昨日、たまうきさんがブックマークコメントでおっしゃられたように、
弘法湯のすぐ近くで、世間を震撼させた殺人事件があった。
1997年(平成9年 )3月19日夕、東京都渋谷区円山町のアパート1階の空き室で、
39歳の東京電力女性社員の他殺死体が発見された事件。
高学歴で一流企業の女性幹部候補生であった女性が、夜は売春をしていたという話に
メディアが一斉に飛びつき、大きなニュースになった。
犯人と目され逮捕起訴をされたネパール国籍の男性は一貫して無実を主張し、
15年闘った末ようやく冤罪が認められた。
結局、この事件の真犯人は捕まらないまま未解決事件となっている。
2023年9月12日、事件から26年経った神泉を歩いていたら、
弘法湯跡のすぐ近くに件のアパートがあった。
事件現場のアパートの隣には、容疑者にされた男性が住んでいたマンションがあった。
アパートは変った造りになっている。
居酒屋は店先だけ1階で、のれんをくぐると半地下が店内。
事件があった部屋は、居酒屋の横の階段 ( 4~5段 ) を上った1階部分。
逆方向から見ると、件の室の窓は目線より高い位置にある。
第一発見者は、アパートのオーナーが経営するネパール料理店の店長M氏。
101号室は当時空室で、M氏は前日もこの部屋に女性が横たわっているのを見ていたが、誰かが勝手に入り込んで寝ていると思いこみ、それ以上確かめずに放置した。
しかし、その時、部屋の鍵がかけられていなかったことを確認し、自分が鍵をかけた、と証言している。
そして翌日、やはり気になって再度101号室をのぞき、同じ位置に女性が横たわったままなのを見て不審に思い、警察に通報したという。
この事件は、勝手に入り込んだ女性を目撃しながら、咎めもせずに施錠だけして引き返したという杜撰な管理にも問題がある。管理の甘さで、無施錠が日常化していることを知る者が複数人いた結果、部屋は不正行為 ( 売春も含む性行為 ) の温床になった。
もし杜撰な管理がなかったら、このような事件も起こらなかったかもしれない。
裁判は、容疑者となった男性が鍵をいつ返却したかも争点になっていたが、
今回見た部屋の玄関は押ボタン式暗号錠になっていて、人も住んでいる気配がした。
因みに、容疑者にされた男性は、隣のマンションに同国人4人と同居していたが、
401と思われるベランダは、この日ブルーシートで覆われていた。
マンションの出入口は建物の裏手に位置し、建物横からアパートの玄関に抜けられるようになっていた。
建物の古さや汚さもさることながら、すり鉢状の低地にあたるこの辺りは、
空気が澱んで重々しい雰囲気に満ちた場所だった。
神泉駅にもどってきた。
京王井の頭線は、この踏切部分だけ地上に出ていて、左右はトンネル。
神泉駅もトンネルの中
踏切からホームをのぞくと、はるか遠くに地上への出口が見えた。
渋谷駅方面に目をやると、建物が段々になっている。
オレンジのビルの向こうにいくに従い地面が高くなっている。
あの高台の先がかつて荒木山と言われた、待合が多く点在していたエリア。
弘法湯跡を背中に、さっき降りてきた道をのぼる。
急坂の中ほどにある金井青果店のご店主は、被害者の女性をよく目撃した方らしい。
段差のゆるい石段が多いのは、花街ならでは。
下駄をはいた芸妓さんが昇り降りしやすいようにと言われている。
曲がりくねったこの道は、今は「裏渋谷通り」と呼ばれているけれど、
昔くは「滝坂道」といわれる歴史ある古道だった。
道玄坂地蔵は、料亭「三長」の敷地に食い込むような形で建立されていた。
気がかりだった口紅がない。
事件があってから、お地蔵さまの口元に紅が引かれるようになったというが、
誰が何のために紅をひくのかは不明。
事件の被害者の供養のためとか、ここが花街だからという説もある。
だがしかし。
このお地蔵さまは花街になるよりもっともっと古い、300年も昔に建てられたもの。
元々はこの場所ではなく、大山道と滝坂道の分岐点 ( 道玄坂交番の位置 )にあったのが、
ここに移されたのだそうだ。
道玄坂地蔵尊と滝坂道の標柱: Oka Laboratory 備忘録
⤴ には、お地蔵さまの背後にある由緒書を判読して紹介されている。
とにかく、古くて由緒あるものだのに、
道玄坂の拡張工事の際に路傍に打ち捨てられてしまったという過去もある。
打ち捨てられたり、二度も火災に見舞われたり、口紅をひかれたりと、散々なものだ。
この日口紅がなかったのは、電柱の防犯カメラが功を奏しているのかも知れない。
道玄坂地蔵に関しては、滝坂道と合わせて調べてみたいと思っている。