昨日は小説の話だったが、今日は映画の話。

映画『博士が愛した数式』は、原作をそこなうことなく、わかりやす実写化された素晴らしい作品だった。
美しい風景と音楽、場面の移り変わりやテンポも絶妙で、俳優の演技も見事な感動作だった。
一番嬉しかったのは、キャスティングがバッチリだったこと。
博士/寺尾聰、杏子 ( 家政婦の私 )/深津絵里、ルート/齋藤隆成、先生 ( 19年後のルート )/吉岡秀隆、博士の義姉/浅丘ルリ子、家政婦紹介所所長/井川比佐志、少年野球の監督/頭師佳孝、家政婦/茅島成美、能楽師/観世銕之丞、薪能の客/小川洋子(カメオ出演)
映画には( 小説にない ) 大人になったルートを登場させている。
19年後のルートを演じる吉岡秀隆さんは、狂言回しも担っている。
吉岡さんといえば、11歳にして「北の国から」のナレーションも好演する天才子役。
彼は今回の作品でも余すことなく力を発揮している。
私は、子供時代のルートと、19年後のルートの吉岡秀隆とが重なって見えたのに驚愕した。
80分しか記憶がもたない博士に、自ら頭を下げ 撫でさせるルート

横顔が「北の国から」をの純にそっくりに見えたのは私だけ?
私は小説を読んで「ルートのイメージは吉岡くん」と思ったが、
さすがに公開時に彼はもう大人だし www
そしたら、大人のルートで吉岡くんがキャスティングされていて嬉しくなった。

吉岡さんの起用が、映画をさらに盛り上げた
映画では、博士に可愛がられ数学が好きになったルートが、大人になり中学校の数学教師となっていて、生徒たちに数学の愉しさを伝えていく。
教壇に立ったルート ( 学校でも生徒たちからもルートというあだ名で通っている ) が、
小学生の頃 出会った博士の話をすることで、物語が進行する。
※ つまり小説での出来事は映画では回想シーン
《eπi+1=0》の意味
数学が苦手な私は、小説の中にでてくる 《eπi+1=0》の意味の分からなかった。

映画ではその数式が、二つの場面で解き明かされる。
ひとつは、これは原作ではないのだが、博士から義姉にあてた昔の手紙。

手紙から、
博士と義姉が道ならぬ間柄であったこと、
義姉が博士の子供を身ごもっていたこと、
義姉が子供を産まなかったことがわかる。
義姉への手紙に書かれた数式は、《eπi+1=0》ではなく《eπi=-1》
勝手な解釈だが、義姉の手紙にある《eπi=-1》は、後に提示される《eπi+1=0》の伏線であり、義姉との辛い思い出が《-1》としたら、家政婦の杏子とその息子ルートに出会ったことで、博士の心が《-1》から《0》になったのではないかと感じた。
《eπi+1=0》のシーン
義姉 ( 浅丘ルリ子 ) は、博士 (寺尾聰 ) が 杏子 ( 深津絵里 ) やルート (齋藤隆成 ) と距離を縮めていくのに不快感を感じ杏子を解雇する。だがルートが博士の所に遊びに来たことを知り激怒し、杏子を呼び出す。

義姉が杏子を咎めるシーンで、博士はルートの肩に手を置いて言う。
「いかん、子供をいじめてはいかん」

「子供は大人よりずっと難しい問題で悩んでいる」
博士は自分の背広についているメモを一枚、また一枚と引きちぎる。

「失うものはもう、何もない。
ただあるがままを受け入れ、自然に、自然に任せきって、
ひとときひとときを生きぬこうと思う」

博士は、数式を書いたメモを義姉の前に置く。
それが《eπi+1=0》だった。

義姉は、博士の心が《-1》から《0》になったことを知る。

これは原作にはなかった解釈だった。
もうひとつ《eπi+1=0》の意味が語られたのは、ルート先生のシーンだった。
以下が、吉岡さんの感動的なセリフ
![]()
πは円周率、わかるよね。
i も-1の平方根で虚数。
宇宙の果ての葉てまで続いているπと、決して正体を現さないimaginary numberの i 。
厄介なのは、e です。
e はね、イギリスの数学者ジョン・ネピアに因んでネピア数と呼ばれています。
ネピア数は数学で最も重要な定数のひとつなんです。
今ね、結論だけ伝えておきます。
この e を計算していくと、e=2.7182812845904523534..........
これ π とおんなじ、どこまでもどこまでもどこまでも果てしなく続く無理数です。
無限の宇宙から、π が、e の元に舞い降ります。
そして恥ずかしがり屋の i と、握手する。
彼らは身を寄せ合って、じっと息をひそめています。
e も π も i も決して繋がらない。
でもね、1人の人間がたったひとつだけ足し算をすると、世界は変わります。
矛盾するものが統一され、ゼロ。
つまり、無に抱き留められます。
![]()
これはね18世紀最大の数学者、レオナルド・オイラーが編み出した方式です。
これをオイラーの公式といい、無関係にしか見えない数の間に自然な繋がりを発見しました。
これはね・・・そう、暗闇に光る一筋の美しい流星、ぴゅーーっ
これが博士の愛した数式です。
夜空に光るひとつの星の美しさ、野に咲く一輪の花の美しさ、そういったことをね、
説明するのが難しいように、数式の美しさを説明するのは難しいんです。
僕だって わからないことばっかり。
でも博士は感じることが大切だと教えてくれました。
君たちも直感を磨いて、豊かな感情を育ててください。
この美しさは必ず感じられる。
そのためにも数学に愛情をもって一緒に努力して欲しい。
吉岡秀隆さんが発する詩のように紡ぎ出されたセリフから、本のテーマがヒシヒシと伝わる。
数字の素晴らしさはこういうことなのかと。
博士は数字を目にする度に、こんなことを言っていた。
「24、ほお、実に潔い数字だ。4の階乗だ」
「11、美しい素数だ。素数の中でもことさらに美しい素数だ」
「三角数、実にエレガントな数字なんだ」
博士の数字に対する愛情と、直観力はルートに引き継がれた。
そしてそれは、ルートから中学生たちに引き継がれていく。
オリジナルの江夏豊の話が薄くなっているのは少し残念だったが、
映画では大人になったルートを登場させることで見事な着地点をみせてくれた。

私には、《eπi+1=0》の 0 の無が、《何もない無》ではなく、
人から人へと無限につながっていく《無限の無》に感じた。
最後にもうひとつ、この映画を引き立てているのはロケ地だと思う。
家政婦が自転車で博士の家に通う道は、千曲川の遊歩道らしい。
そして博士がルートの応援に行った野球場は、、、、上田城跡公園野球場


懐かしい、あの上田の野球場が映し出され、私の心は弾んだ。
2015年7月5日撮影 上田城跡公園野球場

本日の昼ごはん 2025年04月06日
ケールを使ったペペロンチーノ

本日の夜ごはん 2025年04月06日
具がどどんと

初めてのレモン鍋。

三品盛の左は、うずら卵の甘辛醤油漬

レモン鍋は、モランボンの糀 レモン鍋スープで作りました。

酸っぱくて食べられないかもと心配だったが、
さっぱりしていてとても美味しい!

レタス・ケール・トマト・長ねぎ・鶏モモ肉・春雨のヘルシーな鍋に舌鼓打ちました

〆に、お菓子作家KAYANOさん手作りのベーグルを

クリームチーズを塗ってぱくぱく


デザートは、黄色と赤のキウイの食べ比べ


