MOURI のお仕事が一段落したので「那珂湊のおさかなセンターに買い出しに行こう」という話になった。当初日帰りの予定だったが「どうせなら水戸に泊まってあんこう鍋を食べる、なんてのもいいかな」ということで、今日からそんな水戸一泊旅行のお話です。
おさかなセンターは明日にまわし、今日は水戸周辺を観光する。
一番に行きたかったのが魯山人の住んだお家を移築したという場所。
着いたー! 閉まってるーーー!

も「休館日 確認した?」
ま「・・・したと、、、思う」
もう一度調べる
ま「月曜日は休館日だ・・・(;^_^A」
気を取り直し ( ごまかして ) どこか別の所を探す (((o(*゚▽゚*)o)))
まずは早めのお昼。
この辺りは蕎麦の実の産地らしいのでお蕎麦にしようということになったが、
検索した一軒目も定休日だった 💦
この辺りは月曜定休が多いみたいだ。
じゃ、ここに!

そば処 柊

開店と同時に飛び込んだので、お客一号みたいだ。

玄関で靴を脱ぎフロアに上がると、掘りごたつ式4人テーブルが2席と、堀ごたつ式6人テーブルが1席、丸テーブルの座ぶとん席が1席あり、私たちは奥の4人テーブルに案内される。
メニューは、
せいろ、天せいろ、からみ大根、とろろ、鴨きのこつけそば、天ぷらそば、ぶっかけ。
私はとろろ、MOURI は天せいろを注文。

お蕎麦は薄い色で、蕎麦の風味もほんのりしていて、つゆの味も好み。
とても美味しい。
天ぷらの方も、サクッと軽く見事な揚がり具合で大変美味しい。←海老を一本横取りした

そんなに深く調べずに入った店だったが大正解!
お昼時は外に列をなすほどの人気店だと後からわかった。
美味しいお店に出会えて幸せだ💛
次に向かったのが笠間稲荷神社

月曜日なので門前通りも人どおりも少なく、ゆったりした雰囲気。

笠間稲荷神社の御祭神は、宇迦之御魂神 。
宇迦之御魂神は、生命の根源を司る「いのち」の根の神として農業、工業、商業、水産業など、あらゆる殖産興業の守護神として人びとの生活すべてに御神徳を授けてくれる神様だそうだ。
笠間稲荷神社の御創建は、第36第孝徳天皇の御代、
その後長い年月を経て、桜町天皇の御代、寛保3年(1743)には時の笠間城主井上正賢により社地社殿が拡張され、延享4年(1747)牧野貞通が城主となると先例により祈願所と定められ、境内地・祭器具等が寄進された。
以来歴代藩主の篤い尊崇を受けました由緒ある神社らしい。
笠間稲荷神社は日本三大稲荷のひとつなんだそうです。
参道の仲見世はひっそりした感じで少しさびれた感があるけれど、それは平日だからだろう。
ひやかしながら仲見世を抜けると、見事な楼門があった。

この門は「萬世泰平門」と言い、重層入母屋造で昭和36年に竣工の建物。
扁額は当時の神宮祭主、北白川房子様の御染筆によるものだとのこと。
※ 北白川房子氏は 明治天皇の第7皇女で、伊勢神宮の女性初めての祭主。
楼門を過ぎると、立派な拝殿が見えてきた

こちらは昭和25年10月に竣工されたものとのこと
拝殿の左が社務所、右手に大きな藤棚がある。
ふた月遅かったら、美しい藤が見られただろう。
藤棚の奥には、著名人の絵馬が展示されていた。
写真撮影不可とのことだったので、笠間稲荷神社のインスタから借用した⤵

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拝殿の右側に回ると、本殿が横から眺めることができた

二軒の並行垂木が美しい
垂木とは、屋根を支える棒状の木材部分の名称で、
神社仏閣など入母屋造りの場合、こちらのように並行垂木もあるが、扇状の垂木の建物もある。
垂木が気になるの わたし・・・
以前、鎌倉の英勝寺を拝観した際、和尚様が境内を巡っていろいろとレクチャーしてくれたのだが、その中で特に印象的なのが「山門の垂木」のお話だった。
英勝寺は浄土宗のお寺さんだが、境内にある山門は禅宗様の建て方とのこと。
※ 禅宗様の建築様式の特徴は、上層は「扇垂木」、
和尚様の垂木の話を伺ってから、寺社仏閣の屋根を見ると「扇かな、並行かな」と注目するようになったわけだ。
英勝寺の山門 2014年03月26日撮影
⤴ 上層の垂木が放射線状についているのに対して
⤵
裳階 の垂木は並行についている
脱線しました、笠間稲荷の話に戻します (;^ω^)

御本殿
江戸時代末期の安政・万延年間 ( 1854~1861 ) の建築で、国の重要文化財に指定されています。屋根は入母屋造りの銅版ぶきで、総欅の権現造りです。御本殿の柱や周囲など、いたるところに飾り彫りが施され、緻密で精巧な技法で作られています。
御本殿彫刻
御本殿は、建立当時名工といわれた後藤縫之助の作「三頭八方睨みの龍」や、
同じく後藤縫之助 作「牡丹唐獅子」や、
弥勒寺音八と諸貫万五郎の作の「蘭亭曲水の図」など
深い彫りの浮き彫りで埋められています。
木彫に色がないのは褪せたわけではなく、江戸時代は彩色をしなかったらしい。
稲 魂 ( ウカ ノ ミタマ ノ ミコト )
江戸時代の笠間藩主・牧野貞直公 揮毫の額で、御本殿外陣に掲額されています。
境内には数え切れぬほどのお狐様がいらしたが、
特に目をひいたのはこの狛狐

子狐が母狐の乳を吸っているように見えた
御本殿の裏、北側の出口を出ると、笠間稲荷美術館の門があった。
昭和56年に奈良の正倉院を模した建物で、笠間焼が影響を受けた信楽をはじめ常滑・瀬戸・越前・丹波・備前の中世六古窯の古陶器を常設展示しているらしい。

美術館の門らしくないのが面白い

敷地内の見事なお池

笠間稲荷の境内に戻り、手水舎を見る

柄杓はなく、竹筒の穴から落ちる水でお清めをするようになっている。
感染予防で変えられたのかな
手水舎にも立派な彫刻が

こちらの彫刻は、富岡清 ( 富岡桂山 ) 作で、
本殿の彫刻をした後藤縫之助の晩年の門人なのだそうだ。
【富岡清】 常州笠間住。明治15年(1882年)生〜昭和9年(1934年)没。富岡桂山とも名乗る。後藤縫之助の門人と伝わり、それが確かなら縫之助晩年の門人であり、若くして弟子入りしていたものと見られる(富岡清が20歳前に師匠が没しているため)。 ・笠間稲荷神社手水舎:茨城県笠間市笠間1 ・櫻川磯部稲村神社:茨城県桜川市磯部 字稲置772
力強い獅子に勇気をもらえる


後藤縫之介と富岡清 ( 桂山 ) さんの関係が紹介されていたInstagramがあったので
リンクさせてもらった
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笠間稲荷は、見どころ満載で時間が足りない。
MOURI はあまり興味がない様子だったので、よきところで引き上げるが、
家に帰って調べると、見逃したものが沢山あって残念に思った。
以下は備忘録の参考文献
http://www.kasama.or.jp/pdf/honden_03.pdf
http://www.kasama.or.jp/pdf/honden_04.pdf
垂木
「扇垂木」ってなんですか? | 【公式】豊和開発株式会社(ホウワカイハツ)





