村田喜代子 著『

「わしは生まれて九十年がとこ、この島に住んで、
今が一番悩みもねえで、安気な暮らしじゃ。
おまえは妙な気遣いばせんで、
さっさと水曜の朝に船で去んでしまえ」
⸻かつて漁業で栄えた養生島に、女がふたりだけで暮らしている。
母親のイオさんは、九十二歳。
海女友達のソメ子さんも、八十八歳。
六十五歳のウミ子が、ふたりを見ている。
物語は、五島列島の養生島 ( 架空 ) で暮らしていた三人の女年寄のうちの最年長・
だが、イオさんはいくらウミ子が説得しても島を離れようとはしない。
92歳になる鰺坂イオさんの家の近くには長年の海女友達の金谷ソメ子さんが住んでいる。この人は88歳。ウミ子のためらいの一つは、もし母親を本土に連れて行ったら、ソメ子さんは島で1人になってしまうことだった。
かつて漁業で栄えた養生島も、多くの家族が本土に移り、残った年寄たちも順に亡くなっていく。残された年寄のために生活物資を定期的に運ぶ船には年間二千万の費用がかかるのだという。だが墓を守る老女たちにこの島を出ていかれては困る事情も国にはあった。国境に近い島が無人島になることで侵入者に占拠されるおそれがあり、無人島がひとつ分捕られると、国境線の位置がズレてしまうのだ。
役場では外国人の不法占拠を阻止するためのパトロールが続けられていて、「無人島ではない」と思わせる為に生活感のある看板を立てたり、『君が代』を流したりしている。
役場がそんな苦労をしていることを老女たちは知らない。だがウミ子は役場の青年・
君が代のシーンが笑える
「それは何」
「日本の音楽です」
鴫が嬉しそうな顔をしてみせた。スイッチを入れると、いきなり小屋を揺るがすような大音響の音楽が流れだした。外の屋根にスピーカーが付いているのだ。そこから波のように湧き出る音楽と歌声は、日本の国家『君が代』だった。
~中略~
「どうです。まごうかたなき我が国の国家」
「これをどうするの」
「朝夕二回、毎日タイマーをセットして鳴らすんです。こうすれば密航者も、ここが日本に見放された無人島とは思えないでしょう」
~中略~
「でもねえ・・・」とウミ子は口をつぐんだ。
「これではまったく、外国人は近寄るなって、脅してるようじゃない」
「ええ、だって本心、ぼくらは警告したいんですよ」
「それはわかるけど」
~中略~
「『君が代』はオリンピック会場でも世界に流しますよ」と鴫が言う。
「それとは場所が違うわ」
華やかな競技場に似合っても、海と離島の景色には『君が代』は重くて、ずっしりとくる。みぞおちを痛打されるようだ。
「うーん。困ったな」
と鴫は屈託のない顔でリュックの底に手を入れて、また幾つかのCDを出した。それじゃこんなのはどうですか、と一枚を入れ替えた。
「まだ何かあるの」ウミ子は不安になった。
「それなら『君が代』のちょっと変わったスポーツバージョンでいきますか。読売ジャイアンツ対ヤクルトスワローズ戦のやつ。綾香の歌だけど、知ってますか。女の子の声もいいですよ」
p.87
ウミ子と鴫とのシーンでもうひとつ、『蛍の光』の話も興味深く心に残った。
鴫が観光PRの写真を撮るというのに付き合って、沖根島を訪れた時のこと。
その島にもたったひとり、管理小屋の留守番をしている鯨塚という老人がいる。
鴫たち役所の人間は、この島にも人間の気配が欲しいらしい。
桟橋を造り直したり、一日二回の定期船を通わせたりの出費を何故するのかというウミ子の問いに、鴫はこう言った。
「そりゃ観光客が多ければ有難いですよ。でも最初は多少でも人間の気配が起ってくれればいい」
「それじゃ、あらたに船の油代の心配しなくてもいいのね」
「ええ、役場としては、一日に何組か何かのグループが来るとか、親子連れとか、恋人同士とか、まあ、そのうち うまくいけば小中学校の遠足とか、この無人島の桟橋に連絡船が着いて、がやがやと人の乗り降りの動きがあればいい。最初から観光収入だけを、どっさりアテにしてるわけじゃないんです」
このやり取りで、鴫が頻繁にする「村の外れ」「国の外れ」という言葉に対して老人が答えた。
「こうしてわしらが飯を食うとる、今ここがわしらの真ん中じゃ。中心じゃな。するとこの国の都はずっと東じゃ。このまなこの・・・端っこの隅の方じゃ」
「北のさい果ての樺太なんぞも、そこに行ったらそこが中心じゃ。わしらの島などは樺太からすると南の外れの外れじゃな。土地というでも不動ではねえぞ」
「なるほど」と鴫が言った。
「欧米では日本を極東の小国っていうけど、日本地図では西も東もない。ど真ん中ですもんね」
「そうじゃろ。ざまみれ」
そして老人は言った。
「船の最終便が出る時、銅鑼の代わりに『蛍の光』の歌ば桟橋に流しとる」
「デパートの閉店時間みたいですね」
とウミ子は笑ったが、老人は本土のデパートを知らないので取り合わない。
「これは昔に歌われた『蛍の光』じゃ。」
歌詞の一番は有名なものだが、
二番は何を言っているのか、ウミ子たちにはさっぱり意味がわからない。
とまるも行くも 限りとて
かたみにおもふ ちよろずの
心のはしを ひとことに
さきくとばかり うたうなり
因みに上の二番は私もうっすら覚えているけれど、
下の三番になると私も知らないし、鴫やウミ子も軍歌のようだと首をひねる。
筑紫のきはみ みちのおく
海山とほく へだつとも
そのまごころは へだてなく
ひとせにつくせ くにのため
さらにもっと驚いたのが四番目の歌詞
台湾のはても 樺太も
八州のうちの 守りなり
いたらん国に いさをしく
つとめよ わがせ つつがなく
これは台湾や樺太が日本の領土だった昔の歌詞なのだそうだ。
「日本は日清戦争に勝って台湾ば譲り受け、日露戦争に勝って樺太ば手に入れた。
国土の狭か日本は、大陸へ占領地を分捕るため戦争ば行ったもんじゃ。それで勝って領土ば次々に広げたが、その後は負けてみな失うでしもうた。時代が変わると国の守りも違うてくる」
「今の日本は、台湾も樺太も満州も朝鮮もありませんよね」と鴫が手を広げる。
うむ、と老人はうなずいてラジカセを顎で示した。
「これは、あったときの歌じゃ」
「今は、なくなった後の歌ですね」
「じゃからデパートの閉店の音楽になっとる」
p.160
鯨塚老人の言葉は深い
「確かなものは我が身のある所じゃ。
片隅でも、外れでもよか。そこが中心じゃ。わしはそれでよか。」
ウミ子は鴫や鯨塚老人とは、普通に会話ができている。
だが母親に対しては何となく距離があるのが気になった。
ウミ子とイオさんの微妙な関係
ウミ子は、島を出て大分の農家の嫁になったらしいが、その経緯は本には書かれていない。
多くの若者がそうだったように島の生活より本土の暮らしに憧れたのだろう。
そうして出て行った娘が、自分を本土に連れて行きたいと言っても、母親としてはその気になれないのは当然だろうから、その話題になると母娘はぎくしゃくしてしまうのは仕方ない。
ウミ子は島に滞在している間じゅう、母親が海女仲間のソメ子さんとの日常を優先し自分を避けているように感じている。
イオが年に一回の元漁業就労老人たちの健康診断の日に、ウミ子の付き添いを拒否する言葉に、私もドキリとさせられた。
「おまえは来んでもよかたい。若い者が一緒じゃと、家族がおるげに思われる」
ウミ子はドキっとした。
「身寄りのない年寄の姿ばして行くさ」
わしが倒れたら、おまえが大分の山から迎えに来るか。それでなくても、島に居残った年寄を持て余した行政が、親を迎えに来いと呼び出すかもしれん。
わしは島に突き刺さった、生きた棒杭じゃ。
イオさんの色素の抜けたような眼がそう語っている。
p.133
イオさんとソメ子さんは、台風に備えてこんな行動をとったのも面白かった。
島には、あちこちに見捨てられた空き家が建っている。どの家も島の強風に備えて建てた平屋で二階家はない。台風がやってくるという前日、イオさんとソメ子さんは自分たちの家よりも、もっと頑丈そうな家にあたりをつけて移動する。
「この辺りがよかろう」
イオさんがつぶやきながら一軒の玄関に近づいて行った。
この付近は家並みに海が隠れ、風がだいぶ弱まっている。ウミ子は屋根を見上げた。雨漏りのなさそうなしっかりした家がいい。イオさんは手を伸ばして玄関の戸を開けた。鍵はかかってなくてガタガタと音を立てて戸は開いた。持ち主が捨てて行った証拠である。
「よし、ここは船着き場に近うて、風当たりも少ない。裏には風呂場もあるようで申し分ないのう」
広すぎる家は老人所帯には手に余る。
二人の年寄が仏壇の置ける自分の部屋をひとつずつと、茶の間と台所に風呂。それだけあれば十分だ。表札は移住するときに剥がして持って行ったらしいが、この家の主人は八朔吉郎という漁師だった。
「わしらの表札ば掛けるとするか」
ソメ子さんが懐から財布を取り出す手付きで、陽晒し雨晒しの『金谷』の表札を出してウミ子に渡した。これにイオさんが持って来た『鰺坂』と併せて玄関に下げることにする。
p.172
島の老女たちの生活は、なんとも逞しい。
この本には、色々な「占拠」が出てくる
無人島にやってくる外人の不法占拠の話、日本国が戦争で台湾・樺太・満州などを占拠した話、二人の老婆が台風の時に空き家を物色し占拠する話。
そして「飛族」というタイトルにもあるように、死んだ漁師の魂が鳥に家移りするという話もあったり、カツオドリやイソシギやミサゴなど多くの渡り鳥もまた、占拠に通ずるイメージとして語られている。

そんな渡り鳥のことを、鴫が言ったこの言葉が印象に残った
「鳥は大した国境破りですねえ。凄い密航者だ」
しかも平和な密航者だと、ウミ子は思う。
本日の昼ごはん 2025年03月22日
味噌煮込みうどん

本日の夜ごはん 2025年03月22日

酢の物のキュウリの切り方は、これが定番になった

えごまをたっぷり添えたキムチ

さつまいものレモン煮

図書館の帰りにセブンイレブンで買ったおこわ

そして。今日も鳥酢💛
