5月20日 天気が良いので世田谷区の上町あたりをぶらつきます。
これに乗りました💛⤵

世田谷線 100周年記念の車両
これも綺麗だが、幸福の招き猫列車に乗りたかったな
世田谷代官屋敷に行くので、世田谷線の上町駅で下車。

路線図では上町のところで大きくL字に曲がっています。
地図を見ると、松陰神社と書かれている〇の部分に世田谷区役所がある。
そこを通れば三軒茶屋まで真っすぐだし、区民の利便性としても高いと思う。

なのに何故、世田谷区役所を通らず上町方向に路線があるのか・・・
上町には世田谷代官屋敷 ( 赤丸で囲んだ紫の部分 ) があり、世田谷線は大きく南に迂回するルートを通っている。
世田谷線が上町駅あたりで大きくL字に曲がっているのは何故なのか?
これは「ブラタモリ」でも解説していたが、お代官さまと関係があるらしい。
下高井戸から三軒茶屋まで玉電が通るという時、鉄道の誘致活動が始まった。
その誘致の中心となったのが、大場家14代目の大場信續さんでした。
大場家は彦根藩世田谷領20カ村の代官を世襲してきた家。
信續さんは、まず自分で上町あたりの土地を集め、それを寄付したのです。
東急電鉄はそうした地元の動きに応じて、三軒茶屋から上町の世田谷中心地
通って下高井戸に行く鉄道を結ぶ決意をしました。
上町駅から、代官屋敷までは7~8分。
ボロ市がない時はこの辺りはひっそりとした道。
途中に気になるシフォンケーキの店があったが、史料館の開館時間を優先して帰りによることにした。
代官屋敷に到着!

表門

重要文化財 大場家住宅
この住宅は、大場家7代六兵衛盛政が元文2年 ( 1737 ) と宝暦3年 ( 1753 ) の二度にわたる工事によって完成したものであります。
大場家は、元文4年 ( 1739 ) から幕末まで彦根藩世田谷領の代官職を世襲したので、その役宅として使用されていました。
江戸時代中期上層民家の遺構をよく保存する建物として、主家及び表門の2棟が、昭和53年1月21日 国の重要文化財に指定されました。
茅葺きの軒に見とれる💛

代官屋敷の正面

ここが屋敷の玄関

白洲跡を通り過ぎでずんずん進む

敷地の右奥にある、世田谷区立郷土資料館

見事なクスノキを奥に入口がありました

今日ここに来た目的は、史料を購入したかったから。
一階受付の販売コーナーには、世田谷の史料が沢山あるんです。
お目当ての史料「飯田家文書目録」

この本には、用賀村の名主だった飯田家と、年寄役だった高橋五郎右衛門さんの記録の往復書簡を始め、色々な文書が収められている。
高橋五郎右衛門さんは、用賀村の名士。
以前 訪れた用賀の公園「五郎様の森」は、昔ここに高橋五郎右衛門さんの家屋敷があり、そんなことから皆は親しみをこめて「ごろさまの森」と言っていたという。
その五郎右衛門のことを調べたくて、今日はこの史料を買いにきたのです。
こんなのも買ってしまった!
好物の地図

半地下には閲覧コーナーが。

世田谷をはじめ、日本中の郷土関係の本が収監されている。
風土記や柳田國男全集 ( 32巻 ) もあったので、郷土関係の調べものをしたい時にまた来よう。
2階常設展示室には、縄文時代からの珍しい品や、大場家関係の調度品もあった。
懐かしい昭和の黒電話
初期のものと、そのあとに使われたもの

両方とも実家にあったが、やはり初期のものの方がずっしりしていて趣があったな。
閲覧室で色々な史料を見て楽しんで外に出てきたら、暑かった。
今年一番の暑さだ。
ジリジリの日差しを遮ってくれるクスノキさまの木陰、気持ちよかった

代官屋敷の裏手には二階部分があった。

この二階座敷は、嘉永年間 ( 1848~1854 ) に、11代の当主・隼之助が増築したものらしい。
現在の屋敷は復元されたものとのこと。
表門を内側から見た

屋敷の図面
これは現存する一番古い図面

こちらが現在の図面


西南端に位置する7畳半の部屋に「切腹の間」と書いてあった。
代官屋敷に罪人が切腹するための部屋があったのかなと思ったら、そうではなく
《大場家ではこの部屋を「切腹の間」と呼び、「事る時はここでいつでも腹を切る覚悟で職務にあたった」と伝えられていたのだそうだ》
屋敷内をひととおり見学させていただき、帰路につくが、
楽しみにしていたシフォンケーキは完売で店は閉まっていた。
世田谷線に乗る前に、上町のオオゼキで軽く買い物をして帰った。
当日の戦利品 オオゼキにて
コーンコロッケ

塩豆餅

2025年05月29日 昼ごはん
あごだしうどん まるこバージョン

2025年05月29日 夕ごはん
MOURI ウクレレの日につき、16:00に軽く明太子パスタを
