Garadanikki

日々のことつれづれ Marcoのがらくた日記

アンソロジー『いつか、アジアの街角で』

 

久々のアンソロジー作、

『いつか、アジアの街角で』を読了

中島京子さんと角田光代さんは読んだことがあるが、それ以外は初めての作家さんだった。

《アジアの街角》と銘打つ短編集だが、アジアのことがちゃんと描かれている作品は思いのほか少ない。実際に台湾や香港に行った話は『チャーチャンテン』『猫はじっとしていない』ぐらいで、あとは国内でのアジア人とのふれあい話。『停止する春』に至っては、主人公が家に籠り “ 大根餅 ” を食べるというだけの話だった。

 

新大久保のアジアタウンを描いた『月下老人ユエシャーラオレン』は、話題になったドラマ『サラダボウル』『新宿野戦病院』を足して2でわった感じのライトノベルでそれなりに楽しめた。

 

私が一番好きだったのは『チャーチャンテン』と『石を拾う』

チャーチャンテンでは、香港のイメージがこんな風に書かれている。

香港のことがよく伝わってくる文章だと思った。

猥雑で、活発で、独特なセンスが炸裂していて、西洋と東洋が混じり合った空気が満ち満ちていて、自己主張が強くて、でもフレンドリーで、そのくせ、つっけんどんで、わあわあわあわあうるさくて。至る所においしいものがあって、がつがつ食べて、映画を看て、コンサートに行って、買い物をして、観光地をめぐって、太極拳をして、私が心から楽しんだあの街・・・

 

そして私は、この短編でレノンウォールを知った。

香港からやってきた友だちの姪っ子ケリーが、本国で受けた民主化運動弾圧を語るシーンが心に痛んだ。彼女の友だちはポストイットを持っていただけで逮捕されたらしい。

 

これが台湾のレノンウォールの写真

www.wikiwand.com

 

一方『石を拾う』は、

小学生の主人公と、台湾から日本に来てそのまま日本に住んでいる王さんというおじいさんの交流が心にしみた。

地域の人は王さんに近寄らず、王さんはいつもよそ者のように生きている。

主人公の少女は大人から「はぐれてはいけない」と言われ息苦しさを感じている。

そんな少女が大好きな石拾いをキッカケに王さんと話をするようになる。

王さんは少女に「ひとりでいること」について、「マグマ」について、優しくかたりかける。

 

 

最近、アンソロジー企画本をよく目にする。

お気に入りの作家の作品を読むついでに、知らなかった作家に出会えるので良いと思うが、今回のアンソロジーは正直言うと安直に思えた。

編集者が「アジアが少し入っていればいいです」的なことを言って書いてもらったようなぬるぃものもある。作家の力量がバラバラなのも残念。

 

 

本日の昼ごはん 2025年04月02日

焼きそば

 

 

本日の夜ごはん 2025年04月02日 

Oさんの買出しの運転手で経堂のOXで買い物をした。

1Fのグリーングルメは、見ているだけで美味しそうな総菜が並んでいる。

とても参考になる食材の合わせ方が魅力で、筍サラダというのをOさんに買ってもらった。

ドレッシングはアンチョビが入っているクリーミーなもので美味しかった。

マヨネーズは市販のものではなく、ヨーグルトの酸味と卵を活かしたオリジナルソースだと思う。そこにアンチョビとは、、、今度真似して作ってみたいと思う。

 

昨日食べたひじき煮にクレソンを入れて洋風に変化

 

久しぶりに作ったレバニラ 

OXで一目見て「新鮮で美味しそうだ」と思ったレバーは、期待通のの味だった。

牛乳で臭みを消して作ったら、とても美味しくできた。

 

デザートは桜餅、長命寺でピンクはこしあん、クリーム色のはつぶあん。

 

これで終わりかとおもいきや、

「出来上がってるなら一口食べようかな」と言われて配膳したのは、

先だってと同じ鮪のカマの煮つけ。

 

カマは冷凍にして、後日煮ようと思っていたが、冷凍庫が満杯なので煮てしまった。

急いで作ったので大根はなし。

 

 

 

 

下は、短編の内容をかいつまんで書いたもの。メモ書き駄文です。

『隣に座るという運命について』中島京子

主人公は大学に入学したての女子で、同じ高校から来ている友だちがひとりもいない。

「隣に座ったから」という感じの友だち作りが、あとあと どう展開するかまったく読めないながらも、隣の席の押しの強そうな女の子と親しくなる。彼女は自分のことは「よしんば」と呼んでくれていいと言う。それは高校時代からのあだ名で、「よしんば」というのは彼女の口癖だという。

・・・ここまで読むと、この短編は主人公と「よしんば」との交流を描いたものかと思うが、志桜里さんという新たな人物が登場する。

 

主人公と志桜里さんはどうやら一緒に暮らしているらしい。

同居する経緯は省かれていてわからないが、志桜里さんの突然の告白により主人公は、志桜里さんが自分の実の祖母だと知る。

どういうことかというと。

志桜里さんと ( 主人公が祖母だと思っていた ) 澄江さんは女学校時代の友だちで、澄江さんと莞爾さん夫婦が 志桜里さんの産んだ娘を引き取り育てたらしい。

いきなり「よしんば」とのシーンから「志桜里さん」の話になったのは、よしんばがお祖父ちゃんっ子だったという話から、自分の祖父・莞爾さんを思い出し、そこから志桜里さんの話につながっていったようだ。

この短編の連想ゲームのような脈絡のなさは、ある意味なのかもしれないが、これで主人公と「志桜里さん」の話に落ち着くかと思いきや、さらに「エイフク」さんという男性が登場し、話があらぬ方に展開する。

このエイフクさんとの話がアジアにまつわるものだった。

うーん、なんだか不思議な話。

 

月下老人ユエシャーラオレン』桜庭一樹

黒川つるばみと真田紅は、新大久保で偵屋をやっている。

彼らが所有?しているのは6階建てのペンシルビルで、一階が探偵事務所、二階が紅の部屋、三階が橡の部屋、四階が共同のバス・トイレ、五階と六階を観光客向けのゲストハウスになっている。

ある朝、橡が一階に降りると、見知らぬアジア人と紅がルーローハンを作っていた。

紅の話では、近所の台湾料理屋が火事になり、店が再開されるまでの仮店舗として、一階を貸すことになったらしい。

一方 橡は、ゲストハウスに泊まっている朴という女性から道案内を頼まれる。

朴さんは大久保にある台湾のお寺の月下老人という神様にお参りがしたいらしい。

月下老人は、恋の橋渡しをしてくれる神様らしく、朴さんが神様に「⸻向うで会えますように」と意味深な祈りをして、橡をドキリとさせる。

新大久保で繰り広げられる二つの人情噺は、紅と橡が情報共有をしなかったがために珍騒動に発展し、橡と紅は自分の仕事を相手に報告してなかったね、と反省し合うのだった。

 

文中に、紅の容姿についてこんな記述があった。

切れ長大きな目が糸のように細くなり」

切れ長で、大きな目って、どんなだ? と笑ってしまった。

 

 

『停止する春』島本理生

勤続15年目で初めて会社を生理休暇で休んだ主人公は、次の日も会社に行く気にならず、その次の日も会社を休んだ。長年かかえたストレスで思考が停止し、どろどろになって眠りつづけた主人公は、這うように冷蔵庫に行き大根餅を作って食べる。

彼女は妻子ある同僚と不倫関係にあったが、最近別れていた。不倫のことは誰にも話せずにいて、彼女は家のドアノブにタオルをかけて自殺をはかる。そんな時、長引く欠勤を心配した同僚のさおりちゃんが駆けつけ難をふせぐ。さおりちゃんは泊まり込みで彼女の心の傷を少しずつほぐしてくれるのだった。

 

 

『チャーチャンテン』大島真寿美

1997年にリーサのお腹にいた赤ん坊が、今 主人公-奈美子の目の前にいる。

奈美子はリーサの姉のイライザに広東語を習っていた関係で、香港観光に行ったことがあり、臨月のリーサに出会っている。その時お腹にいたのがケリーで、この度 日本で就職をするということになった。

奈美子は、親友イライザから「1人暮らしをする姪のケリーの話相手になってやって」と頼まれる。

ケリーが日本に来たのは、香港の民主化デモにおける挫折と、理解のない父親からの逃避だった。

ホテルで会ったケリーは、奈美子に「私はひとりでも大丈夫です」と打ち解けようとはしない。そんなケリーを奈美子は茶餐廳チャーチャンテン という飲茶屋?に連れていく。奈美子が料理を美味しそうに食べるのを見て、ケリーの心も次第にほぐれていく。

 

 

『石を拾う』宮下奈都

私の体の中には、マグマがあってたまに爆発する。

おばあちゃんに「いくら喧嘩をしてはいかん」「目立たないようにしろ」と言われても私の正義感は止められなかった。

今日 私が喧嘩をした相手はムラタという同級生で、ムラタはガウォンをいじめていたからカッとなった。弱い者いじめをするのも1人ならいい、だがムラタは町の有力者である父親の権威をかさにきて、手下にした同級生にムラタをいじめさせたりする。

私 はそれが許せなかったのだ。

 

私は 石を拾うのが好きだ。なんでこんなにに好きなのかわからないが、ある日河原で魅力的な石をみつけ、偶然通りがかった台湾人のわんさんに石をあげようとする。

石をキッカケに知り合った王さんは、祖国の台湾に帰らず一人で日本に暮らしている。

王さんは孤高の人だったが、私はそんな王さんのことが気になりだす。

 

「絶対にはぐれてはいけない」と学校でも地域でもそう厳しく教えられている私たちだが、人さらいにさらわれることや、はぐれて生きるのはいけないことだとあたりまえのように教わる生き方に、私は少し息苦しく感じている。

王さんのことが気になるのは、王さんがはぐれていても平然としているからかも知れないと、私は思った。

 

『猫はじっとしていない』角田光代

一年前に亡くなって愛猫タマ子が、やっと夢にでてきた。

「わたし台湾にいるからさ、またやばく ( 会いたくてしょうがなく ) なったらおいでよ、台湾に」

タマ子はそういった。

その日私は、台湾のことを調べた。「台湾の猫村猴硐ホウトン」というのがヒットした。

私は社内の台湾好きの同僚たちから情報を集めて、台湾に行く計画を立てた。

 

 

books.bunshun.jp

 

今日読んだ、『いつか、アジアの街角で』も、つるひめさんが紹介していらしたので、

読んでみたくなった本だった。

こちらはつるひめさんの素敵な紹介記事

tsuruhime-beat.hatenablog.com