Garadanikki

日々のことつれづれ Marcoのがらくた日記

町田そのこ『ぎょらん』

 

町田そのこ 著『ぎょらん』読了

人が死ぬ際に残す珠「ぎょらん」。

噛み潰せば、死者の最期の願いがわかるのだという。

地方都市の葬儀会社に勤める元引きこもり青年・朱鷺(とき)は、ある理由から都市伝説めいたこの珠の真相を調べ続けていた。「ぎょらん」をきっかけに交わり始める様々な生。死者への後悔を抱えた彼らに珠は何を告げるのか。傷ついた魂の再生を圧倒的筆力で描く7編の連作集。文庫書き下ろし「赤はこれからも」収録。 

新潮社 公式HPより

 

収監されている七つの短編は、必ず 誰かしらの「死」が絡んでいる。

〔ぎょらん〕という ちょっと気味の悪いタイトルで、人が死ぬということばかりの話だから、暗くて重くて辛い気持ちになりそうなのに、何故かこの本に後味の悪さはない。

むしろ気持ちがすっと晴れるくらいに、心の澱が浄化されるような読了感がある。

 

もちろん人が死に、残された人が辛い思いをするのだから、読んでいて沢山泣いた。

だが〔人は必ず死ぬのだから、後悔ないように生きたい、見送りたい〕という気持ちにさせてくれた。

 

この本の主人公・朱鷺(とき)は、親友の自死の発見者になり、親友の「ぎょらん」を食べたことがキッカケで人生が狂っていく。10年間 真っ当な社会生活が送れずニートになっている。母親は引きこもりの息子の自立を信じ見守り通す潔い女性。妹は、母が兄に甘いと不満に思うが、同時に兄の優しさも十分認めている。

 

ニートを続けた朱鷺(ときが社会復帰し、働き始めたのは葬儀会社だった。

彼は、葬儀社で出会う遺族に寄り添うことによって「死者が残した最後の言葉-ぎょらん」を追いものとめるが、妹の恋人の死、知人の死、母の死など沢山の別れを経験しながら、ぎょらんの持つ本当の意味に気づくようになる。

 

この本の登場人物は、それぞれ小さなエゴを抱えている。

例えば、グループホーム ( 介護センター ) のスタッフの七瀬さんは、仕事をしながら末期癌の先輩・那須さんの見舞いに日参する。那須さんは七瀬さんの恋人ではない。七瀬さんはバツイチの那須さんに慕いを寄せるが、那須さんはそれに気づいていながら進展させようとしなかった。

七瀬さんはある日、那須さんが別れた妻子に会いたがっていることを知る。

彼女は那須さんの最期の願いを叶えるため彼の元妻と連絡を取るべきだとはわかっていながら〔会わせたくない〕という気持ちと戦っていた。

 

それを知った朱鷺(ときは、七瀬さんにハッキリと言う。

 

「あなたはさっきから『連絡をしないといけないけれど無理』だと言っている。

 行方をくらました元妻の、誰も知るはずのない連絡先を、あなたは知っているんですか?」

 

( 知っているなら ) 後悔するとわかっているなら、悩むことはない。連絡すべきです。

 たとえ、自分が辛くても」

 

「僕は、それで十数年苦しんだんだ」

 

朱鷺(ときが苦しんだのも、彼の小さなエゴが原因だった。

 

この本の中には、エゴや〔やってあげれば良かった〕〔あそこで止めれば良かった〕という後悔が沢山つまっている。その後悔が原因で、死者と別れることがうまく出来ずにいる人々の気持ちが描かれている。

〔ぎょらん〕というおぞましい物体に翻弄される人々の気持ちとストーリー展開の見事さに度肝を抜かれた作品だった。

 

 

心に残る人物 茂子さんとさあちゃん

私が特に心に浸みたのは、グループホームの入居者で身寄りもなく死を迎える茂子さんの話。

茂子さんは冷めたものしか食べられなかった。湯気の立つものを見ると泣きだす茂子さんの為に、スタッフは茂子さんの分だけ何でも冷ましてから出していた。

その理由が茂子さんの悲しい過去にあったことと、ボランティアの女子高生の母親との関りがとても悲しい。

そこにも、小さなエゴや気持ちのすれ違いがあったことを著者がみつけて、ひとりひとりの心に沿わせて描いているのが素晴らしかった。

 

 

 

本日の昼ごはん 2025年05月15日

サッポロ一番 豚骨塩ラーメン

 

 

 

本日の夜ごはん 2025年05月16日

Oさんの買い物に同行して買っていただいた食材とお惣菜がメイン。

Oさんの奥様は、練り物 ( はんぺん・蒲鉾など ) が苦手。

私が買い物かごに放り込む、ちくわぶ、さつまあげに目が点になった。

 

Oさんから頂戴したグリーングルメの一品

生ナスに白ごまとネギ塩をまぶして、石垣の塩ガーリックソースをかけたもの。

生のナスのカフッとした食感が美味しかった。