先日に引き続き、村尾嘉稜さんのぶら嘉稜『神明宮』の話。
これは現在の神明宮の境内だが、

199年前の神明宮は、まだ杉の木も若木でまばらに生えていて、うっそうとした感じではなかったという記述がある。
そのことばの如く行ば、杉の丸太の鳥居たてり、向ひに社あり、鳥居の左右杉の植なみたるも、まだ若木なれば、木の間まばらにて、陰くらき迄にはなし、
下の写真は「神明宮」のHPにあった古い写真だが、
すでにこの頃には、もう杉が太く真っすぐ伸びている。

鳥居のかたはらに、石を建て、橋二十三ヶ所造かへたるよしの供養すなると、おもてに彫、かたはらに宝暦九年卯十月 相川又四郎、村主清左衛門など、四人斗の名をも刻む、社はかやもてふき、なべて板の羽目にす、社のうしろの西の隅に、けや木二本、根は一つ所に寄たるがあり、又東の隅には、猶大なる杉一本立、かこみ三かかへ斗もありぬべし
昔の紀行文で、当時を語れるのは社寺仏閣の位置ぐらいのもの。
それでも木の大きさは全然違うから面影は異なるもの。
昔からあったであろう道から辿ることはできても、田圃や畑は全部住宅地になっていて、唯一川が目印になりそうだが昨今は川も暗渠になってしまう場合が多いから、昔の目印にはなりにくい。
今回の「阿佐谷神明宮道の記」を読んでも、前半の部分はさっぱりどこを通って阿佐ヶ谷にたどり着いてのかがわからない。
また著者の記憶違いもあるからややこしい。
社の西に、小道あり、向ふにかやふける門あり、棟高く折廻して造れるあつがやの家もあり、是も前の相沢が宅に似たれば、主の名を問に、寺也けり、実相院といふよし答ふ
件の絵図にも、神明宮の西に「實相院」と書かれているが、そんな寺はない。

位置的にみて、現在 神明宮の西側にある寺は「世尊院」なのでこれを聞き間違われたのかも知れない。
現在 表通りに面している鳥居は、立派な石のもの。
ここの位置にすらなかったかも知れない。

参考文献
2025年08月08日 昼ごはん
ざるうどん


2025年08月08日 夜ごはん
簡単なつまみで酒盛りを始めたら「あっ今日は結婚記念日だね」と言われた。
そうなの?そうか!
そういうことに頓着がないのでいつも忘れる。そして記念日らしい料理はひとつもない。

海老でも添えるか、ははは


冷凍庫にひとつ残っていた鶏の刺身

みりん干しって割と好きなの💛
