久々、二人での外出
調布にやってきました。
こちらのシアタールームで上映会があります。
先日、武者小路実篤記念館の企画に応募して当選したので、
「世界を賭ける恋」の上映に参加できることになりましたの。
まだ時間が早いので、あたりをウロウロ。
エントランスに展示されていたモビール
時間になったので、シアタールームに入りました。
100席のうち、間をあけて座るようになっているので、参加者は40人くらいかな。
はじめに、学芸員の方からこんな説明がありました。
「原作は、1939年 ( 昭和14 ) の作品なので、主人公は船旅でしたが、
映画化されたのはその20年後の1959年 ( 昭和34 ) の為、飛行機での渡欧になっています。
その点も参考に比較されながらご覧になってみてください」
原作が1939年、映画が1959年。
どちらにしても、むかしむかしだ。
1959年といったら私が一歳。浅丘ルリ子さんはもうこの頃から活躍をされていたのだと驚きました。
【映画あらすじ】
建築学科の助教授・村岡雄二 ( 石原裕次郎 ) は、尊敬する先輩・野々村 ( 葉山良二 ) の妹・夏子 ( 浅丘ルリ子 ) と上野の美術館で出会った。
野々村の誕生日会でかくし芸を迫られ困る雄二の代りに、夏子が得意の宙返りをして助け舟を出したことがきっかけとなり、二人の恋が始まる。
ある日、雄二の作品がコンクールで当選し、3ヵ月間の渡欧が決まる。帰国したら結婚しようと約束し、飛行機で旅立った雄二。夏子は、毎日のように交す手紙を支えに指折り数えて帰りを待った。
帰国の途、トランジットのためアンカレッジに到着した雄二の元に、日本にいる兄から電報が届く・・・。
上演会パンフレットより
原作と映画の相違点
原作から20年後の映画化で、スター裕次郎の作品ということもあり、変更点がいくつかありました。
- 主人公 村岡の職業
原作は小説家ですが、裕次郎に似合わないということで、新進気鋭の建築家に変更されました。 - 村岡が渡欧する手段と期間
原作では船で40日間以上、往復だけでも3ヶ月かかり、渡欧期間は半年でした。
映画は飛行機でアラスカトランジットで約3日と思われます。渡欧期間は3ヶ月でした。 - 夏子の死因
原作はスペイン風邪、映画では粟粒結核 でした。 - 村岡は歌えました( ´艸`)
原作の村岡は、パーティーの席で皆に「何かやれ」と言われますが、無芸で馬鹿にされます。
映画の村岡も「僕は無芸大食で何も出来ない」と言うのを皆に無理強いされ、それを見た夏子が義憤にかられ代役を買って出ます。が、、、。
実は後々、自分の歓送会でチャッカリ歌を披露してました。 - 夏子と村岡の母が初めて会ったのは・・・
夏子と村岡の母との初対面は村岡が渡欧で留守の時で、夏子は村岡家から歌舞伎に招待され挨拶するという話でした。映画のセリフも「はじめてお母さまとお会いした」みたいなセリフがあったのにも関わらず、実は空港のロビーで顔を合わせていました。
羽田空港デッキで村岡を見送る夏子たち
夏子の左奥にいるのが村岡の母 ( 滝花久子 )
夏子の右奥にいるのが、夏子の兄・野々村欽也 ( 葉山良二 )、野々村の妻 ( 南田洋子 ) 、村岡の兄・一郎 ( 永井智雄 )
上の写真のように、村岡が出発する時には夏子と村岡の母は顔を合わせています。
ロビーでは簡単に紹介もされていました。
が、映画 ( 村岡宛の手紙のセリフ ) では、こんなことを言っています。
「今日、とても嬉しいことがあったのよ。雄二さんのお母様にお会いしたの」
初めてとは言っていないのが微妙なところですが、原作ではこの時が初対面です。
当時の見送り風景
昭和初期の渡欧は船でした。
原作では、村岡は神戸から船で出発。
兄は神戸まで見送りに来たが、母親とは家の玄関で別れを交わしました。
20年後、交通手段は飛行機に代わりました。
外国に出かける人の家族や友人は、空港の出発ロビーまで見送りにくるようになりました。
そして送迎デッキで飛行機に乗り込む人に手を振るというのがセレモニーに。
現在のようにターミナルビルとボーディング・ブリッジで繋がってなかったので、
乗客は、空港ターミナルからバスに乗って飛行機の近くまで行き、
そこからタラップを登って搭乗していました。
ですから、デッキからその姿が見られたわけです。
村岡の母が自宅の玄関で息子を見送ったというのも、年齢の問題や哀しかったからという事情に加えて、このような交通事情もあったのではないでしょうか。
先に挙げた映画の変更点は、物語全体にも大きな影響を与えています。
例えば、2と5の飛行機問題。
渡欧にかかる時間が違えば、隔てられた人間同士の感情にも差が生じるはず。
夏子の死を村岡が知ったのは、映画ではアンカレッジ空港。
あと30時間もすれば、日本で夏子のこともわかります。
しかし船旅の場合、飛行機の何倍もの長い時間、村岡はやきもきしたことでしょう。
なかなか進まない船の中でじりじりし、悲しみも更に深まったのではないでしょうか。
この船旅が、物語の悲恋の要であるようなもので、飛行機でブーンだとそれが薄まってしまった気がします。
また、主人公のキャラクター変更も問題があります。
作品の中で、村岡が無芸で人見知りする性質であるという点と、小説家という点も大事な要素です。
原作では、
村岡は新進の小説家で、先輩の作家・野々村から可愛がられていたことから、周囲から多少のやっかみを買っている、だから野々村の誕生日会で皆からディスられるのです。
夏子は村岡に好意を寄せていたから、皆から「何か芸をしろ、全員したんだから。できなければ豚の真似でもいい」と言わているのを耐えられない。
この人間関係が重要です。
それが映画では、希薄になっています。
「俺は無芸大食だ。勘弁してくれ」と言う村岡に無理強いする連中に、嫉妬や意地悪さはそれほど感じられない。
村岡も ( 本当は歌上手なんだから ) さっさと一曲披露すれば済むものの、メンドクサいから何もしない、ようにしか見えないし。
それだと「義憤にかられた」と代わりを買って出る夏子も馬鹿みたいだし、
なんかへんてこりんな設定になってしまいました。
映画が進み、村岡が自分の送別会で歌を披露したのには笑ってしまいました。
「でしょうね、スター裕次郎ですもの、歌う場面は割愛できなかったんだなぁ」と。
要するに。
石原裕次郎という俳優に、この原作のキャラクターは合っていないということでしょう。
こういった原作の変更は、作品のもつ味わいを大きく損なってしまう危険性がありますが、
当時の映画界において、原作と映画の関係性はその程度のものだったのでしょう。
スターを観に映画館に来るお客の方が多かったのでしょうから。
映画の見どころ
酷評ばかりではなんです、良かった点も書きます。
浅丘ルリ子さんが綺麗でした。
とにかく、ルリ子さんがキュートで美しくてスタイル抜群です。
最初に登場した時に着ていたワンピース姿がそれはそれは美しかった。
張りのある絹の翠色で、落下傘スカートに目を奪われました。
参考文献:
当時の女優さんが着る服は、巷の流行にも大きく影響を与えたのでしょうし、
ルリ子さん見たさに映画館に通う人も多かったハズ、裕次郎さんもでしょうが。
家が素敵でした。
野々村家が洋風でモダンな家で、村岡家も日本風のいい家だったのも観ていて楽しかったです。
両家ともお金持ちの設定でした。
だって村岡も夏子も、二間続きの部屋を持っているんですもの。
勉強する部屋とは別に、奥に部屋があってベッドが置いてある、そんな環境で暮らせている人なんて一握りでしょうから。
因みに野々村家のロケ地は成城だと思います。
夏子がコリーを散歩させていて村岡とバッタリ会う場所が木造の橋の上で、
チラッと「富士見橋」と映っていたので、世田谷区成城3丁目と4丁目に架かる橋と思われます。
野々村家は、旧・山田邸ではないかしら。
違うとしても当時、成城にあった同程度の豪邸・・・かと。
私は、映画やドラマのロケ地を突き止めたくなる癖がありまして。
二人がデートをした海岸は葉山の一色海岸ではないかと思いました。
芝地があって、その先に洗濯岩のようになっているのが似ていましたから。
決め手は、二人の後ろにチラっと見えた長い塀。
葉山の御用邸の白壁だと思いました。
裕次郎さんといえば、葉山ですから( ´艸`)
ところで今回のタイトルは不思議。
「世界を賭ける恋」というのはどういう意味なのでしょう。
世界を駆けるでもなく、世界に賭けるでもなく、世界を賭けるとは。。。
上演会でもらったリーフレットも不思議。
出演者の欄に注視。
下の二人の配役は間違っているのではないかと思います。
奈良岡朋子 ( 雄二の母・さち子 )
滝花久子 ( 雄二の祖母・信子 )
奈良岡さんは、雄二の義姉 ( 一郎の妻 ) だと思うし、滝花さんの方が母だと思って映画を観ていました。
左 ) 奈良岡朋子さん 右 ) 滝花久子さん
村岡の伯父夫婦と従兄がカッコよかったです。
村岡雄二の従兄・稔は、二谷英明
伯父役の清水将夫さんと、その妻役の高野由美さんは実際も夫婦でした。
映画を観終わって、MOURI はあきれ顔でした。
そりゃそうだろうと思いました。
ハッキリいってしまえば、B級かもしれぬ。
でも、それなりに原作と比較してみたり、美しいもの、気になるものを発見できたのが楽しかった。
久々の外出も楽しかったことの理由です。
帰り道で見つけたもつ煮の自動販売機。
1年半ぶりの居酒屋さんのビミョーーな料理の数々。
このお通しにはたまげた (;'∀')
河岸を変えて飲んだワインが美味でした。
駅ビルのイタリアンレストランでピザとパスタを食べたのですが、
迷わず「ペペロンチーノ」と注文するMOURI に笑った。
どんだけ好きなの?
ピザはまあまあ
一軒目も二軒目も接客担当の若いお姉さんが可愛かった。
明るくて、真面目で、いい感じで。
「今日はどうして調布に?」と聞かれたので、
「裕次郎と浅丘ルリ子の映画を観に」と言ったら、アイスクリームをサービスしてくれました。
調布は映画の街だからなのか、そういうサービスをしているんだとか。
でもその彼女、浅丘ルリ子を知らなかった。
そうかもねぇ、今の人は知らないかもねぇ。ジェネレーションギャップ・ぷぷぷ