Garadanikki

日々のことつれづれ Marcoのがらくた日記

デュマの お父さんの お父さんの話

 

図書館に借入予約をしているが、なかなか混みあって思う本が手に入らない。

だからといっては何だが、こんな本を読み始めている。

表題の<黒い将軍>というのは、

『モンテ・クリスト伯』作者アレクサンドル・デュマ・ペールの父親で、デュマ将軍のこと。



名前が同じ・・・

実は『モンテ・クリスト伯』作者デュマも、彼の父親も、そして彼の息子も、

アレクサンドル・デュマと3代そろって同じ名前なのだ。

 

世の中的には三人を区別するため、このような呼び方や表記をしている。

一代目デュマ、軍人……トマ=アレクサンドル・デュマ、又はアレックス・デュマ将軍

二代目デュマ『モンテ・クリスト伯』作者……大デュマ 、又はデュマ・ペール ( デュマ父 ) 

三代目デュマ『椿姫』作者……小デュマ、又はデュマ・フィス ( デュマ息子 )

 

 

そもそもデュマという名前は・・・

因みにデュマというのも、正しい姓ではない。

デュマ将軍は私生児で その名は父の姓ではなく、母 ( 奴隷で黒人 ) の呼び名からとったもの。

母親の名前はマリーというが、当時の奴隷には姓がなかった。

マリーは農場を切り盛りしていたことから「農場のマリー (Marie du mas)」と呼ばれていて、「農家の」にあたる「du mas」をつなげた「Dumas」を姓として用いるようになった。  

 

この一族は名前も紛らわしいが、人間関係も複雑。

今日は、デュマ将軍ではなく、彼の父親のアントワーヌを主人公に話を進めていく。

 

デュマ将軍の父親は 最低男だった

貴族の出で、名前をアレクサンドル=アントワーヌ・ダヴィッド・ラ・パイユトリという。

パイユトリ家は地方貴族で家は貧乏。それでも爵位は爵位でアントワーヌは長子としていずれは《侯爵》の身分とベルヴィルの居城を相続することになっていた。

彼には弟が二人 ( シャルルとルイ ) がいた。

金銭的に困窮した兄弟は軍人としての出世を目指すことにした。当時の軍は、貴族の子なら12歳から士官として受け入れていたのでアントワーヌは16歳で砲兵隊の少尉として任官。

 

1738年に戦争が終わると、軍を除隊してヨーロッパから抜け出した。

弟のシャルルが植民地連隊に入隊し、西インド諸島のフランス植民地サン=ドマングに渡っていて、その地で裕福な砂糖工場主の娘と結婚していた。シャルルの砂糖工場が繁盛し羽振りが良いと聞くと、アントワーヌは弟にたかる。弟宅に10年居候し、働きもしない。やがて弟と折り合いが悪くなり、大喧嘩の末 奴隷 ( 3人 ) を連れ出奔。

 

その後、偽名を使って30年間 音沙汰不能になるのだが、その間 彼はコーヒーとカカオのプランテーションを経営し、奴隷で情婦であったマリーとの間に4人の 息子 子供を作る。 ( 長男 四番目がデュマ将軍、以降トマとする

 

妻マリーが死ぬと、息子たちを奴隷として売り飛ばし、そのお金でフランスに帰国。

長男トマを買い戻しフランスに呼び戻し、私生児として認知。高等教育を受けさせ20代前半まで援助するも、別の女奴隷との結婚をトマが反対したため援助を打ち切る。

 

トマが、フランス陸軍に一兵卒として入隊するというと父アントワーヌは猛反対。

( 当時の貴族は士官からだったから 不名誉だということらしい ) 

 

そんなこんなの悪逆非道の父アントワーヌと縁が切れ、

トマは、母の姓であるDumasからアレクサンドル・デュマと称し入隊。

デュマは軍人としてめきめき頭角を現し、ナポレオンをも脅かすほどになり《黒い将軍》と呼ばれるようになる。

 

この後も デュマ将軍の人生は紆余曲折、波乱万丈、ですが今日はこの辺まで。

 

 

 

 

 

本日の昼ごはん 2025年01月15日

金ちゃんラーメンの鍋焼ききつねうどん

卵を溶くと、クリーミー

 

本日のおやつ

左はリトルマーメイドのダークチェリー 

右はケポベーグルズのシナモンレーズン

 

 

 

本日の夜ごはん 2025年01月15日

 

今日の参鶏湯は、前回までと違うメーカー

www.kaldi.co.jp

こちらの方が安いらしいが、食べ比べてみて遜色なければこれに乗り換えようという感じ

濃厚さは前回までのがいい。

こちらも決して悪くはないが、さらっとしているから私的には前回のがいいな。