世田谷に〔砧〕という地名があり、私はそこに5歳から20歳まで住んでいた。
ところが、私が住んでいた世田谷区砧という場所は、大昔は山野という地名で、
砧と名の付く場所は、もっと離れた所にあった。
その場所がココ⤵

現在の「砧」は上の黒い丸のあたり。
元々砧と言われていたのは、現在は世田谷区鎌田で、下の黒く囲ったあたり。

どういうわけで「砧」の地名が違う場所に転移したのか、飛び地なのか、、、
その辺のところを調べようと思いながらずっとそのままにしていた。
それで今回は、本家本元の「砧」という場所にあった鉄道のお話

昔、二子玉川の駅から鎌田を経由して多摩川の河原に向けて砧線という電車が通っていた。
新玉川線の前身である玉川電機鉄道 ( 1907年開通 ) の電車だ。
この電車は関東大震災の復興が進む東京市内に、瀬田河原一帯から採れる砂利を運ぶために作られた。そして当時の東京市民がまだ郊外であった多摩川辺りに繰り出す足としても利用された。
現在、吉沢や砧本村あたりにあるグランド用地は、かつて砂利採取後にできた水溜まりの跡地にあたるものとのこと。

今回は、跡地を歩くのは諦めたが、
古地図や古写真を収集してノスタルジーにひたってみました。
1930年頃の地図
下の地図を見ると、「たまがわ」 ( 現在の二子多摩川駅 ) からカーブをして「きぬた」と書いてあるところまで線路がある。

1947年頃の航空写真

この地図の方がわかりやすいかな。
1970年頃の地図

砂利運送の役目を終えた砧線は、1969年に廃止になったらしい。
東急砧線吉沢駅の写真
https://setagayadigitalmuseum.jp/collection/23124/detail/76260281/
区史風景記録6-2-01 鎌田3-2-24

吉沢橋 新吉沢橋 ( 現・吉沢橋 ) より旧吉沢橋を見る
1962年 ( 昭和37年 ) 鎌田
https://setagayadigitalmuseum.jp/collection/23123/detail/76260281/

新吉沢橋を渡る玉電 ( 東急砧線 )
1962年 ( 昭和37年 )
https://setagayadigitalmuseum.jp/collection/14659/detail/76263283/

砧線 吉沢駅付近
1962年 ( 昭和37年 )
https://setagayadigitalmuseum.jp/collection/23122/detail/76260281/

東急砧線砧本村駅
1961年 ( 昭和36年 )
https://setagayadigitalmuseum.jp/collection/13119/detail/76269256/

他 参考にさせていただいたサイト
東京府北多摩郡 砧村全図
東京府北多摩郡 砧村全図 | デジタルコレクション | 世田谷デジタルミュージアム
砧線の開通についての記事
https://setagayadigitalmuseum.jp/history/313/detail/
東急玉川線玉電中里駅の写真
https://setagayadigitalmuseum.jp/collection/12661/detail/76263033/
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明太子パスタ

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