Garadanikki

日々のことつれづれ Marcoのがらくた日記

桜木紫乃『青い絵本』

 

桜木紫乃 著『青い絵本』読了

 

この本は、つるひめさんのブログで知り読んでみたくなったものだが、

図書館の何百人もの借入予約で、代表作が収蔵されている『短編ホテル』だけで済ませ、

諦めかけていたものだった。

 

tsuruhime-beat.hatenablog.com

 

主人公は、いずれも絵本に関連する仕事をしている。

  • 卒婚旅行 は、絵本セラピストの資格取得を目指す主婦
  • なにもない一日 は、元図書館司書で、今は地方FM局のラジオパーソナリティーとして、番組内で小説や絵本の朗読をしている女性
  • 鍵 Key は、小説家だった夫の自殺後、15年間書店員をして息子を育ててきた女性
  • いつもどおり は、デビュー作品を担当した編集者から絵本の文章を依頼される小説家
  • 青い絵本 は、継母だった絵本作家から、最後の絵本の挿絵を描いてほしいと頼まれる漫画家アシスタント

 

いずれの作品にも絵本が登場するが、絵本はみな著者がこの短編のために設えた架空のもの。

その絵本が、物語の内容に色どりを与えている。

桜木さんの文章は、リズム感があり、無駄な言葉が一切ない。

まるで一遍の詩を読んでいるようで心地よい。

登場人物の5人すべてが北海道在住というのも面白い。

 

 

一番 印象的なキャラクターは『いつもどおり』の編集者・小川乙三

文芸編集者の乙三は、自分の履歴を偽って作家に刺激を与えることで、

何人かの新人を世に送り出してきた。

小川乙三が自身の過去を偽って書かせた一作だったことが判明してからは、この女の言うことをまるごと信じるのはやめたのだ。孤児だったことも嘘なら、息子がいることも嘘。そんなふうに偽りの生い立ちを話して何人かの新人を世に送り出したと聞いた。小夏も、人づてに彼女の「書かせる手口」を知ってからは少し距離ができた。

乙三の強い信念と、非情な手段で作家に向かう姿勢に、作家の愛田小夏は震撼し身構える。

久々に会った乙三は、小夏に《今際いまわの際》という絵本の文章を書いて欲しいという。

画家の絵は、どれも死にゆく人たちの顔ばかり描かれたものだった。

「わたしが、この絵に文章を付けるんですか」

「現代詩と散文の間を漂ってみませんか。切り捨てる文章のほうが多いことは承知で。

 もう一度愛田さんとお仕事がしたかったものですから」

「この絵で絵本を作って、誰が読むんですか」

「読者です」

「わたしは、買いませんけど」とつぶやいた。

乙三は小夏の言葉にまったく表情を変えなかった。そして今日最も低い声で言った。

「だから、ご自分が買う本にしていただきたいんです

 

 

桜木さんの描く女性たちは、みな強か

( 男 ) に依存することを良しとせず、自分の生きがいを見つけ生きようとする。

 

例えば『鍵 Key』の主人公・一路寿々は、小説家だった夫が、自分と10歳の息子を遺し投身自殺をしてしまったことに対して、哀しみよりも先に腹を立ている。

夫が残してくれた金で、子供は育てられる。

そこのみに感謝をして、寿々は自分の食い扶持は働いて稼ぐことに決めた。

当時の寿々は、死を選んだ夫が真っ先に捨てた、35歳の未亡人だった。

札幌から電車で三時間弱の帯広に就職先を得て、家を出る息子が持って行った本が『鍵 Key』だった。

⸻これさ、俺が覚えてる限りで、お父さんが読んでくれた唯一の絵本だったんだ。

夫の死後、その著作も、資料も、本棚にある本はすべて処分した。夫が使っていた机も、椅子も、服も、夫にまつわるすべてを家から消した。絵本は息子の机の中に眠っていたので、捨てられることを免れた。

葬儀にやってきた夫の両親に「こんなになるまで働かせるから」となじられたことで、寿々の肚も決まった。一路かずきが小説家として稼いだものはきっちりと半分に分けて親に渡した。彼らがすんなり受け取った段階で、縁は切れたのだった。

 

自分から死んだ人間は最初からこの世にいなかったことにしなければ、関わった自分もその淵に引っ張られてしまう

寿々を支えていたのは、かなしみよりも怒りだった。そして息子を父親のようにはしないという強い決め事だ。お陰で、よろけながらも歩いてこられた

 

『なにもない一日』の主人公・金平やや子も、義母の命が尽きたところで夫と別れようと決心している。

おそらくそれが、最善の選択だろう。

誰にとって⸻自分だ。そう遠くない将来、昭彦はよいビジネスパートナーといてやや子の仕事を応援してくれるだろう。

 

『卒婚旅行』の主人公・晴美に至っては、定年退職した夫と別れようと、その準備の一貫として毎日 家を磨いている。

晴美は、大人のための絵本の読み聞かせに出会い、絵本セラピストの資格取得に舵を切っているが、夫の和彦は目下 JR九州の豪華列車ななつ星の抽選に当たりご機嫌になっている。

《和幸が提案した定年退職記念旅行は、晴美にとっての卒婚旅行》というのも悲しい話。

 

物語の男性陣が気の毒に思えてきた

5本の短編で、一番好きなのが『いつもどおり』なのは、物語の中に男性が出てこないからなのかも知れない。

残り4本には夫の影があり、妻は夫になにがしか不満を抱いている。

 

短編集を読んだ女性の多くは、特に『卒婚旅行』を「わかるー」と言っているが、

私は、定年退職をした夫が可哀そうに思えてならなかった。

 

例えば、冒頭部分

晴美が台所の床に散った油汚れに散った洗剤を吹きかけていると、

和幸が冷蔵庫からビールを取り出した。

プルトップを引き上げてすぐ、雑巾のすぐ向うに立ったまま飲み始める。

洗剤の霧をわざとその足にかけた。

飛び退いた和幸が「なにすんだよ」と台所を出ていく。

リビングのソファーに音をたてて座ると、すぐにリモコンでチャンネルを変え始めた。

晴美はひたすら台所の床を磨く。

妻は何故《わざと洗剤を足にかけた》のだろう。。。

 

退職した夫が、家事を何もやらずにいるのならともかく、

夫なりに出来そうな家事を担おうとしている。

それについても妻は手厳しい。

気に入った仕事をみつけ、教えた翌日から十年もやってきたからようにふるまうのが厄介。何もやらずにテレビと酒の毎日に浸かる退職男もいるというから、まだいいほうなのだろう

 

妻は、子供が巣立ち心身のバランスをくずし苦しんでいたことを夫は知らないというが、だったら妻は、夫の会社勤めの辛さや疲弊した神経をどこまで想像できていたのだろう。

抽選に当たったのが嬉しくて仕方ない和幸は、二か月前から何を言っても何をしても、いらだったり声を荒げたりすることがなくなった。夫が機嫌よく暮らしているのは、なんにつけありがたい

作品中に、夫がどんなことで声を荒げたりしていたのかは書かれていないから余計に、

《そんなに悪い夫なのだろうか》と、私の理解は追いつかない。

 

北海道から九州に飛行機で渡り、九州から豪華列車に乗り込んだ二人⤵

和幸が昼食にシャンパンを頼み、そっと「乗っているあいだ、ほとんどの酒はただなんだよ」と耳打ちされ興が醒めた。

何だか意地が悪くはないかい?

「そうなのスゴイね」ぐらいに流してやってもいいのではないかと思う。

 

列車の中。

カタタンカタタンという列車の音を挟みながら、ギクシャクした夫婦の会話が続き、

妻が卒婚を口に出した時、

「良かった、離婚じゃなくて」と夫は言い、「もう、好きではないんだよね」と聞いてくる。

妻は夫がセラピーの資格を取ったことを知らないだろうと思っていたが、夫は言った。

「絵本の仕事が、したいんだろう。去年、教育委員会に行っている同期から聞いた」

「俺が知らないあいだに、ずいぶん勉強してたんだな。絵本の読み聞かせに資格があることも、それが心療セラピーとして認定されていることも知らなかった」

 

どうやら、この夫婦だけは離婚をしなくて済みそうだと、なんだかホッとして、

いい夫じゃないかと呟いてしまった。

 

 

本の中で、唯一、男性に依存せざる負えないキャラクターが

『なにもない一日』の中に登場する小説『なにもない一日』のキミコは、この本で唯一男性に依存している。

英之・キミコ夫婦は、疎遠でいた娘の尚美に会いに行く。

尚美は、親の反対を押し切っての結婚、すぐの離婚。いまは夜の勤めの傍ら、温泉街の劇場で踊って生計を立てているという。

 

妻のキミコはもう、娘の名前はおろか過去にまつわるほとんどのことを忘れている。

目の前に座る女が自分の娘かどうかなど、想像もつかないところに心を飛ばしているのだった。

「驚いた。ママが赤ちゃんになってる」

 

英之はもう滅多に痛むことのない気持ちや毎日を、穏やかに受け入れている。

唯一の救いは、キミコが自分のことだけは忘れずにいてくれることだった。

「パパ」とキミコが上目遣いで英之の肘をつかんだ。

「この女のひとなの? やだ。もうやだってば」

英之はキミコの手をつかみ「違うよ、この人はキミコさんの娘でしょう」と諭す。

「娘って、誰の」

「だから、キミコさんの娘の尚美だよ」

ぽかんと口を開けたキミコの瞳はまだ、英之の若い頃の過ちを許していなかった。

六十年も一緒に暮らして、唯一残っている記憶が夫の浮気とは。

気晴らしに公園を散歩しても、女とすれ違うたびに「いまの人なんでしょ」と、

そのときだけははっきりした口調になるので気が気ではない。

 

お互い会うのはこれが最後になるはずと、電話で伝えた。

半ば頼み込むようなかたちで再会を欲した両親を前に、

娘とはこれほど冷静な笑顔を浮かべられるものか。

「お前が元気そうで、安心した。来てくれてありがとう」

「ママがなにもかも忘れちゃってるって聞いたんで、安心して来られた」

妻と娘の仲が良かったのは、尚美が小学校を卒業する頃までのことだった。

「ママに忘れてもらって、わたしはほっとしてる。パパはまだ忘れてもらえないんだ」

尚美が眉を下げ「気の毒ね」と言った。

 

他の登場人物がみな男勝りの性分だったから余計、この老夫婦のことが妙に印象的でドキリとした。

 

 

2025年08月02日 昼ごはん

かも蕎麦

「カモにはネギでしょう」と、焼き葱を添えてくれた

 

 

 

2025年08月02日 夜ごはん

 

 

〆は焼きそば