カルガモ? よくわからないけれど、4羽仲良くすーいすい

私を見たら、一羽 陸に登ろうとした。
私が何もくれそうもないと気づいたらしく、登るのをやめて、また泳ぎ出す。
ご飯をくれる人がいるのかも知れない。

こういう看板があると、すぐ写真を撮ってしまう。

旧小坂邸とお庭を楽しんだ後、向かったのは隣の静嘉堂文庫。
先日は、閉門時間ギリギリだったので今日は早めに来園。

岡本町は国分寺崖線の際で景勝地ゆえ、お大尽が沢山住んでいた。
小坂順造さんの向こうのお山は、岩崎一族のお墓 ( 別荘 ) だったし、
小坂邸の北側には日産の創業者鮎川義介邸があったし、
さらに北に行けば松方正義邸があったし ( そこには幣原喜重郎さんも住んでいた )
もうひと山向こうには、高橋是清さんの別邸もあった。
そうそう。
小坂邸を建設した清水建設 ( 清水組 ) の副社長・清水楊一郎さんの別邸もありました。
だが、今でも家が残っているのは小坂邸だけで、みんな形を変えている。
岩崎さんちは岩崎家の霊廟と静嘉堂文庫になり、
鮎川さんちは武家屋敷門だけ残してマンションになり、
松方さんちは聖ドミニコ学園になり、
高橋さんちは玉川幼稚園になり、
清水さんちは玉川病院になった。

これから向かう静嘉堂文庫は、岩崎家が所有していた土地に建つ個人の図書館だ。
図書館といっても一般の人は入れず、大学生以上の研究者で具体的な研究内容を提示して申請しないと閲覧できない。
だから近くにいながら縁がなく訪れたことがなかった。
2021年までは静嘉堂文庫の隣に、美術館もあったが、丸の内の明治生命館に移転して、こちらは閉まっているようだ。
そんなわけで本を読むでも美術に触れるでもない、目的なしの散策。
正門を入ると、谷戸川に沿って左に小径があるので分け入ってみる。

いいのかな。
一応鎖があるけれど、脇をすり抜けてしまった。

なんか大丈夫そうだ。
案内板があるもの。

だが、この案内板の向こうは「生物の森」として自然環境を保全するために一般開放されていないようだ。
右手に階段があるので登ることにした。

ゼイゼイゼイ いい運動だ。
階段の途中から今来た道を見下ろす。右側が入れなかった保護区。

登り切った左右に真鍮の巨大灯篭があった。

もう一度、振り返る。こんな鬱蒼とした道を登ってきたのか。

雑木林を抜けると広い場所に出た。
ここが岩崎家の納骨堂らしい。


岩崎家廟堂案内
青緑色のドームを戴く白亜の建物は、静嘉堂文庫を創設した岩崎彌之助の霊廟として建てられ、岩崎彌之助、小彌太をはじめ岩崎家代々の墓である。
明治四十三年三月、我が国西洋建築の始祖ともいうべきジョサイア・コンドルによって建てられた。コンドルは鹿鳴館、ニコライ堂、三菱一号館なども設計している。
青銅の扉に刻まれている中國二十四孝のレリーフ並びに全面の大香炉は岡崎雪聲の作である。また、森の奥には、松方正義の文と書による男爵岩崎君墓碑がある。
この霊廟は平成十一年四月東京都により歴史的建造物に選定された。
平成二十四年九月
世田谷区教育委員会
岩崎さんのお墓・・・
花も線香も持ってきていないので一礼して 失礼する。
霊廟の右側を回り込み奥にすすむと、美しい建物が出現した。

静嘉堂文庫

しばし見惚れる


静嘉堂文庫
武蔵野の面影をよく留める丘陵の一隅にこの建物は建っている。鉄筋コンクリート造二階建てスクラッチ・タイル貼りの瀟洒な建物で、イギリスの郊外住宅のスタイルを濃厚に表現している。
聖嘉堂文庫は、三菱合資会社の第四代社長であった岩崎小彌太が、その父 彌之助の収集した日本や中国の貴重な古典籍を永久に保存に、更に研究者に後悔することを目的に建設したものである。
設計者の桜井小太郎 ( 1870~1953 ) は、イギリスで建築を学び、英国風の落ち着いた品格のあるデザインを得意とした。岩崎小彌太も明治33年イギリスに留学し、ケンブリッヂ大学を卒業した英国通であり、両者の呼吸が一致した作品である。内部は玄関ホール、ラウンジ、閲覧室、2階に応接室等があり、19世紀後半イギリスのアーツ・アンド・クラフト運動の雰囲気をもっている。
隣接する旧美術館は閉まっていて、私はこの敷地に入ってから誰にも出会っていない。
休館日ではないから門も開いていたのだが、何だか無断で入り込んでしまったような居心地の悪さを感じ、早々に通用門から外に出る。

上の写真は「コロコロのアート」さまのサイトから借用しました⤵
■静嘉堂文庫美術館:岩崎家の歴史と取り巻く自然ともに庭園散策 - コロコロのアート 見て歩記&調べ歩記
向う側の高台に見える建物は、むかし松方正義の別邸だったところ。
そこが学校になったのは、松方正義の三男・幸次郎の娘の為子さんが聖ドミニコ会の修道女で、聖ドミニコ学園の初代理事長だったから「祖父の別邸だった場所に学校を建てた」ということかと思われる。

さて今日は、反対側の階段を降りて、岡本公園民家園に行く。

ここは江戸時代後期の典型的な農家の家屋敷を再現した公園。
母屋の旧長崎家住宅は、もと瀬田二丁目にあったものが区に寄贈され、復元して開園となったらしい。
「生きている古民家」をテーマに、囲炉裏には火が焚かれ、自由に入ることができる。

農村の家、、、うーん、あまり興味をそそられなかった。
ごめんなさい

民家園の背後の山に鳥居があった。

岡本八幡宮、、、「宮」なので格式が高いのであろう。
階段は、男坂というだけあって急だ。

ひっそりとした境内

参拝をし北参道から住宅地に出る。

ひつじ?

置物の羊だった。草をはむ姿が可愛らしい。

立派なお宅だ、赤松とバラのコントラストが絶妙

赤松の木に鳥の巣。
羊といい鳥の巣といい、なんともチャーミングでセンスのあるお宅。

このあたりは、大豪邸が並ぶ。


狸のみちしるべ

松本記念音楽迎賓館

松本記念音楽迎賓館は、パイオニア創業者であり、音楽鑑賞教育振興会の設立者松本望・千代夫妻の居宅として建築されたものを、夫妻の遺志を継いで、音楽教育の実践の場として一般にも利用できる記念館としたもの。

そういえば昔、この通りに「百窓」という奇天烈 斬新な家があった。

写真は、女性自身に掲載されたものだそうで、こちらのサイトさまから借用しました⤵
岡本町は、東宝や砧撮影所が近いことから、様々な映画・ドラマのロケ地になっている。
特にこの家は、近未来的なイメージなので人気が高かった。
ウルトラセブンやコメットさんなどで見たことがあるのではないだろうか。

とにかくここは岡本町の一等地。
買い物には不便な場所。
お金持ちは買い物かごをぶらさげて、、、徒歩でなんでことではないのだろう。
南側 ( 多摩川方向 ) に降りる坂は、どこも急坂だ。



このお家もすてき

最後にここ。
超ビックなシンガーソングライターのお宅。




奥行もあるし、さぞ広い敷地なのだろう。
・・・今日は随分歩いた。
なんといっても山を登ったり降りたりしたもの。
そろそろ疲れたから家に帰ります。

2025年05月23日 昼ごはん

Oさんと買い物の途中のデザート

2025年05月23日 夜ごはん


好物のしめ鯖に

ほたるいか

買い物をした日は、ほっと出す系のものが多いな

これは昨日の残りのフライです💦
