Garadanikki

日々のことつれづれ Marcoのがらくた日記

旧小坂邸 6 庭

 

5/16、小坂邸の建物から庭に。

旧小坂邸の魅力は建物もだが、広大な庭も見事。

 

敷地は国分寺崖線にあり、屋敷があるのが北側の高台で、

そこから南 ( 多摩川 ) の方にむかって低くなっている。

サンルームの机には、庭木の間から富士山が写っている写真が展示してあったが、

小坂さんが住んでいた当時はまだ木々も低かっただろうから、もっとよく見えたのではないかと思う。

 

さて旧小坂庭園は、正式には「瀬田四丁目旧小坂緑地」というらしい。

屋敷の玄関を出た左側には、庭へと向かう門があり、遊歩道が整備されていた。

 

正門から見た写真

右手の屋根付き門が庭への入り口


門をくぐり、建物を見ると面白い凹凸がある。

書斎のマントルピースの上部にあった金箔の洞の部分と思われる。

 

右手にベンチがある。

現在ここには小坂邸の建物しかないけれど、

昔はあのあたりに「管理人住居・車庫・運転手控室」が建っていたらしい。

 

もみじは新緑の頃も美しい。

秋の小坂邸の庭は、もみじの紅葉が人気らしい。

 

夏には、ヤブミョウガも白い花が咲くだろう。

 

庭のあちこちに「カタクリ」という看板があったが、

3月から4月にかけてはカタクリの花が見ごろを迎えるらしい。

春⸻カタクリ ( 片栗 ) (花期:3月下旬~4月上旬 ) 

中門 ( 腕木門・木戸門 ) をくぐると「カタクリ」の表示が目に入る。それに従い回遊式庭園の坂を下ると、まもなく左手にカタクリの群生地が現れる。カタクリはかつて世田谷区のこのような雑木林の斜面に群生していたが、今では殆ど姿を消している。

 ここのカタクリは以前に植栽されたものだが、群生地として今では貴重な存在になっている。

 早春の一時期、ピンク色の花びらを反巻して咲き、ヒカリに向かい跳ねているような姿は、春の妖精に例えられている。

 5月には葉も枯れ、球根だけを地中に残し来春までその存在を消す。

 今後ともこのカタクリの群生地は大切に守っていきたいと思っている。

佐藤信子

「風のコラム」 2023年 春号 Vol.26より

https://toramatidai-dousou.jimdofree.com/%E6%97%A7%E5%B0%8F%E5%9D%82%E9%82%B8-%E7%AE%A1%E7%90%86%E4%BA%BA-%E9%A2%A8%E3%81%AE%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%83%A0/

 

 

 

眼下の平たい場所まで、かなりの高低差が感じられる。

 

ふと見上げると、薄紫の花が風にそよいでいる。

ズームしてみたが、何という木かわからない。

薄紫に見えるが、もしかしたらこれから開花する蕾かしら。

なんじゃもんじゃ( ヒトツバタゴ ) の木かも。。。。

 

はるか下の平なところ、もしかしたらあそこが、離れ ( 茶室 ) があった場所かも知れない。

小坂順造は横山大観とも付き合いがあり、戦時中 大観がここに住んでいたという。

※ 昭和20年3月、大観は、小坂邸の隣家に住んでいた堅山南風 ( 大観の高弟 ) を通じて、邸内の茶屋に避難したいが貸してもらえないかと申し入れた由。 

 

笹竹の手前に水が流れている。

「風のコラム」 ( パンフレット ) によれば、国分寺崖線面の地層から湧き水が出ていて、かつて横山大観が住んだ数寄屋 跡地の脇を流れ、池につながっているとのこと。

 

竹林の中に、ぬっと現れた鉄の塊。

いったい何に使われたものなのだろう。

 

竹林も見事。かなり立派に伸びている。

瀬田四丁目旧小坂庭園は、平成20年7月より7ヶ月かけて改修整備が行われた。

設計工事は世田谷区役所公園緑地課によって行われ、茂り過ぎた竹林の整理や 崩れた樹形の剪定など、不自然にならないよう配慮しながらバランスよく整えたそうだ。

 

湿地部分には木造の遊歩道が、

 

竹林の脇には柔らかい踏み心地のアスファルトが配備されている。

 

庚申塔と立て札があった

 

この庚申塔二基は、玉川四丁目三十六番に所在した幽篁堂庭園内にあったものである。幽篁堂庭園は、骨董屋を営んでいた本山豐實氏が昭和初期に田圃地を借り上げ築造し、その店名にちなんで命名したと考えられる。同庭園はその後数度にわたり所有者が変更しているが、東京オリンピック前には不二サッシ(株)関連の所有となり吉田五十八氏の設計になる迎賓館建設、飯田十基氏、小林善一氏らによる作庭が行われた。二つの池を流れにより結ぶ庭園内には、他から移築した和風接客棟、二棟の茶室など大小の建築物が配され、更に添景として多数の石造物が所在した。平成十三年七月、庭園の廃止に伴いこれらの石造物の多くは他に引き取られることになったが、この二基の庚申塔は世田谷区に寄贈され、この地に移された。

 

庚申塔 ( 一猿 ) 

年代 元禄二年 ( 1689 )

元禄二禾之巳    諸衆

奉造立庚申供養諸願成就祈攸 ( 一猿 ) 

 九月廿七日     敬白

 

庚申塔 ( 三猿 )   年代 宝永五年 ( 1708 ) 

【左面】 

同 米四郎、同 次朗右衛門、同 善九郎、同 次兵衛、同 長四郎

【正面】

青面金剛  邪気 三猿

同 七兵衛、同 半三郎、宇田川政右衛門、鳥海 伝兵衛、

同 三左衛門、石井三左衛門、太田七良右衛門

【右面】

寛永五戌子年

奉造立庚申供養諸願成就所

十一月祥日

同 儀右衛門、高柳傳左衛門、新井杢兵衛

 

南門に到着

初めてここに来た時には5時を回っていたため閉園していて、

気になっていた場所で、今回やっと訪れることができた。

 

秋の紅葉の頃にまた訪れたいと心に誓う

 

シャリンバイかな? 綺麗

 

猫のエサやりについての看板

「公園に捨てられた猫」とある、猫が生息しているのだろうか。

看板によると「餌やり絶対禁止」ではないようで、

「餌をやるのでしたら以下のことも行ってください」と書いてある。

去勢・避妊の手術をする、餌を放置しない、猫が食べ終わるまで待って片づけをする、糞の始末をする、近所の方への理解を求める、人間になついている猫は里親を探す。

そんなことを心がければ、エサやりをしても良いという感じなのかな。

世田谷区、、、なんだか優しい💛

 

 

 

 

2025年05月22日 昼ごはん

マンネリのツナマヨパスタにルッコラを入れて御花畑にした

 

 

2025年05月22日 夜ごはん

MOURI がウクレレレッスンの日のひとり飯

薄いロースかつ3枚と、エビフライ。

もちろん全部は食べません、1/3食べて残りはMOURIの夜食。