Garadanikki

日々のことつれづれ Marcoのがらくた日記

マダグロさんが虹の橋を渡りました

 

マダグロさんが虹の橋を渡りました。

 

最後を看取ったのは早朝の世話人・Sさん。

マダさんは、Sさん宅で 温かい毛布につつまれて息をひきとった。

 

マダグロさんの最期はSさんがみてくれました

一週間前からマダグロさんが世話人たちの後追いをするようになり、交通量の激しい道路まで付いてくるようになった。他の猫は雨宿りをするのに、マダさんだけはびしょ濡れのままでいたこともあった。

抵抗力もない老体で風邪ひけば命取りになると、Sさんが無理を押し保護してくださった。

 

Sさんの家の先住猫

Sさんの家には先住猫のツキグロさんがいる。

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ツキグロさんも集会場の猫だったが、腫瘍の治療後に集会場で戻すには高齢だし、病気の再発も否めないという理由で、Sさんが保護してくださり 家猫になった。

そこにきてマダさんまで、Sさんの負担が重すぎる。

だが、私も他の方々も事情を抱えていて保護出来ずにいた。

 

無理をおして保護してくれたのがSさん

マダグロさんはSさん宅で、顔見知りのツキグロさんと仲良く過ごしたという。

マダさんが甘えてツキさんの上に乗っかっても、ツキさんは文句言わなかったそうだ。

ツキさん「しょうがないわね」と思ったのかな。

 

Sさん宅にいる間も、となかさんが病院に連れて行ってくださった。

手の打ちようがないので、痛み止めと点滴と抗生物質を投与。

マダさんは、3日前から自力で物が食べられなくなり3.3㎏だった体重が1㎏まで落ちた。

 

容体が急変したのは昨日のこと

昏睡状態になったマダさんは、Sさんに看取られて2014年11月10日13:30に息をひきとった。

眠るような最後だったそうだ。

 

危篤に立ち会えず

知らせを聞きSさん宅に伺った。

マダグロさんは、ほんとにほんとに小さくなっていた。

「抱いてあげてください」とSさんに促され、抱きあげたマダさんはまだほんのり温かいように感じた。

たくさんたくさん泣いて、お花と生前食べていた自家製ペーストを手向けた。

そのまま帰宅する気になれず、マダさんの魂を連れて集会場に向かった。

いつもの場所にマットを広げたが、マダさんはもうここの座らないんだなと思ったら涙が止まらなかった。

 

 

通常 地域猫は、死期を察すると人目に触れないところに去っていく。

私たちも、そういう悲しい別れ方を覚悟し世話をしている。

だがまれに、最期を看取られる子もいる。

晩年の病気は可哀そうだったが、マダグロさんは幸せだったと思いたい。

 

集会場の猫たちにもマダさんが虹の橋を渡ったことは伝えた。

もうみんな分かっているのだと感じた。

 

手前からマダグロ、ハタ坊、じゃいあん 

2019年8月15日撮影

 

今年になり、最高齢の姉姫さんとマダグロさんが亡くなり、集会場も寂しくなってしまった。

実は今、ハタ坊も行方不明になっているので、A地点の住猫は4匹だけだ。

※ ハタ坊は亡くなったのではなく、最近来るようになった人に連れ去られた。

⤴これについてはまた別の機会に。

 

なんだか寂しい。

世話人一同 肩を落としている。

 

マダグロさんのアルバム

2015年4月1日撮影

 

2017年3月28日

 

2019年9月6日

 

マダグロさんを撮った写真が少ないのは、ほとんど私の膝に乗っているから。

集会場に着くと、真っ先に出てくるのはマダグロさんで、マットの争奪合戦が起る。

この日は、とんとんがマダグロさんの圧力に屈した。

2020年11月26日撮影

 

ご飯を食べるよりも膝が先

この日は、カイさんと膝を取り合いになり、無理くり二人で乗っている。

2020年1月29日撮影

結局この日も、マダさんの無言の圧力に負けたカイさんが諦めたっけ。

 

「優しい顔してて結構強いよね、君は」

「そうですかー」マダグロ

 

この日は、ハタ坊が横に張り付き膝の順番を待つ。

2020年3月30日撮影

 

私はマダグロさんの全身より、後頭部を見る時間が長かった。

2020年5月25日撮影

 

何とか自撮りみたいな感じで膝の上の彼女を撮影

マダさん、たくさん たくさん 膝に乗ってくれたね。

あなたの暖かさ、忘れないよ。

 

 

 

本日の昼ごはん

五木食品の鶏白湯ラーメン

初めての時は、なるべく素のままで、次からは味に合う食材を足そうと思っている。

 

 

本日の夜ごはん  ( ひとり飯 ) 

牛肉と京菜、エリンギ、椎茸、なると入りのうどん