夏川草介 著『スピノザの診察室』読了

夏川さんのご本は代表作『神様のカルテ』をはじめ全部読んだと思っていたが、
これは知らなかった。
※ この本は、よんばばさんのブログで知りました。
hikikomoriobaba.hatenadiary.com
よんばばさんの記事に掲載されていた著者の言葉 ( 下記 ) に笑ってしまい、
医療が題材ですが「奇跡」は起きません。
腹黒い教授たちの権力闘争もないし、
医者が「帰ってこい!」と絶叫しながら心臓マッサージをすることもない。
しかし、奇跡や陰謀や絶叫よりもはるかに大切なことを、書ける限り書き記しました。
いつもながらのよんばばさんの解説に魅かれて購入した本だった。
本のあらすじもよんばばさんが端的にまとめてくださっているし、印象深く思ったポイントはもれなくよんばばさんが書いていらっしゃるので、これ以上なにも書くことはないのだが、私なりに好きだったエピソードやシーンを記しておきたい。
舞台は京都。
蒸し暑い夏の昼日中、自転車で往診に行く医師の姿から物語は始まる。
主人公の雄町哲郎は、大学病院で医局長まで務めた腕利き臨床医だったが、最愛の妹が病で亡くなり、妹が遺した息子 ( 彼にとって甥 ) を引き取り 面倒みるために大学病院を辞めた。
現在、哲郎が勤める原田病院は、彼の専門分野の内視鏡の患者を除くと、寝たきりか認知症の患者が多い。外科医2名・内科医2名で当直・日勤・救急・終末医療の往診をこなさなければならないのは、大学病院と変わらない激務だが、甥の隆之介がまだ小学生の頃は、仲間の医師たちが勉強をみてくれたり、遊んでくれたり、送り迎えを手伝ってくれたりした。
そうして育った隆之介も今では、夕食を作って伯父を待つ頼もしい中学生になっている。
大学病院にいた時分は治療した癌の形や色調ははっきり覚えているのに、患者の顔はほとんど思い出せない。けれどもこの病院ではひとりひとりの顔がよく見える。
彼が原田病院で見出したのはそんな医師の悦びだった。
そんな中、哲郎の医師としての力量に 惚れ込んでいた大学准教授の花垣は、 愛弟子の南茉莉を研修と称して 哲郎のもとに送り込むが……。

夏川さんの医療現場をテーマにした作品の主人公は、みな赤ひげ先生のように頼もしく、優しく患者さんに寄り添っている。同僚医師や看護師たちにも恵まれ、激務ながら魅力的な医療現場が描かれている。
今回の主人公・哲郎もしかりで、甘党の心優しい名医は、終末期の患者のみならず患者の家族にまで温かい言葉をなげかける。
物語に二件の終末在宅患者の死が出てくるが、患者を看取った家族に対して哲郎医師がかけるねぎらいの言葉が感動的だった。
また、研修に来た南茉莉と哲郎とのやりとりも印象深い。
内視鏡の技術を学びにきた茉莉だったが、来る日も来る日もみるのは高齢者の医療。
「この患者さんは、何もしていないんでしょうか?」
南が足を止めたのは、小さな点滴を一本ぶらさげただけの、痩せた女性のベッドの前だった。
~中略~
「身寄りもなくて、長いこと施設にいた人なんだ。先月から食べられなくなって入院になった、このまま看取るつもりだよ」
「食べられなければ胃瘻を造ってあげればいいんじゃないでしょうか?」
いかにも率直な意見に、哲郎は首を左右に振る。
「施設に入るときに書いた、延命治療は希望しないという意思表示の記録が残っていたんだ」
「胃瘻は延命治療なんですか?栄養管理をしてあげれば、まだまた生きていけると思うんですが・・・」
その言葉のどこかに、かすかながら非難の響きが混じっていると感じたのは、哲郎の気の迷いであろうか。
「難しい問題だね」
切れ味の悪い返答になるのは、南の質問が、実際厄介な問題をはらんでいるからだ。
身寄りもなく、帰る家もなく、意思疎通もできない寝たきり患者に、胃瘻をつくってもとの施設に送り返すことが、正しいことか間違っていることは、明確な答えは示せない。
その微妙な部分を、短い時間で説明することは困難であったが、困難な部分を差し引いても、哲郎の返答は、説得力のあるものとは言えなかった。
「まあ日本は世界一の高齢国家だからね。医療の最前線の病院とはだいたいこんなものだよ。ここだけが例外じゃない」
つとめて軽く応じたために、かえって軽薄に聞こえたかもしれない。
結局、十数名の高齢患者の回診をして、その日の業務は終了になったのである。
p.103
そんな茉莉が次に接した患者で、意見が食い違う。
病院内でも意思疎通のできる90歳の女性患者が急変したときのことだ。
茉莉は患者を見て、哲郎に強く進言する。
「頭部CTも明らかな異常はありませんでした。急性期の脳梗塞の診断にはMRIが必要ですが、ここにはありません。大学病院へ搬送するべき状況だと思います」
そんな言葉に、しかし哲郎がすぐに答えなかったのは、南の提案を聞き流したためではなかった。かすかに何か引っかかるものを感じたからだった。その違和感の原因を探して哲郎は、もう一度ベッド上に視線を戻し沈思する。しかしそういう哲郎の態度は、南の目には、あまりいい印象をもたらなさかったらしい。
「先生、搬送すべきではありませんか?」
南の口調が早くなる。
「矢野さんは九十歳とはいえ、普通に話ができていた人です。いくら高齢だからといって、このまま看取るというお考えではありませんよね?」
「看取るつもりではないよ」
「それなら・・・」
「少しだけ、時間がほしいな」
結果、哲郎は患者の急変の原因をつきとめ、処置をほどこした容体は安定する。
病名は、南が知らないものだった。
医師として自分なりに懸命に学んできたつもりでいたが、医療という世界の広大さを思い知らされた。
このエピソードの最後の、看護師長の言葉に胸を打たれた。
「あの、すみません、五橋さん、私、脳梗塞だなんて決めつけちゃって・・・全然違いました」
「そうね」とつぶやいて沈黙して五橋は、すぐに語を次いだ。
「でも謝るんだとしたら、そこじゃないんじゃない?」
含みのある返答だった。
「南先生、マチ先生 ( 哲郎 ) が矢野さんの治療もせずに、適当に看取るつもりだと思っていたでしょ」
「だから私たちが何もしていないって思ったならそれは間違い。ここの仕事は、難しい病気を治すことじゃなくて、治らない病気にどうやって付き合っていくかってことだから。もともとわかりにくいことをやってるの」
哲郎医師だけでなく そこに働く看護師の言葉や姿勢から、南が学んだ瞬間だった。
本に書かれたこうしたエピソードは、実際に医療現場に従事するものしかわからないもので、それが多くの読者の感動を呼ぶのだと思う。
だかひとつだけ個人的には、大学病院の手術室に忍んで手術の手助けをするというスーパードクターのエピソードが、胸がすくような思いを感じる反面、ちょっと格好よく盛りすぎに感じた次第。
スピノザの診察室は、甥の隆之介の今後、茉莉とのことなど、まだまだ余白を残していて、次回作があることを楽しみにしてよさそうだ。
それより先に、映画化が決定と報じられているので、まだキャストは発表されていないが、そちらも楽しみでならない。
2025年06月14日 昼ごはん
五木食品の蟹ラーメン

2025年06月14日 おやつ
くずきり

2025年06月14日 夜ごはん

久々に食べたくなったその1 ナンプラーで作るポトフ

暑くなると、このナンプラーで作るポトフの味がコンソメ風味より体にしみるのです。
久々に食べたくなったもの2 回鍋肉

作り出してあっと気づいたら、キャベツが足りない。
仕方がないのでナスを入れて胡麻化した。