Garadanikki

日々のことつれづれ Marcoのがらくた日記

フタコを歩く Vol.5 聖ドミニコ学園

 

家を出たのが遅く、玉川高島屋でかなり時間をくったので、思うような徘徊が出来ないまま黄昏時になった。そろそろ帰路につくべく最後のあがきで最寄りのバス停まで歩いている。

 

この建物は、仲代達也さんのご自宅兼「無名塾」

横面の煉瓦の低い位置に窓があるので、

半地下が稽古場になっているのかも知れない。

 

聖ドミニコ学園が見えてきた。

この学校は、松方正義の別邸があった場所に建てられている。

古地図などには「旧 岩崎家別邸 ( 松方家別邸 ) 」とあるが、ここがどちらの家の所有地なのか、又 最終的にどちらの家の人間が住んでいたのかは わからない。

両家とも「別邸」とされていたので、人事興信録をみても当該住所は載っていないからだ。

 

また、ここにはもうひとり有名な人物が住んでいた。

第44代内閣総理大臣 幣原喜重郎

幣原さんは第二次大戦の戦災で焼け出され、妻の縁を頼ってここに移り住み、ここで亡くなった。

幣原喜重郎さんは、1951年 ( 昭和26年 ) 3月10日、岡本町私邸にて没。

 

下は、世田谷区岡本の仮寓で語る幣原喜重郎氏の写真が掲載されているサイト。

1945年 ( 昭和20年 ) 10月6日に撮られたものらしい。

https://imagelink.kyodonews.jp/search?product_type=1&rcvstamp=all&keyword=%E5%B9%A3%E5%8E%9F%E5%96%9C%E9%87%8D%E9%83%8E%20-null&opendetail=4344843

 

 

1947年 ( 昭和22年 ) 航空写真には、幣原氏が晩年を過ごした家が写っている。

画面中央白い部分の左上。 

幣原さんが亡くなられた後、遺族がいつまでここに住まわれていたかは不明だが、

1962年 ( 昭和37年 ) 9月に聖ドミニコ学園が目黒区駒場から移転し、校舎が建てられた後も、屋敷は学校の施設として使用された。

※ 建物は日本館と呼ばれ、茶道部などの活動に使用

 

航空写真で検証

1963年 ( 昭和38年 ) 航空写真では、ドミニコの校舎が建てられている。

ひらがなの「し」の字のように曲がった白い部分が校舎で、中庭の赤丸の部分が幣原氏が住んでいた屋敷。

 

1975年 ( 昭和50年 )の写真にも屋敷がある。 

 

1980年 ( 昭和55年 ) にも、

 

1985年 ( 昭和60年 ) にも、

 

1990年 ( 平成2年 ) にも、屋敷らしき影が映っている。

 

2025年 ( 令和7年 ) の写真には屋敷は消え、お御堂が建てられていた。

 

 

いつもの人事興信録で検証

人事興信録の第14版をみると、幣原さんは岡本町に来る前は渋谷区千駄ヶ谷に住んでいたようで、恐らくそこで東京大空襲にみまわれ家が焼け、岡本町の移転した模様。

 

人事興信録 第14版 1943年 ( 昭和18年 ) https://dl.ndl.go.jp/pid/12987060/1/821

住所:東京都澁谷區千駄ヶ谷1-562

 

東京大空襲 1945年 ( 昭和20年 ) 3月10日

自宅が焼け、妻の縁を頼って岡本町に移転

※ 妻は、岩崎弥太郎の四女 ( 庶子 ) 

 

人事興信録 第15版 1948年 ( 昭和23年 )  https://dl.ndl.go.jp/pid/2997935/1/278

住所:世田谷區岡本町1219

 

さて。

幣原さんが妻の縁で岡本に住んだのだから、この場所も「岩崎家」の所有地という気もするが、もうひとつ「松方家」説もある。実は聖ドミニコ学園をここに移転させた時の初代理事長が、松方正義さん孫娘だからだ。

その方は、松方為子さんといいドミニコ会の修道女だが、松方正義の三男である松方幸次郎の次女である。

 

松方家と岩崎家もいくつもの婚姻関係で結ばれている仲だし、丸子川を隔てた隣のひと山は岩崎家のもの。

要するに深い縁もありご近所さんでもあるから、幣原さんの仮寓も岩崎家の紹介で松方家が屋敷を提供したということも大いに考えらる。

だかそうしてみると、この場所には2人の日本の総理大臣が住んでいたということで面白い場所だと思った。

 

因みに、聖ドミニコ学園の卒業生の有名人には、

キャンディーズのミキちゃん、岡田美里さん、神田沙也加さんなどがいる。

 

参考

岩崎家の人物

※ 岩崎弥太郎 1835年 ( 天保6年 ) 12月11日~1885年 ( 明治18年 ) 2月7日

  弥太郎の弟、弥之助 1851年 ( 嘉永4年 ) 1月8日~1908年 ( 明治41年 ) 3月25日

  弥太郎の四女で、幣原喜重郎の妻  岩崎雅子 1881年 ( 明治14年 ) 12月18日~1956年 ( 昭和31年 ) 7月31日 

 

松方家の人物

※ 松方正義 1835年 ( 天保6年 ) 2月25日~1924年 ( 大正13年 ) 7月2日

    第4代・第6代 内閣総理大臣

  松方巌 1862年 ( 文久2年 ) 5月4日~1942年 ( 昭和17年 ) 8月9日

    正義の長男・松方家2代目当主

  松方幸次郎 1866年 ( 慶応元年 ) 1月17日~1950年 ( 昭和25年 ) 6月24日

    正義の三男で、松方家のコレクターとしても有名

  松方 (義 ) 三郎 1899年 ( 明治32年 ) 8月1日~1973年 ( 昭和48年 ) 9月15日

    正義の十五男で、幸次郎の養子になり、のちに巌の養子となり松方家3代目当主となる。 

  松方為子 1919年 ( 明治42年 ) 7月~1991?2001年 ( 平成13年 ) 10月19日

    幸次郎の二女で、聖ドミニコ学園の初代理事長

 

 

 

5回にわたって長々と書きました「フタコを歩く」もこれでおしまいです。

おつきあいいただき、ありがとうございました。