岩波文庫版『モンテ・クリスト伯』は、実に面白い。
感慨深い話が、わんさかつまっている。
昨日読んだのは、主人公のダンテスが獄中でファリア司祭と出会うシーンだった。

ダンテスが無実の罪で投獄されて6年目、絶望から自殺を決意し、断食しはじめる。
だんだん弱ってきた彼は目がかすみ、聴覚だけは鋭くなる。
すると壁の向こうで何かを削るような音が聞き分けられるようになる。
どこかの部屋の囚人が壁石を削っているのではないかと思った。
俄然 希望を取り戻したダンテスは自分も壁掘りに着手。
幾日も幾日も削り続けると固い障害物にぶつかりダンテスは絶望の声をあげた。
すると壁底から「絶望を口にしているものは誰だ?」という声がした。
声の主は、監守から「気違い司祭」と呼ばれる男だった。
司祭とダンテスは各々の壁床を貫通させ行き来できるようにした。
司祭は、ダンテスが投獄されるよりずっと長くここにして、毎日壁を削っていたという。
司祭は、壁を削る道具 ( のみ・やっとこ・てこ等 ) も、ペンも、ノートも、蝋燭も、針も、ロープも全部持っている。それらはみな食糧や衣服から作り上げた物だという。
ダンテスは、彼がどんなことを考え精神力を保っていたのか不思議に思った。
と同時に、こんなに機智に富む魅力的な人物が、自由の身であったら、どんなことをされただろうと感動する。
すると司祭は言う。
「なにもできなかったことだろうよ。このはち切れそうな頭にしても、くだらないことのために発散してしまっただろ。人智のなかにかくれているふしぎな鉱脈を掘るためには、不幸というものが必要なのだ。火薬を爆発させるには圧力がいる。監獄生活というやつは、ほうぼうに散らばっていたわしの才能を一つの点に集めてくれた。才能は、狭い領域でぶつかり合った。そして、ご存知のことと思うが、雲がぶつかると電気ができる。電気からは火花が出る。・・・」
p.293
無学のダンテスは、司祭から色々な知識や考え方を学ぶ。
驚くべく記憶力と素晴らしい理解力を持ったダンテスは真綿が水を吸うように学問を語学を作法を吸収していった。それまで自分に欠けていた優雅な礼節、貴族的な身のこなしも、見事わがものにした。
やがて二人は脱獄を計画するが、司祭はダンテスに《人は殺してはならない》と戒める。
これがその時の問答である。
「何故あなたは、ある晩テーブルの脚で獄丁をなぐり殺し、その着物を着て脱走しようとしなかった?」
「考えつかなかったまでなのです」と、ダンテスは言った。
「それはあなたが、そうした罪を犯すことを本能的に怖れていたからのことなのだ。それをすることを、考えられないほど怖れていたからのことなのだ」と、老人は言った。
「たといそれが、ごくつまらない、やってのけてかまわないようなことであっても、われわれの自然の本能は、われわれが、それをやっていいことからそれないようにいつも見張っていてくれる。生まれながらに血を見るのが好きな虎の場合を見るといい。それが性質でもあり目的でもある虎にとっては、ちょっとしてきっかけさえあれば充分なのだ。鼻の動きが、自分の手近に獲物のいることを教えてくれる。すると虎は、たちまたそれに飛びかかる。それに躍りかかって引き裂いてしまう。これが虎の本能だ。そして、虎は、そうした本能に従うのだ。ところが、人間は逆に血を嫌う。人殺しを厭と思わせるもの、それは社会の掟の結果とは違う。自然の掟にほかならないのだ」
p.283
ダンテスはその一言一言を胆に銘じた。
後年 彼が自分を貶めた者に復讐する時《殺人》という手段を用いなかったのは、この時の司祭の教えを守ったからだろうと私は思った。
本日の昼ごはん 2025年01月13日
ナポリタン

ずっと箱買いしていた業務用のスパゲティの値段が高騰し、販売中止になってしまった。

仕方なく市販の、もちもち食感とうたわれる商品を使ってみたら、とても口に合わない。
全くこしがなく うどんのような食感で甘さも風味も全くない。
今はやりのモチモチとはこういうものなのか、と悲しくなる。
新製品はまだ3袋あるのだが、どう消費したものか困っている。
本日の夜ごはん 2025年01月13日

ひじきとクレソンのサラダ


肉をモリモリ食べたくなる時は、スペアリブ

OHAYO の杏仁豆腐はとても美味しい。
杏仁豆腐だけれどパンナコッタのようでもある。

そういえばこれもOHAYO 製品だったな。
これも大変好きです

買ってきて間違えて冷蔵庫に入れておいたら、ドロドロになってしまった。
2個目は急いで冷凍しなおしたら復活しました。
