読書は続けている。
だが、以前より歩みをのろく、図書館の返却期限が迫る中、
読書感想を書く暇もないまま、次の本を読み始める。
読了したのはこの三冊
萩原葉子『父・萩原朔太郎』
町田そのこ『夜空に泳ぐチョコレートグラミー』
柚月裕子『慈雨』
『父・萩原朔太郎』
詩人の萩原朔太郎の長女・葉子が、父のことや、祖母や自分を置いて出ていってしまった母のこと、父の親しくしていた文人たちのことを書いたエッセー。
そもそも萩原朔太郎の家のことは、代田を散歩していて昔、鉄塔の下に萩原朔太郎の家があったということを知ったのがはじまり。どんな家だったのか知りたくて『蕁麻の家』という、萩原家をモデルにした小説を読んだ。
内容は、これでもかというくらい悲惨な話。
母は若い男と出奔し、残された父は娘二人を連れ実家に帰る。主人公の妹は、育児放棄の末の高熱で知能障害となる。高慢な祖母は、孫を押し付けられたことと、ふしだらな嫁への憎悪を孫に向け虐待する。
これは、萩原朔太郎の長女・葉子が書いた自伝的小説で、どこまで実話でどこからフィクションかがわからないようなもので、あまりに救いようのないエピソードに気分が悪くなり途中で降りようかと思った本だった。
今回読んだ『父・萩原朔太郎』は、小説よりいくぶんトーンが和らいでいるが、
それでも母や祖母の話は気が滅入るほど不幸なエピソード満載だった。
朔太郎の交友関係が知れたのが救いの本だった。
『夜空に泳ぐチョコレートグラミー』
「大きなみたらし団子にかぶりついたら、差し歯がとれた」で始まる最初の短編は、サキコという女性と、彼女が幼い頃からずっとつきあってきたのに今はどこかに行ってしまった乱暴者の「りゅうちゃん」の話。 ( 表題は『カメルーンの青い魚』)
『夜空に泳ぐチョコレートグラミー』は、夏休みにバイトに勤しむ中学生・啓太とその同級生の晴子の交流を描いた話。
『波間に浮かぶイエロー』は、突然死してしまった亡き恋人への想いを抱えている紗世と、紗世の勤務坂である「ブルーリボン」という軽食屋のオーナーの芙美、かつて芙美と交わした約束を頼って店にやってきた環、三人がそれぞれに抱えるものを描いた話。
『溺れるスイミー』は、幼い頃家を出て行った父親と同じで、「ここではないどこか」を求めてしまう性分の惟子が、ダンプを運転手・宇崎くんと出合い、長距離トラックで旅をして暮らそうと誘われる話。
『海になる』は、夫のDVに悩む妻の物語。
まあなんとざっくりした説明だが、5つの話は登場人物がリンクしていることを気づいて、読み直したくなる本だ。
ひとつひとつの短編の冒頭が、どれもシャレていて実に巧い書き出しだった。
『慈雨』
警察官を定年退職し、妻と共に四国遍路の旅に出た神場。旅先で知った少女誘拐事件は、16年前に自らが捜査にあたった事件に酷似していた。手掛かりのない捜査状況に悩む後輩に協力しながら、神場の胸には過去の事件への悔恨があった。
場所を隔て、時を経て、世代をまたぎ、織り成される物語。事件の真相、そして明らかになる事実とは。安易なジャンル分けを許さない、芳醇たる味わいのミステリー。
警察官をしていた頃に関わった誘拐殺人の被害者の少女を弔う意味でも四国巡礼に出た神馬だったが、
東京で起こった事件が気になり、捜査にあたっている後輩 ( 娘の恋人でもある ) と連絡を取りあうようになる。
お遍路旅の神馬と妻の描写と、東京の捜査本部の刑事たちの描写が交互に書かれていて、そのトーンの書き分け方も見事だし、旅をしながら事件が気になって仕方がない神馬の心境もよく伝わってきて面白かった。
本日の昼ごはん
ナポリタン
本日の夜ごはん
きんぴらごぼう
写真左のくらかけ豆と、三品盛り左のわかめは、鎌倉の石渡源三郎商店で買ったもの。
お昼と同じもの? そうです、作り過ぎて残ってしまったナポリタンを
つまみに食べておりますの。