Garadanikki

日々のことつれづれ Marcoのがらくた日記

「富嶽三十六景」御厨川岸より両国橋夕陽見

 

葛飾北斎「富嶽三十六景」御厨川岸より両国橋夕陽見

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昨日この絵を、

読者登録させていただいている くろいぬ (id:suburikuroinu) さんのブログで見て、

前々から持っていた疑問がふつふつと湧いてきた。

www.suburin.jp

 

 

この絵の位置関係、違うんじゃないかな?

タイトルは「御厩河岸よりおんまやがしより両国橋夕陽見りょうごくばしのせきようをみる」となっている。

御厩河岸とは、現在の蔵前のこと。

※ 台東区蔵前二丁目辺りの隅田川岸に幕府の御厩があったので、この辺りを御厩河岸と言った

 

だとすると、位置関係が全く滅茶苦茶なのである。

実際の位置関係はこうだ。

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御厩河岸 ( 蔵前 ) から両国橋を見ると、両国橋は対岸の右に位置し、その先に富士山があるはずもない。

 

 

違うでしょう?

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もしやと思って版画を反転させてみた。

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これならわかる。

御厩河岸 ( 蔵前 ) と両国橋の位置関係はこちらが正しい。

しかし、その先に富士山はありません!

 

 

元々、富嶽三十六景は、誇張して描かれたものだ。

有名な「神奈川沖浪裏かながわおきなみうら」だって、船と波の大きさが滅茶苦茶だし。

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そう考えたら、北斎の富嶽三十六景をゴチャゴチャ言ったらいかんのかも知れない。

がしかしです!

やはり位置関係だけはちゃんとせな、いかんのではないだろうか。

江戸の人だってこれを見たら「えっ?」と思ったのではなかろうか。

 

一応、古地図も確認する。

版画が発行されたのは1831-34年 ( 天保2-5年 ) なので、天保江戸地図で確認。

拡大画像|天保江戸図

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この地図を逆にしてみると、やはり御蔵から見ると両国橋は右だ。

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私個人は、裏焼き ( 版画なので反転したまま ) してしまったのではないかと推察する。

だがこの件に関して、どなたも言及していらっしゃらないので不安になっている。

下記の説明書きでも、その点には一切触れていないし。。。。

fugaku36.net

 

以上が、今 私が一番気になっている事柄でした。

 

 

本日の夜ごはん

つまみ三品盛り、塩辛、豆腐の明太子和え、くらげの酢の物

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昨日に引き続き、白子ポン酢に舌つづみをうっている二人。

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塩辛に白子なんて、食べ続けたら絶対に痛風になる。

隣のおじさん「痛風上等!」と叫びながら、食べてるし (;^_^A

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ホントいい加減にしないと、二人揃って痛風になってまうな。

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本日のスープは、豆苗とつみれ汁。

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つみれは、練馬IMAの魚力さんでゲットした「かに入りつみれ」

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豆苗は自家栽培した豆苗

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さて。

メインを焼き始める。

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ご馳走つづきでウハウハ

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焼肉には叙々苑のたれ、

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白いご飯も、焼肉と麻婆豆腐の日だけは炊く、まる家です。

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