Garadanikki

日々のことつれづれ Marcoのがらくた日記

江戸近郊道しるべ「代々木八幡宮」前半

 

代々木八幡神社とその関連の名所を歩いてみることにした。

キッカケは、村尾嘉陵の「江戸近郊道しるべ」

ところが、8月以来「代々木村八幡宮 道の枝折」に書かれたルートの、

初っ端に出て来る《天満宮》の位置がわからず頓挫していた。

その道、四谷新町 ( 新宿区四谷二、三丁目 ) の天満宮 ( 不明 ) 立たせたまふ宮居のかたはらより、上水にかけたる橋をわたり、少し下りやけば、四五丁にして四辻に制札ある所の前を〔此処即代々木村、この四辻を北に行けば井伊掃部頭殿やしき前より、千駄ヶ谷へ行く道なり〕南に行、

現代語訳版ではこう訳されている

その行程は、四谷新町 ( 新宿区四谷二、三丁目 ) の天満宮のある宮居の傍を通り、上水に架かっている橋を渡り、少し下って行くと、四、五丁で四つ辻に制札が立っている所に出る。ここが代々木村である。

この四つ辻を北に行くと井伊掃部頭殿の屋敷前を通って、千駄ヶ谷に通じる道である。

 

原文でも現代語訳版でも《天満宮》が「四谷新町」とあるけれど、四谷の古地図を探しても見当たらない。仮に、かつて四谷あたりに天満宮があったとしてもそこから代々木八幡宮までの位置関係がちがってしまう。

天満宮については、平凡社版にも、「天満宮 ( 不明 )」と書かれているから、編纂の朝倉治彦さんも場所がわからなかったものとみえる。

 

専門家が探してもわからないものを素人の私がわかるはずもなく頓挫をしていたのだが、世の中には凄い方がいらっしゃる!

 

《天満宮》を解明されたのは、はてなのブロガー peepooblueさん

peepooblueさんは《天満宮》の場所を、代々木八幡神社の境内にあった《菅原道真の歌碑》からひも解かれ、代々木三丁目 ( 文化服装学院の西 ) にある天満宮のことだと突き止められている。

 

 

代々木八幡境内にある菅原道真の歌碑

 

説明書き

 菅公一千年 歌碑   

千とせ経て ますます高しつくしがた

     みけし(御衣) あふぎし神のみいつは

正三位勲二等子爵 福羽美静

 

 文化学園の西側、甲州街道から入ったところに銀杏いちょう天神社があった。

元和3年(1617)勧請、大正院持、社地は127坪あったという。

そこには箒銀杏ほうきいちょうと呼ばれる大樹があり、御祭神の菅原道真公没後1000年を記念して歌碑がつくられた。天神社は明治33年(1900)5月、代々木八幡宮の末社に合祀され、歌碑も移転された。

現在も天神社の跡地には小祠があり、この歌にも詠まれた箒銀杏がしげっている。

 

つまり説明書にある《銀杏天神社》が、嘉陵が書いた《天満宮》とのこと。

 

 

散策記事の前置きが長くなったが、

今回 私が嘉陵さんのたどった道を歩けるのも、peepooblueさんのお陰である。

嘉陵のいう天満宮と銀杏天神社の一致は、私が書けば二番煎じであり、

peepooblueさんの記事が明るく断然わかりやすいので、こちら⤵ をご参照ください。

村尾嘉陵「代々木村八幡宮道の枝折」を辿る(その1) - Peepooblue’s Sketchbook

 

 

さてそれでは、私が見た天満宮のお話を

実際に訪ねてみました 天満宮。

所在地 東京都渋谷区代々木3-23-3

※ 紛らわしいけれど、天神社と銀杏天神社と天満宮は同じものです

 

箒銀杏

 この大きな銀杏の木を少し離れた場所から眺めると、箒を逆さにして立てたようにみえるところから、箒銀杏と呼ばれています。

樹齢は三百年と推定されますが、近くを流れていた玉川上水によって育まれてきたと考えられます。

 かつて渋谷区内には名のついて巨木、銘木が数多くありましたが、都市化と戦災によって伐採されたり、枯れたりしてしまい、この地域における古くからの樹木は、この箒銀杏だけとなってしまいました。

 

 この場所は、天神様の境内として江戸時代の地誌でも確認することができます。明治三十三年 ( 1900 ) に代々木八幡宮に合祀されますが、今も根元には天神様の小祠があります。長年にわたり地元である代々木新町町会の会員により、維持・管理されています。

 この近くを流れていた玉川上水に架けられた橋は、その名にちなんで天神橋と名付けられました。

渋谷区教育委員会

銀杏は樹齢300年 ( 1725年頃? ) というから、

嘉陵さんもこの角を曲がった時 ( 1831年 ) に仰ぎ見たのだろうなあ。

 

 

代々木八幡宮の歌碑に「代々木八幡宮に合祀」とあるが、

こちらにも小祠が遺されている。

現在ある小祠を寄贈された方々の名前が横面に彫られている。

紀元二千六百年十一月 一部會の方々

紀元二千六百年十一月とあるので、神武天皇即位紀元 ( 皇紀 ) 2600年を祝った行事、

つまりこの小祠の建立は、昭和15年 ( 1940年 ) と思われる。

寄贈者のひとりに「伊東銀太郎」というお名前を発見。

もしやこの方 代々木八幡宮の「訣別の碑」に名前を連ねる伊東徳太郎さんや伊東福太郎さんのご親戚なのではないだろうか。。。。

 

下の写真は、代々木八幡宮の「訣別の碑の灯篭」

 

訣別の碑の灯篭が寄贈されたのは明治42年 ( 1909年 ) で、天満宮の祠の寄贈が昭和15年 ( 1940年 ) だから、

仮にもし三人の《伊東さん》の間になんらか血縁関係があるとしたら、

伊東徳太郎・福太郎さん ( 訣別の碑 ) は、伊東銀太郎さん ( 天満宮の祠 ) の祖にあたるのかも知れない。

※ これは伊東〇太郎さんで私が勝手に結びつけ想像した話です。m(__)m

 

新宿方面から箒銀杏のある天満宮の角を左に曲がるのが、嘉陵さんの歩いた道

 

もう一度 銀杏を仰ぎ見る

 

10mばかり先、路面にひし形がある辺りが波打って所が、

嘉陵さんが「上水にかけたる橋をわたり」と書いた玉川上水が流れていた場所。

 道の脇にこんな石柱がありました。

 

代々木八幡神宮までの散歩は次回も続きます

古地図がこちら

 

 

2025年11月06日 昼ごはん

マッサマンカレーヌードルにじゃがいもとパクチーを入れました。

お腹が空いていたので、即席めん3個を2人で分けた。

「今日 多くない?」とバレた。

 

2025年11月06日 夜ごはん

麻婆豆腐なのでご飯炊いた

いつもは麻婆のメーカーとは別のものにしたら、味におくゆきがない。

やっぱり私のイチオシは横浜大飯店の「中華街の麻婆豆腐がつくれるソース」

広東式と四川式があり、私は広東式のファンだがなかなか売っていない。

daihanten.shop-pro.jp

 

もう一品追加

じゃがいもを細切りにし干し海老と一緒にソース炒めしたもの。

いつもよりソースが薄かったので、

忠治茶屋本舗の焼まんじゅうのタレを思い出し、少しかけたら美味しかった。

ほらねー、とっといてよかったでしょー?