平野啓一郎 著『ある男』を読了
この本を知ったのは、つるひめさんのサイトだった。
つるひめさんの紹介文を読むと、本でも映画でも後追いしてしまうのは常のこと。
いつも100%「読んでよかった」「観てよかった」と思わせてもらっている。
今回もまた120%の満足度と感動、高揚感をもって読了できました。
【あらすじ】
弁護士の城戸は、離婚調停を担当したかつての依頼者・里枝から、亡くなった夫・大祐の身元調査をしてほしいという奇妙な相談を受ける。
里枝は離婚を経て、子供を連れて文房具屋を営む実家へ帰郷。
やがて出会った「谷口大祐」という男と再婚し、新たに生まれた子どもとともに幸せな家庭を築いていたが、ある日夫・大祐が不慮の事故により命を落としてしまう。
悲しみに暮れる中、長年疎遠になっていた大祐の兄・恭一が法要に訪れるも、遺影を見た恭一は「これ、大祐じゃないです」と衝撃の事実を告げる。
愛したはずの夫は、誰だったのか・・・・。
「谷口大祐」として生きた男が誰なのか、なぜ彼は、別人として生きていたのか。
「ある男-X」の正体を追い真実に近づくにつれて、いつしか城戸の心に別人として生きた男への複雑な想いが生まれていく。
物語は、小説家である「私」が「城戸章良」と名乗る弁護士とバーで出会う「序」から始まる。
城戸は出会った当初「私」に対して、城戸とは異なる名前を告げ、異なる経歴を語る。
やがて二人が打ち解けてくると、城戸はなぜ自身がそんな嘘を吐いたかを告白する。
私は、どうしてそんな嘘を吐くのかと率直に尋ねた。悪趣味だと思ったからである。
すると彼は、眉根を曇らせてしばらく言葉を探していたあとで、
「他人の傷を生きることで、自分自身を保っているんです」
と半ば自嘲しつつ、なんとも、もの寂しげに笑った。
p.6
「他人の傷を生きることで、自分自身を保つ」 これこそ テーマか
作者は「本編」でも再び <城戸が他人に成りすましたエピソード>を書いている。
城戸は、里枝の夫が ( 戸籍を交換し ) 偽った名前で生きてきたことを突き止めるのだが、夫が『谷口大祐という男』の経歴をあたかも自分のことのように妻に語ってきたことに着目する。
そして。
自分も違う素性になってみたいという欲望を抱き、初めてのバーで「谷口大祐」になりすましてみた。
城戸は、“X”になりすましたあの数時間の、言い知れぬ悦びが忘れられなかった。彼は緊張し、興奮し、眩暈を感じていた。人はそれを、普通、悲劇の効能として知っているのだったが、映画を見たり、本を読んだりするのではなく、肉声を以て他人の人生と同化し、それは内側から体感するというのは、なるほど、趣味的な何かにより得るのかも知れない。苦い後味の、破廉恥な遊びだったが。……
p.119
「自分と違う名前で生きる」とは、どういうことか
この本には、X以外にも、他人と戸籍を交換して生きた男が何人か出てくる。
詳しい内容は ( ミステリーゆえ ) つまびらかに出来ないが、
城戸が「人探し」の依頼にのめり込んだのは、丁寧な仕事をする優秀な弁護士だからではなく、自分自身のためでもあったことがわかってくる。
そこには城戸自身が「在日三世」であるという問題も関係する。
お酒を飲むシーンの文章が素晴らしい
城戸が「自分と違う名前で生きる」ことへの興味は、
酒を飲んだ時に得られる心情にも共通するものがあるように思った。
彼は、ウォッカで酔っていゆく時の角度を愛していた。素潜りのように、深い酩酊の淵に向けて、まっすぐ一直線に沈んでゆく。途中の道行きは澄んでいて、言葉は決して追いつかず、風味でさえ、振り返った水面に遠く輝く光のようだった。
二杯を立て続けに飲んだところで、彼はようやく日常から完全に遠ざかって、その底の孤独にまで達した。投げ出された人形のような無意志的な動きで、リラックス・チェアの背に体を凭せた。そうしてしばらく、首の傾いたままのその姿勢で陶然としていた。
『⸻俺は幸せなんだ。・・・』
p.48
ルネ・マルグリット画『複製禁止』
読了後、一番に心に残ったのは、城戸章良に投影された作者の品格の高さだった。
作者も主人公も 実にインテリジェンスに富んでいる。
唐突だが「カネモチケンカセズ」という言葉が頭によぎった。
「金持ち喧嘩せず」ということわざの語源は「麻雀」だというが、
<金持ち ( 裕福な人 ) は心に余裕があり、人と争うことは損をするだけと知っているので、喧嘩で自らを危険にさらさない>という意味。
なぜ私が 件のことわざを連想したかというと、彼が思慮深く礼節に満ちているからだった。
つるひめさんも「城戸の、物事を深く考え、品格あるその佇まい~」と書かれているように、
彼は在日三世の問題やアイデンティティー、政治思想、死刑についてなどの考え方で、仮に妻と意見が合わなくても、声を荒げたり、持論を押し付けたりはしていない。
同僚弁護士に「女の方がストーカーだってこともありえるぞ」と言われれば、考え難いと思いながらも、一度立ち止まって考えてみる。
下劣な男の短絡的な決めつけ ( 「北朝鮮の拉致でしょう」「犯罪者の息子なんだからヤバいやつに決まっている」) にも、多少感情的にはなりながらも、自らを律し、違った角度からの意見として再考している。
そんな城戸を依頼者は敬愛し感謝する。
妻とのいさかいも乗り越えられる兆しを構築している。
妻とは良い形に落ち着くか微妙なところだが、妻の不倫の予兆のようなシーンでも、
彼は感情的にならずに対処している。
( このシーンの描写に息を呑むほど感動しました。p.321 是非ご堪能を )
彼は決してことなかれ主義ではない。
清濁併せ呑み、物事にキチンと対峙した上で「覚える必要のないこととして、跡形もなく消え去ってしまうはずだ」とケリをつけている。
そんな城戸のひとつひとつの言動の端々には、常に男気と礼節、懐の深さがある。
ここ数年の読書で、こんなに背筋のピンとした人物の話を読んだことはないし、
それだからこそ城戸の苦悩が胸にささった。
『ある男』は、2022年に映画化されているらしいが、城戸役を妻夫木聡が好演していると知り、是非そちらも観たいと思っている。
最後に、里枝と息子の会話も感心させられたことも記しておく。
息子の悠人は、里枝と前夫の子で、Xとはなさぬ仲である。
里枝が「悠人にとって、お父さんはどんな人だった?」と聞くと彼はこう言った。
「やさしかったよ。違うの?」
「叱る時も、ちゃんとどうしてダメなのか、一緒に座って説明してくれて、僕の話もよく聞いてくれたし。・・・前のお父さんよりも、人間として立派だと思う。僕には、前のお父さんの血が流れてるけど、後のお父さんが本当のお父さんだったらよかった。花ちゃんが羨ましい」
p.99
悠人は大の読書家で、志賀直哉を愛読し、俳句で表彰されたりもしている。
血のつながらない妹への思いやりもあり、私は城戸と同じタイプの男になるのではと想像した。
彼がこの先、真っすぐで上等な男に育っていく予感がラストにも感じられ、
読後の後味をさらに心地よいものにしてくれていたのが嬉しかった。
本日の昼ごはん
ざるうどん
本日の夜ごはん
昨夜のこんにゃく、さらに味が染みて美味しかった
ヒラヤーチー追加
今日はネギではなく、ニラ。
これもまた美味