芥川龍之介全集の第十巻を読みふけっています。
第十巻を勝手に随筆集だと思っていましたが、そういう訳でもなく短篇もちらほら。
友人の久米正雄や、谷崎潤一郎氏のこと、飯田蛇笏さんのことを語っていたり、
「保吉もの」と言われるシリーズもいくつか収録されていました。
保吉ものとは、芥川龍之介の分身-いわゆる私小説と位置付けられているものらしく、
彼が横須賀の海軍学校に英語講師として教えにいっていたころの経験や、幼少の頃の経験を基に書いているそうです。
そのひとつ「あばばばば」という奇妙なタイトルの作品が目につきました。
保吉が海軍学校に赴任していた頃に通っていた店の話でした。
《かいつまんでみた》
店の主は不愛想な
眇 めの男で、保吉が「マッチを一つくれ給へ」というと、にこりともせずに「これをお持ちなさい。生憎マッチを切らしましたから」と煙草に添える小型のマッチをよこす。
「貰ふのは気の毒だ。ぢゃ朝日を一つくれ給へ」といっても「かまいません、お持ちなさい」と金を取らない。
素直に貰ふのは忌々しいと意地になる保吉と店主は「金はいらん」「払う」で押し問答になる。
そんな店に、学校へ通う往復に度々買い物に寄るようになる。
コンデンスミルクやウイスキー、牛肉の大和煮、ココアなど色々なものを売っている。
ある日、眇めの主人の代りに勘定台の後ろに十九位の西洋髪を結った女が座っていた。
女に「朝日を二つくれ給へ」といっても恥ずかしそうに顔を赤らめ、間違った煙草を差し出す。
娘じみた五六年来迹を絶った硯友社趣味の女は、どうやら眇めの亭主の妻らしいのだが、客に対する態度は妙にういういしく、応対はつかえる。品物は間違える。おまけに時々赤い顔をする。
保吉はこの女の如何にも人慣れない所に気軽い懐かしみを感じ、店に置いてなさそうな商品を探させたりして困らせるのが楽しみになる。
ところが二ヶ月ばかりして、女の姿がパッタリ見かけなくなる。
店には眇めの亭主が退屈そうに座っているばかり。わざわざ不愛想な亭主に「お上さんは?」と尋ねる気にもならず、保吉は少しづつ女のことを忘れだした。
数ヶ月して店の前を通りがかると、女が両手に赤子を抱えて他愛もないことを喋っている。
「あばばばば、ばぁ!」
女は店の前を歩き歩き、赤子をあやしている。赤子を揺り上げる拍子に偶然保吉と目を合わした。保吉はとっさに女の目の逡巡する様子を想像し、顔を赤らめる様子を想像した。
しかし女は澄ましている。はにかみも浮かべない。
「あばばばは、ばあ!」
女はもう「あの女」ではなく、度胸のよい母の顔になっていた。
志賀直哉の短編「灰色の月」「網走まで」を思い出しました。
二つは、志賀直哉が乗り合わせた電車の乗客の様子を描いたものですが、
彼らに向けた志賀直哉の眼差しが優しく、描写力の凄さに感心した作品でした。
芥川の「あばばばば」は志賀とはタッチが違い、女性に対しては冷たくつき放したような距離感ですが、彼なりの描写力に魅せられました。
芥川龍之介にも、このような一面があったのだと知り、他の「保吉もの」も読んでみたくなりました。
本日の昼ごはん
シリアルにピタパンに目玉焼き
カリフラワーはこれでおしまい。
しかし大きなカリフラワーだったなぁ。
本日の夜ごはん
昨日の栗とタラ・たこ・ブロッコリーがチラッと見えます (;'∀')
キムチがいい感じで酸っぱくなったので豚バラと炒めました。
スモークサーモン
これもアキダイで買いました。
この鮭もアキダイ。
鮭かぶりだが、きのこたっぷりのちゃんちゃん焼きにしました。
出来立ての写真を失念。
お皿の盛った図。
二皿目は、きのこもりもり
秋はきのこがごちそうですなぁの食卓でした。おっしまいっ!