Garadanikki

日々のことつれづれ Marcoのがらくた日記

下村敦史『ヴィクトリアン・ホテル』

 

下村敦史 著『ヴィクトリアン・ホテル』読了

この本を読もうと思ったキッカケは、さきに読んだアンソロジーに、

著者が同じヴィクトリアン・ホテルで短編を書いていたからだった。

 

【内容】

超高級ホテル「ヴィクトリアン・ホテル」が改築のため、百年の歴史にいったん幕を下ろす。

ホテルを訪れたのはこんな人たち。

大女優を母に持つ、休業中の俳優、佐倉優美。

林志津子と夫は、弁当屋を畳み土地を売り払っても返しきれない借金を抱えていた。

森沢祐一郎は、数多くのテレビ番組のスポンサーを務める大企業の宣伝マン、その立場を利用し女優の卵を部屋に呼び寄せるナンパ男だった。

新人作家の高見光彦は、受賞した文学賞のパーティーでの挨拶を控え緊張しきっている。

三木本高志は、仕事先の金に手をつけ自暴自棄になりパーティー会場に忍び込んだ挙句、女優のバッグから金を盗んでしまう。

それぞれ問題を抱えてホテルを訪れた人々、彼らの運命の行方は⸻?

 

 

この本は、ホテルを訪れる宿泊客同士がすれ違うことで、それぞれの人生が変わっていくという展開に、時間的な仕掛けが加味され「あっ」と言わせる作品。

だが、私は「あっ!」ではなく「ふーん」という感覚の方が強かった。

「ふーん」で終わった勿体なさの原因は、エピソードに微妙な温さがあったからだ。

 

例えば、

100年の歴史を持つ魅力的なホテルというが、その魅力が私にはあまり響いてこなかった。

冒頭にホテルのことが、ゴージャスだが宿泊客に安心感を与える設えであることが数々の言い回しで描写されている。だが客がホテルの建替えを残念がる理由としてはまだ薄い。ホテルの魅力はマンパワーにもあるからだ。

そこでキーマンになるのがホテルマンの存在で、ベルマンの岡野が客を丁重にもてなすシーンはあるにはある。だがそれはどのホテルにもあることで100年の重みのホテルを形容するのはまだまだ足りない。

 

岡野の父親が、同ホテルのドアマンから出発し支配人にまでなったということや、息子が父を見てホテルマンになろうと思ったと書かれているが、具体的な父のエピソード ( どこを見てホテルマンを目指したかが ) 書かれていなかったのも残念。

他の登場人物のエピソードも、ステレオタイプな描き方なのが気になった。

例えばスリの三木本高志。

彼は両親から愛情をかけられた記憶がなく、周囲からも優しくされたことがないと書かれている。そんな三木本がホテルで犯した罪を《庇ってもらった》ことで、改心するというのも如何なものか。。。優しくされた経験がなかった人間が、初めて優しくされた、というだけで人はそんなに変わるものなのか。

 

三木本を庇った彼女も何故その場で犯罪者を見逃したのか、その心理がはかり知れない。

三木本を見逃してやったとする過去の思い出が、彼女の後々の悩み ( ※ 優しくしたことをSNSで非難されたというエピソード ) にリンクするのだが、その為のシーンとしては少々乱暴な気がする。

※ SNSの批判というのはこうだ。

切符を買えずにいる外国人に千円札を手渡したエピソードをテレビ番組で語ったところ、SNSで痛烈に批判された。

⸻そういう外国人はほとんど詐欺です。あなたは善意のつもりで気持ちよくなっているかもしれませんが、詐欺師に成功体験を与えただけです。あなたのせいで、これからも被害が出るでしょうね。犯罪者の片棒を担いだ責任を感じてください。

 

女優が森沢と一夜を共にしようという気持ちになったのかも、

「ローマの休日」を持ち出してきただけでは拙く説得力が足りない。

 

 

この本には、《優しさが相手にどのような影響を与えるか》が、ひとつのテーマになっているようだが、スリの犯人を庇ったとか、エレベーターで命を救われて助言をされたといったことだけでは人の人生は変わらないのではないかと、私にはその理由のひとつひとつが唐突に感じてしまった。

作者はこの本の中で色々な登場人物にこんなことを言わせている。

  • 善意でとらえるか悪意でとらえるかで人の印象は変わる
  • 人間の見方は、本人が気づいてないだけで、自分の偏見をさらけ出しているのと同じだ
  • 誰も傷つけない作品 ( 小説 ) など存在しない

言いたいことはよくわかるが、それを登場人物に言わせるだけでなく、

具体的なエピソードとして物語に反映させてこそ、読者の共感を得られるのではないだろうか。手厳しいようで申し訳ないが、もうひと工夫ふた工夫考え抜いたストーリーづくりの先に、読者の感動があるような気がしてならない。

 

筆者は、時間的しかけを分かってもらえるように、終盤の部分のいくつかの言葉に「ヽヽヽ」のルビを付けている。

だがそれは読者の読書力や注意力、想像力といったものを、作者が信頼していないような気がして無念だった。選び抜かれた言葉と、必然的な設定が駆使されていれば、そうしたヒントなくしても読者は気づいてくれるはずだから。

 

 

2025年05月28日 昼ごはん

味噌煮込みうどん 今季これが最後かな 

 

 

 

2025年05月28日 夜ごはん

なんだかとても面白い鍋を食べた。

海苔鍋・・・

具は、鶏肉・九条ネギ・豆腐・キノコ類

 

お口直しはさっぱりとしたカブの浅漬け

三品盛は、緑に統一してみました