Garadanikki

日々のことつれづれ Marcoのがらくた日記

齋田記念館

 

代田の図書館に本を返しに行くついでに、すこし徘徊した。

その一 コムギノホシでパンを買う

  

ここは、旧芹沢邸の敷地を開発したこじゃれた通りにあるパン屋さん。

通りも素敵だが、パンも美味しいのであししげく通っている。


その二 齋田記念館へ行く

パンを買ったら、環七を南下して齋田記念館に行くことにした。

こんな道を通って、、、

齋田家敷地の角までやってきた。

 

今歩いてきた道を振り返る。左が齋田家へのアプローチ

久しぶりにに松の木を見た。

昔はお屋敷の庭というと松があったものだが、

洋風な木が好まれるようになって松の木が減ってしまった。

 

右側が齋田記念館。正面が齋田家の門。

⤴ 到着した時は門が開いていたけれど、この写真は記念館を出た時に撮ったもの。

人の出入りが多くなるので閉めたのだろう。

『ブラタモリ』で放送され、タモリさんたちが縁側でお茶を飲まれていたのは齋田家の非公開部分。

一般の人は入れない個人のお宅の縁側だった。

 

齋田記念館は、齋田家秘蔵の品々が展示されているらしい。

入館料一般300円也

 

こちらが10時に記念館が開く5分前の写真。

立ち入り禁止だけれど、奥のお庭が見えた。

門の左の塀はこんなに続く。

敷地の中の塀の外にも日本風の家が見えた。

門の屋根瓦になにやら乗っているが、なんだかわからなかった。

 

記念館のロビー部分

 

ここから奥が展示スペースなので写真不可

現在は「癒しの動物絵画」という企画だった。

 

 

齋田家は、維新後に十代当主・平太郎 ( 号・東岱 ) が自家で小規模に生産してきたお茶の商品価値に着目して商売を始め、第十一代齋田又一郎が発展させた。

ブラタモリでも「世田谷でお茶が生産されていた」という切り口で紹介していたが、

齋田家からは多くの学者・文人を輩出している。

特に八代当主・東野はその中でも最も優れた学者。

九代・万蔵 ( 号・雲岱 ) は本草画家として活躍、

十一代又一郎の妻・小枝子も女流歌人だったらしい。

 

こういったことからも齋田家の美術品の所蔵は数多く、保管も兼ねて記念館を作り、

年に1~2度の企画展を催しているようだ。

展示されている書画のことは ( 不勉強で ) よくわからなかったが、

お茶に関する資料 ( 茶箱やお茶畑があった場所の古地図 ) を興味深く拝した。

 

記念館から出て環七を見る。

 

北沢緑道を抜け、齋田家所有の茶畑があったあたりを歩いてみる。

地図 左赤丸が齋田邸。右オレンジ丸が茶畑があったあたり。

古地図によると茶畑はこの辺りの急斜面にあったようだ。

地形的に農作物を作るのには不むき、茶畑に丁度よかったのだろう。

坂の途中から見ると電線の先「BIG」と書かれた看板の右の白い壁が齋田記念館

振り返った右上あたりの区画が茶畑だったと思われる場所。

 

航空写真から見た齋田邸

環状七号線で寸断されいたるが、門扉の塀から真っすぐに通った道が、

茶畑への道と思われる。

saita-museum.jp

saita-museum.jp

 

齋田家のことは、またいずれ。

 

 

その三 担々麺を食べる

香家さんで担々麺を食べる。

前回は辛くない姫担々麺だったが、今回は一番辛いという汁なし担々麺。

咽る。

辛いより、痺れる。味はまったくわからない。

うーーーん。しびれた。

 

 

戦利品 パンフレットと次回企画展のちらし、お茶。

美しいパンフレットに

 

美味しいほうじ茶

中身のお茶は、世田谷区代田のしもきた茶苑大山の茶師十段が厳選、調整したもの。

ラベルは、画家でもあった齋田家九代雲岱の作品を蘭字 ( ラベル ) としたもの。

UNTAI BRAND の蘭字ラベルは6種類あって、国内外のコンテストや商品として出品する際のラベルなどにも使用されていたもののようだ。

 

 

 

 

 

本日の昼ごはん

ざるそば

 

本日の夜食

コムギノホシのパン

野沢菜のパン ( 右 ) と、ちくわにツナマヨのパン ( 下 ) が美味しかった。

 

 




資料

人事興信録 10版(昭和9年) 上卷 - 国立国会図書館デジタルコレクション

人事興信録 第11版(昭和12年) 上 - 国立国会図書館デジタルコレクション