島崎藤村「嵐」を読了

『嵐』は、妻を亡くした男が4人の遺児と暮らすほのぼのとした話。
《ほのぼのと》とあえて書いたが、実はこの父親 ( 主人公 ) は妻亡きあと幼い四人の子供を方々に預けて外国に行っていた時期がある。物語はその父が帰国して子どもたちを自分の元に呼び寄せた7年あまりの話である。
つまり一家離散した家族が再集合した生活。
子供は上が中学、末の子が小学校初等くらいで、麻布の借家は手狭である。
長男の太郎は本作後半で、父親が用意した故郷に送られ帰農することになるが、
このように父は、ひとりひとりの個性に合わせた将来設計を手助けする。
十代の難しい年ごろの男の子3人と、おしゃまな末娘を温かい目で眺める父親の姿は、穏やかに見えるが、題名は『嵐』というのも興味深い。
だが、、妙に余所余所しい
この物語で《家族団らんの暖かい暮らし》を読まされているように感じた一方、
私はこの親子関係の中に、どこか余所余所しい匂いを感じてしまった。
いったいこの本は私に何を伝えたかったのだろうか。
例えば『破戒』なら、差別階級に生れた青年が父の教えを守り出自を隠して生きる苦悶がよく伝わってきた。
明治時代の差別のすさまじさに憤りも感じたし、父親が息子を思う気持ちに感動もできた。
それに比べると『嵐』は、父親が子を思う気持ちが『破戒』のように伝わってこない。
これには色々なワケがあるのだけれど、それについては、
『嵐』という作品が書かれた時期や背景にも言及する必要があるから、
後日じっくりと書いていきたいと思う。
2026年01月10日 朝ごはん
MOURI 作 金ちゃんラーメン

2026年01月10日 夜ごはん
三品盛の真ん中は、長芋に塩をふりフライパンで揚げ焼きしたもの

しじみのスープを追加

本日のメインは麻婆豆腐

今回使った豆腐は、木綿と絹の二種類で、
炒めることで絹がくずれて優しい食感に、木綿は形が残り存在感のある食感になった。
