです。
本日26日は、第二回目のワクチン接種なので、ウンウン言ってるかも知れません。
もしかしたら明日の投稿はお休みかも。
わかりませんが・・・・