Garadanikki

日々のことつれづれ Marcoのがらくた日記

小川洋子『ことり』

 

小川洋子著『ことり』読了

【あらすじ】

 ある日、〈小鳥の小父さん〉が、自宅で亡くなっているのが、新聞の集金人によって発見される。遺体は横向きになっており、背中を丸め、両足を軽く曲げた状態で、両腕で竹製の鳥かごを抱いていた。鳥かごの中の止まり木には、メジロが1羽止まっていた。

 

〈小鳥の小父さん〉には、独自の言語でしか話せない兄がおり、その言語を理解できるのは〈小鳥の小父さん〉だけだった。その兄が52歳で亡くなった後、〈小鳥の小父さん〉は近所の幼稚園の鳥小屋の世話をするようになり、彼は園児たちから〈小鳥の小父さん〉と呼ばれるようになっていたのだった。

Wikipediaより

 

 

小川さんの作品は、静かでいい。

『博士が愛した数式』の博士も、『猫を抱いて象と泳ぐ』のリトル・アリョーヒンも、この作品の小父さんも、自分の愛するもの見つけ、それを大切に育みながらひっそりと暮らしている。

 

世間から見れば彼らは〈はぐれもの〉にうつるかも知れないが、人になんと言われようが、気にすることなく我が道をつらぬく姿は感動的だ。

他人からは〈孤高の人〉にみえるかもしれないし、〈寂しい人生〉と思われるかもしれないが、実は彼らのような生き方こそ一番贅沢で 幸せなのだと思う。

 

主人公のお兄さんは、幸せな人だった

お兄さんが、鳥と弟しか理解できないポーポー語しか喋らなかったのも、純粋さをつきつめた結果だろうと思う。鳥の言葉には、人間が持つ悪意や亀裂を生む負の言葉がないだろうからだ。そうした意地悪な感情をそぎ落とし、遠のいたところにあるコミュニケーションツールがお兄さんにとってのポーポー語だったのではないかと感じた。

 

孤高の人

それに比べて、お兄さんが亡くなった後の「ことりの小父さん」は気の毒である。

ひとりになった彼は、必要最小限の人づきあいをしなければならなかったのだから。

それでも小父さんは、お兄さんとの思い出を抱え、鳥たちと健気に生きた。

お兄さんより生きづらかっただろうが、それでも小父さんには、心温まる付き合いがあったことが、読んでいて救いだった。

図書館の司書さんとの出会いや、幼稚園園長先生との何気ない会話のシーンには、

小父さんの孤独な世界に、天使の階段から光が注いだように感じ、ほっとさせられた。

だが、それもつかの間。

園長先生や、虫箱を持つ老人とは死に分かれてしまう。

そして司書さんも突然姿を消す。

 

人との別れは辛いものだが、動物との別れも悲しい。

特に小鳥の命は実にはかないものだということを、私はこの本で思い出した。

5月6日は、今年で7年目の愛鳥の命日。

文鳥ぴ~の死は不慮のものだったが、本に出てくる小鳥たちの死も突然おこる。

秋の風が冷たくなってきた頃、幼稚園の鳥小屋で十姉妹が一羽死んだ。

「朝は何の変わりもなかったんですよ」

園長先生が、小鳥が死んだ時、口にするのはいつも同じこの言葉だったが、

弱みはみせないんです

小父さんの答えも、毎回変わりなかった。

p.185

 

鳥は弱みを見せない

小父さんのこの言葉も印象的だが、お兄さんの言葉もひどく心にしみた。

台風が来る前に、お兄さんと弟が交わした会話である。

「幼稚園の鳥小屋、大丈夫かな」

ソファーに寝そべり、バイオリンと風雨、両方に耳を傾けつつ小父さんは言った。

「園長先生が防水シートをかぶせた」

お兄さんは答えた。

「今日の夕方。台風が来る前に。ちゃんと」

幼稚園の中には一度も足を踏み入れたことがないにもかかわらず、鳥小屋についてお兄さんは何でも知っていた。

「あっ、そうか」

「うん」

「さぞかし怯えているだろうね。彼ら、臆病だから」

違う。臆病ではない。慎重なのだ

慎重、という言葉にお兄さんはことさら力を込めた。

「前に僕が風邪をひいて、マスクをして鳥小屋の前に行ったら、皆怖がって一斉にバタバタ逃げたことがあったね。あれも慎重のせいなの?」

「そう、そのとおり。マスクが怖いからではなく、昨日までと違うから警戒した。小鳥は記憶を持ってる。首をかしげて、両側の目一個ずつで、慎重に」

p.90

 

鳥は弱みをみせない

鳥は臆病ではない、慎重なのだ

確かに、と思った。

私と愛鳥との付き合いは短かかったが、この言葉を読んで、その通りだと頷いた。

 

 

この本には、わからないことがふたつあった。

ひとつは、司書さんの唐突すぎる去り方。

彼女は何故、何も言わずに姿を消したのだろう。

 

そしてもうひとつは十姉妹の亡骸についてだ。

なぜ小父さんはこの一羽だけ「ことりのお墓」に埋めずに、川に放り投げたのだろう。

 

このふたつがやけにひっかかって感じたが、もしかしたら私が何かを読み落としたのかもしれない。

 

人間の業にドキリとする

この本には、利己的な愛玩者がふたり出てくる。

 

ひとりは、虫箱の老人。

彼は、群れをなさない鈴虫を一匹選び、小さな箱に入れ、その鈴虫の音を楽しんでいる。

しかし、虫箱から音色が途絶え鈴虫が死んだとわかると、鈴虫の亡骸を放り捨て踏みつぶした。

 

もうひとりは、メジロを飼育する男。

彼は、鳴き合わせ会で賞金を勝ち取るためにメジロを飼育する。

この鳴き合わせ会のシーンは、現実ではなく小父さんの夢物語のようだが、

世間にはこういう私利私欲のために飼い主も沢山いる。

 

作者がほのぼのとしたこの作品の中にこうした輩を登場させ、主人公と対比させたことに、私はドキリとしてしまった。

 

 

この本はよんばばさんのブログで知り、ずっと読みたいと思っていた作品だった。

いつものことながら、よんばばさんの書評はわかりやすく的確なので、

まだ読まれていない方のために、紹介させていただきたいと思う。

hikikomoriobaba.hatenadiary.com

 

 

 

本日の昼ごはん 2025年04月25日

あごだしうどん 餅入り

いつもMOURI は餅入りで「君も入れる?」と聞かれるのだが、

ダイエットから「いらなーい」を通してきた。

やっぱり餅入りは美味しいものだなあ

 

 

本日のおやつ

カスクートに、レタス・ハム・チーズを挟んだもの

 

 

本日の夜ごはん 2025年04月25日

黄色い食卓

中薄切りの豚肉を焼いて、塩コショウと醤油をしたものはキャベツにあうあう

 

高野豆腐

 

エシャレット 先日食べきった塩らっきょうの次に好き

 

〆は焼きそば