Garadanikki

日々のことつれづれ Marcoのがらくた日記

小坂善次郎さんについて



 

旧小坂邸の書斎の暖炉上にひとつの彫像がある。

小坂順造さんの次男で若くして亡くなられた善次郎さんの首像だ。

 

壁には肖像画もあった。

端正な顔立ち、爽やかな美男子である。

小坂善次郎さんは、昭和10年 ( 1935 ) 、21歳の若さで亡くなられた。

彼は、お父上が建てたこの別宅を知らないで旅立たれた。

この肖像画と首像は、順造氏の生家 ( 長野県柳原 ) で保管管理されていました。順造の孫にあたる故 小坂憲次 ( 元文相・国会議員 ) の夫人から「善次郎さんにとって、彼のご両親にゆかり深い旧小坂家住宅にあった方が相応しいのでは?」との申し出により展示しております。おかえりなさい。両親の住んだ家へ。

「風のコラム」2020年 秋冬号  Vol.24より

https://toramatidai-dousou.jimdofree.com/%E6%97%A7%E5%B0%8F%E5%9D%82%E9%82%B8-%E7%AE%A1%E7%90%86%E4%BA%BA-%E9%A2%A8%E3%81%AE%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%83%A0/

 

 

ご両親にとって、お子さんの夭折はさぞお辛いことだったろう。

 

善次郎さんのことを調べていた私は、こちらのブログにたどりつき、胸が躍った。

note.com

善次郎さんの死去に際して、小坂家で追悼の冊子を作っていたことを知った。

https://catalog.library.metro.tokyo.lg.jp/winj/opac/switch-detail.do?lang=ja&bibid=1100298419

 

実物を見てみたいと思い探したが、非売品なのでどこにも売っていない。

ただひとつ、三康図書館に蔵書があるということはわかった。

小坂順造(1881-1960)[著]. 善次郎の最后, 1935(昭和10). https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000126-I40002797

実物を見てみたいので、三康図書館には近々行ってみようと思っている。

 

下の文章は、Theopotamos (Kamikawa) 様の記事に掲載されていた「善次郎の最後」の冒頭部分だ。

善次郎の最後

小坂順造

 善次郎は一昨年九月病床に就き其後病勢一進一退でしたが此夏の暑さを避くる爲め轉地した方がよかろうとの考へから私は意を決して七月十九日に輕井澤へ同伴しました。

 土地が變つた爲か當座は氣分も宜しかつたのですが八月六日の晝食後急に嘔吐を催して漸次下腹部が膨張し飲食物は留まらず苦痛がはげしかつたので七日の午前青山博士の診断を乞いましたが青山博士は腸閉塞と診断されました。然も身體の衰弱が甚しいので切開手術は不可能なりとの事で自然の便通を萬一に僥倖して注射によつて一時の苦痛を凌いで居りましたが容體が益々悪化する一方なので九日島薗博士の来診を乞ひ青山博士と立會診断の結果此際施す根本的の方法がないとのことで注射と輸血で天命を俊つの状態となりました。

 

 八月十日午前七時、母彼の寝室に行く彼は読みかけの聖書を伏せて「御早うございます」と挨拶し二日振りにて口中を洗ふ私も亦病室へ這入る。

 善次郎の顔は晴ればれとして輝き渡るやうで六日以來の苦悩の跡形もない。

 突然母に向つて「私は永遠の生命を得ました前に明るい途が見えて來ました死の恐怖が去つて何といふ朗らかさでせう」と申しました。

 

ここに書かれている「青山博士」「島薗博士」の名前を見て、もしやと思い調べてみたところ、多分このお2人ではないかと思い当たった。

年齢的観点と、大学病院ということで、青山博士とは青山徹蔵さん、島薗博士とは島薗順次郎さんではないか推測する。

 

 

 

青山徹蔵さんは、明治15年 ( 1882 ) 11月2日生、昭和28年 ( 1953 ) 1月10日没

東京大学医学部内科教授・青山胤通の娘・芳子と結婚し、青山姓となった。

善次郎さんが亡くなられた昭和10年 (1935 ) には、東京大学医学部の第一外科部長をしている。この期間に内分泌とくに甲状腺・肝・胆汁排出に関した諸問題、胃潰瘍・胃炎・腹部臓器と自律神経・脳外科・骨髄縁感染症などについての研究成果をあげている。

教室の沿革 | 東京大学医学部 腫瘍外科・血管外科

 

島薗順次郎さんは、明治10年 ( 1877 ) 3月12日生、昭和12年 ( 1937 ) 4月27日没

善次郎さんが亡くなられた昭和10年 (1935 ) には、東京大学医学部付属医院長である。

 

 

青山徹蔵さんと島薗順次郎さんは、三井病院の泉橋慈善病院で一緒だった。

青山哲三さんは、泉橋慈善病院の外科部長で、

島薗順次郎さんは、泉橋慈善病院の第4代病院長。

つまり、ここでも先輩後輩の仲だった。 

https://www.mitsuihosp.or.jp/media/08.pdf

 

以上のことから私は、青山博士が上司 ( 先輩にあたる ) 島薗順次郎さんに、小坂善次郎さんの病状を相談し、診断にあたったと推測した。

 

 

ここでひとつ、小坂家と島薗家の共通点の話をしたい。

私が「島薗」という名前にピンと来たのは珍しい漢字であるということもあるが、昔 千駄木の旧島薗邸を見学したことにある。

その島薗邸を思い出すキッカケになったのが、小坂家に、島薗にあったのと同じ女中呼出盤を見たからだ。

 

左 ) 旧小坂邸の呼び出し盤、    右) 旧島薗邸の呼び出し盤

 

二つが同じメーカーのものかはわからないが、当時としては珍しいものだと思う。

 

garadanikki.hatenablog.com

※ 千駄木の島薗邸は、島薗順次郎さんが長男・島薗順雄のりおさんの結婚の新居として昭和7年に建ててあげたもの。

 

二つの家の呼び出し盤と、医師と患者の関係

小坂善次郎さんが亡くなる時に診察をされた博士が「島薗順次郎さん」かどうかは推測でしかないけれど、私は小坂家と島薗家との間に 奇妙な縁を感じワクワクしてしまった。

 

 

善次郎さんのひととなり

「風のコラム」2020年秋冬豪 Vol.24には、小坂順造さんと妻の花子さん、三人の息子さんの写真が掲載されていて、このようなコラムもあったことも触れておきたい。

https://toramatidai-dousou.jimdofree.com/%E6%97%A7%E5%B0%8F%E5%9D%82%E9%82%B8-%E7%AE%A1%E7%90%86%E4%BA%BA-%E9%A2%A8%E3%81%AE%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%83%A0/

善次郎 ( 次男 ) 肖像画・首像のモデル

善次郎 ( 大正3年~昭和10年 ) は、父順造 母花子の次男です。2年余りの闘病後、療養の軽井沢で21歳の若さで夭折しました。登山、カメラ、音楽の好きな快活な青年で、特に音楽では初等科から高等科まで学んだ学習院の音楽部に属し、フルートの腕前は衆目の的でした。百年以上昔に生まれた人ですが、現在の環境相小泉進次郎を彷彿させるイケメンだなとの印象を受けております。異論はあるかと思いますが。

 

闘病中、母の影響で信仰の道に入り、クリスマスに母より贈られた聖書を手元から離さず、死の際には苦痛や恐れの言葉を発することなく、家族への感謝と別れの言葉を告げ十字架を切り、永遠の眠りにつきました。

 

善次郎を亡くした家族、特に両親の嘆きや喪失感は深く、亡くなった翌年に、山を愛した息子を偲び、信州菅平に【善次郎ヒュッテ】を作り供養しました。そのことは当時大きな話題になり、新聞に掲載され多くの読者に感銘を与えました。後年、母花子が若い人々に深い関心を示し、母校の同窓会会長などの社会的活動を行うきっかけや原動力にもなりました。

佐藤信子

 ( 出典: 『小坂順造』『思い出 小坂花子』『あれからこれから体験的戦後政治史』/ 小坂善太郎著 『追想 小坂徳三郎』 ) 

 

 

 

 

2025年05月25日 昼ごはん

美登利寿司のちらし寿司

ちらし寿司というと何故かつけちゃうとろろ昆布汁

 

 

 

2025年05月25日 夜ごはん

三品盛は、厚揚げ、枝豆、うにくらげ

久しぶりにプチプチ海藻麺を見つけたので、サラダにまぜる!

 

小鉢は、ジャガイモのソース炒め

 

メインは、ホルモン焼き

豆腐、キャベツ、ニラを加えていただきました

味噌味がとても美味しい