原田マハ著『暗幕のゲルニカ』を読了。
原田さんの作品は、『異邦人』と『たゆたえども沈まず』を読んだが、
この本は『たゆたえども~』と同じ路線で、史実と創作が重なった組み立てだった。
読んでいる途中、どれが史実でどれが著者の創作なのだろうと気になりはしたが、
とりあえず最後まで読んでみた。
感想 ( 第一印象 ) を正直に言うと、創作部分と史実部分とのタッチに違いを感じ、
創作部分が若干 浮いてみえた。
・・・唐突に書き始めてしまったが、話を進める前に簡単な内容説明をしたい。
ニューヨーク、国連本部。イラク攻撃を宣言する米国務長官の背後から、「ゲルニカ」のタペストリーが消えた。MoMAのキュレーター八神瑶子はピカソの名画を巡る陰謀に巻き込まれていく。故国スペイン内戦下に創造した衝撃作に、世紀の画家は何を託したか。ピカソの恋人で写真家のドラ・マールが生きた過去と、瑶子が生きる現代との交錯の中で辿り着く一つの真実。怒涛のアートサスペンス!
「BOOK」データベースより
この本は、1940年代と、2003年代の二つの時間軸が並行して書かれている。
1940年の主人公は、ピカソの愛人のひとり、ドラ・マール。
ドラはゲルニカ作成時にピカソと付き合っていた女性で、当時珍しい女流写真家だった。ピカソには愛人が何人もいて彼女は嫉妬に身を焦がす「泣く女」のモデルとしても有名。だが彼女は、自分はゲルニカを制作する過程の写真を撮る仕事も担っていることから「他の女とは違う」という誇りをもっている。
1940年代は、そんな彼女の目線で、ピカソがどうしてゲルニカを描くことになったかが語られている。
2003年の主人公は、ニューヨーク近代美術館 ( MoMA ) のキュレーター八神瑤子。
彼女は10歳の時に両親に連れられて行ったMoMAでピカソのゲルニカを見ていらいその魅力にとりつかれピカソの研究を始め、やがてMoMAのキュレーターになる。
2003年彼女は「ピカソの戦争展」と題した企画展を提案、その間に9.11の同時多発テロで夫が亡くなってしまう。失意の彼女は企画展にスペインの美術館に所蔵されている「ゲルニカ」を借りる交渉をするがスペイン側は搬送の問題で貸出を固辞。
果たして瑤子はゲルニカを借り出すことが出来るのか。
「ゲルニカ」とは
ピカソの「ゲルニカ」は、ドイツ軍が1937年、内戦下にあったスペインのバスク地方の町ゲルニカで行った無差別爆撃の惨状をモチーフに作成されたもので、パリ万博のパビリオンの壁画として描かれた油絵画だった。
作品はパリ万博の後、ピカソの希望 ( スペインが平和になるまで国に戻さないで欲しい ) でニューヨーク近代美術館 ( MoMA ) に、いわば「亡命」させられている。
その大作がスペインに変換されたのはピカソが死去 ( 73年 ) し、フランコ将軍も死去 ( 75年 ) してからのことで、現在はスペイン・マドリッドのソフィア王妃芸術センターに戻されている。
一方「ゲルニカ」にはタペストリーというかたちでのレプリカが3点のみ制作されている。
タペストリーはピカソ本人が承認し1955年に制作され、国連本部と、フランスのウンターリンデン美術館と、群馬県立近代美術館に収蔵されている。
国連本部にあるタペストリーは、唯一ピカソが存命中に彼の直接の監修により制作された第一号。
※ タペストリーはニューヨーク州知事や副大統領を務めたネルソン・ロックフェラーが依頼したもの。
国連タペストリーの暗幕騒動
タペストリーの一枚は、ロックフェラーから国連本部に貸与され、反戦と平和の象徴として、安保理の議場前のロビーに飾られていた。
2011年9月にアメリカで同時多発テロが起きた。
2003年2月、コリン・パウエル国務長官がイラク攻撃の正当性を安保理で訴えた際、
長官の後ろに位置する場所にあるはずのゲルニカのタペストリーが暗幕で覆われた。
その後 ( 2021年 ) タペストリーは、国連からロックフェラー家に返却されたが、その理由は明らかにされていない。
以上が、ネタバレにならない程度の本の説明で、ここから先は種明かし。
ドラは実在の人物で、瑤子は架空の人物だった。
本の末尾にはこう記されている。
本作は史実に基づいたフィクションです。
二十世紀パートの登場人物は、架空の人物であるパルド・イグナシオとルース・ロックフェラーを除き、実在の人物です。
二十一世紀の登場人物は、全員が架空の人物です。
架空の人物には特定のモデルは存在しません。
つまり読者は、末尾までこれを知らないまま物語を読むわけである。
だが読んでいて、気づくキッカケはいくつかある。
例えば、2003年代の話に9.11の同時多発テロ事件が出てくるのだが、時の大統領の名がジョージ・ブッシュではなくジョン・テイラー。国務長官の名前がコリン・パウエルではなくコーネリアス・パワーとなっている。
このことから2003年代の内容を著者が創作にしようとしていることがわかってきた。
冒頭に私が「創作部分と史実部分とのタッチに違いを感じ、創作部分が若干 浮いてみえた」と書いたのは、創作部分-現在の瑤子の話の展開がかなり荒唐無稽に走っている為に感じた違和感だった。
史実部分のドラが、ピカソを崇拝する様子や彼女の神経がズタズタになっていく様がよく描かれているのに対して、瑤子は、周囲の人間が彼女の協力者であることも分かりやすすぎる気がした。
紆余曲折あり、やっとゲルニカを借り出せる段になり瑤子は、ある事件に巻き込まれる。すると一躍時の人となり英雄視されるような存在になってしまう。
1人のキュレーターが芸術への崇高な想いの果てに奔走するまではわかるが、あまりの展開に私は心がざわざわしてしまった。
著者自身の美術に対する想いがあるのは理解するが、突飛になり過ぎてしまった感があり、感情移入ができづらかったのだ。
そういった意味で、史実のドラの描き方は好きだが、瑤子の描き方があまり好きではない。
本書は【本屋大賞】の入賞作であり、読者の方々からも高評価を得ているので、なにをかいわんやであるけれど、私は創作物として書ききっている『異邦人』の方が好きな作品だった。
以上、感想をうまくお伝えするのは非常に難しいが最後にそう思ったキッカケの話を書いて終わりにしたい。
実はこの本のあとに読んだ村松友視さん『鎌倉のおばさん』の中に、
この感想に似た文章が出てくるので、そう感じた次第。
「先生のお書きにならはったもの、どうして二つに分かれてるんどっしゃろ」
「二つに分かれている?」
「本当の話と、嘘の話とに・・・」
「そりゃあ仕方ありませんよ、本当の話と嘘の話と、題材そのものがちがうんだから」
「そやけど、嘘の話を書いたかて、本当の話にするのが小説家の役目とちがいますやろか」
小説の真髄に触れてくる よね の意外な言葉に、梢風はとまどった。
「先生のお作は、あまりにはっきりと、これは本当の話や、これは作り話やと分かれていすぎると思うんどす」
「なるほど、それは僕の腕前が未熟だからでしょう」
「それも当たってへんのとちがいます?」
「・・・・」
「先生がお調べやしてお書きになったもの、たとえば『乞食雲坪』みたいなものと、小説の『二人大名』みたいなお作を較べさせてもらいますと、先生の情熱の打ち込み方がまるでちがうような気がするんどすわ」
「そうかもしれないですね」
「なんでどっしゃろ・・・」
p.94
これは、村松友視の祖父-村松梢風と三番目の愛人・よねの会話だ。
よねの言葉の「情熱の打ち込み方の違い」とまでは言わないまでも、
今回の原田さんの作品は、史実部分に対する情熱の打ち込み方と、創作部分に対する情熱の打ち込み方の質感が違うような気がしてしまった。
どちらが良いとか悪いとかいう問題ではない、私の正直な気持ちである。
本日の昼ごはん
金ちゃんの鍋焼ききつねうどん
本日の夜ごはん
ちょっとニンニクが食べたくなって作った小鉢
ぶりの竜田揚げ おいしい! また取寄せたい!
これも取寄品のじゃがバタ