代々木公園が昔、陸軍練兵場だったという話は知っていたが、
《練兵場を作るため、住民が強制退去させられていた》ということは知らなかった。
そんなことがわかった史跡がこちら⤵



訣別の碑
この一対の燈籠は、明治四十二年、代々木の原(現在の代々 木公園)に陸軍練兵場が設けられたとき、移転を余儀なくされた住民がこの地との別れを惜しんで奉納したものである。
訣別の言葉は竿石部分にあり、拝殿に向かって左側には
「大字代々木字深町ハ明治四十年十一月十一日陸軍練兵場二指定セラレタリ、常二 一家ノ如クナル温情深キ住民ハ区々ニ移転スルノ際」
続けて右側には
「各々其ノ別ルルヲ惜ミ又字ノ消サラン事ヲ想ヒ、茲ニ燈ヲ納メテ之ヲ紀念トス 明治四十二年一月建設 良曠拝書」
とあり、この下段に奉納者の十七名の名前が刻 まれている。

強制移転より百年 往時を偲び 血筋由縁の人々が神社と共同して「訣別の碑」をここに修復す
伊東 栄造、小糸 健一、鈴木喜久治、田中實、照内 良吉、平田泰弘、平田弓雄
平成十九年十月吉日

久米民之● 中嶋●●
追記 ) 久米民之助 中嶋藤吉
⤴ たまうきさんが判読してくださいましたが、久米さんは有名な方なので
後日久米さんの話をしたいと思います。

早瀬次郎 伊東徳太郎 高橋誠貫

諸星常三 平田友吉 小糸平吉

小糸弥五郎 小宮乗次郎 鈴木喜六

野口熊次郎 平井万右衛門 松高せん
※ たまうきさんが「松嵜せん」と判読してくださいました。

世話人
伊東福太郎 伊東兼吉 平田銀次郎
オマツリジャパン ⤴ にある平岩宮司 ( 2021年取材当時は禰宜 ) さんのお話では、
下記のような経緯だったらしい。
「もう十数年前になりますが、“訣別の碑”にお名前が刻まれている方のお孫さんが当社を訪れ、長い年月、風雨にさらされ、台座も木の根に持ち上げられて傾いてきてしまっている。『なんとか直せないか』と相談されたのです。そして、『せっかくなので、ここに名前が刻まれている元深町の住民の子孫の方々を探して、一緒に修復したい』と提案されました。 その後、1年かけて趣意を掲示したところ、驚いたことに数名の方が名乗り出てきてくださり、みんなで費用を出し合って修復を実現することができました。今は、その修復をされた方々のお名前もプレートに刻んで説明板の下に付けられました。」
“訣別の碑”が建てられたのは明治41年(1908年)。
修復に参加された一人の方は、神社にお参りに来るたびに、今は亡きお祖父さんから代々木深町での暮らしや碑のことを聞かされていたといいます。代々木八幡宮の都心とは思えない、のどかな空気は、住民の方々の家族を大切に思う温かな心に通じているのかもしれません。
【代々木の原の変遷】
かつて代々木の原は、大名や旗本らの下屋敷などがあった場所で、
明治維新後に民有地となり、一面の茶畑・桑畑となっていた。
陸軍省はこの地の買収を進め代々木練兵場とした。
敗戦後、GHQに接収されワシントンハイツ ( 在日米軍施設 ) として使われていたが、
日本に返還されると、1964年 ( 昭和39年 ) の東京オリンピック開催にあわせて選手村となり、
南側には国立代々木競技場、さらに国際放送センターとして後のNHK放送センターが建設された。
東京オリンピック終了後には代々木公園として整備され今に至る。
2025年10月23日 昼ごはん
以前KAYANOさんに頂戴したマッサマンカレーヌードルが美味しかったので、
業務スーパーで購入。
初回は何も入れないで食べてみたが、今回はレンチンしたじゃがいものとパクチーをトッピング。

じゃがいも合います! パクチーもいいです!

2025年10月23日 夜ごはん
久々Boss宅に伺い、ご馳走に預かる。
KING兄お手製のクリームシチューとひじき煮

兄貴のひじき煮はいつもながらの味!

そしてオムライス

卵が甘くて美味しくいただきました。

2025年10月23日 夜食
残りをMOURI へと、頂戴しました。

プラス栗💛
