Garadanikki

日々のことつれづれ Marcoのがらくた日記

羽根木のお屋敷の当主は凄い人だった

 

羽根木のパン屋さん「コムギノホシ」の対面のお洒落な集合住宅の成り立ちを調べてみた。

 

ここは「亀甲新」という名称の集合住宅。

地図を見ると、周りの区画よりひときわ大きな敷地だ。

 

Googleのストリートビューで見てみた。

同じ場所の2009年9月のストリートビューの写真を見てみたら、大きな敷地に大木が鬱蒼と茂っている。

 

まわれ右をし、敷地を左に見てみると木造の塀が見えた。 

 

更にすすむ。

同じ場所の2014年4月の写真には、同じ二股の枝の木が写っている。⤵

 

再び、2009年当時の写真をみると、大きな門があった。

お祭りなのだろうか、提灯が下がっている。

門のところにある提灯に「芹沢」さんという名前が。

どうやらこのお屋敷は芹沢さんという方が住んでいらしたようだ。

 

ここで「羽根木」「芹沢」「亀甲新」などで検索をしたら、驚くことが判明!

 

芹沢家は大地主で、十三代当主の芹沢新平 ( 幼名稲吉 ) さんは、

世田谷区役所 ( 世田谷一丁目 ) の土地・千五百坪を寄付した方だった。

※ 芹沢家は、元禄時代から三百年続く旧家で、当主は代々「新平」を名乗っている。

 

芹沢さんから譲り受けた地に昭和14年に完成した世田谷区の初代庁舎。

※ 昭和20年5月の空襲で焼失。

※ 初代庁舎に飾られていた芹沢新平さんの肖像は建物と共に消失。

  現在の庁舎には二枚目の肖像画。

 

世田谷区役所第一庁舎の玄関を入ると、ホールの右手に受付嬢がある。その後ろの柱の高い所に一枚の肖像画がひっそりと架けられている。礼装の衿、真面目そうな面長の初老の紳士。意思の強さを表す太い眉。でも口元は、照れたようにちょっぴり笑って、優しい雰囲気だ。
ここの土地を、区役所幼稚として寄贈した芹沢新平である。

文:塩津美枝子『せたがや ゆかりの人』世田谷区長室広報課発行 p.58より

 

因みにこちらは、世田谷区民会館に置かれている銅像。

 

 

芹沢さんとこの地域の話はちょっと面白そうなので、もう少し調べてみようと思います。

 

 

 

今日の昼ごはん

だいぶ涼しくなったので、温かい鶏蕎麦を

いつもより薄めの色なのは、白だしベースだから。

 

 

 

 

本日の夜ごはん

つまみ三品盛り、ピーマンとツナマヨ、ザーサイ、トマトと紫蘇のサラダ

 

しらすとタコの酢の物

 

舞茸、ほうれん草、ソーセージのバター炒め

 

右下は、大阪王将の油淋鶏

 

 

実は、内緒のランチ (;^ω^) を東松原の大阪王将で

昔ながらのチャーハンと、

 

エビマヨを食べてしまいました

 

 

 

参考資料

世田谷区長室広報課発行『せたがや ゆかりの人』

ちゅうおうぷれす https://libweb.city.setagaya.tokyo.jp/uploadfile/chuuoupuresu104gou(A4).pdf

世田谷区民会館保存要望書

https://www.aij.or.jp/scripts/request/document/20090730.pdf

世田谷区立郷土資料館「資料館だより」No,69

https://www.city.setagaya.lg.jp/mokuji/kusei/012/011/002/d00138265_d/fil/siryoukanndayori69.pdf