Garadanikki

日々のことつれづれ Marcoのがらくた日記

観光・見聞

蘆花恒春園に再訪

恒春園に再訪。 前回は10分遅く閉門してしまったが、 入園できたとしても邸内を見て回るには暗すぎただろう。 夕陽に輝くネコヤナギ 東京都指定史跡 徳冨蘆花旧宅 所在地 世田谷区粕谷一丁目二十番一号 指 定 昭和六十一年三月十日 徳冨蘆花は、肥後国葦北郡…

粕谷地蔵尊

粕谷村 地蔵尊 17日に蘆花恒春園を訪問し、2日後の19日に再訪したお話です。 前回は家を出るのが遅く、園に着いたのが夕方になり、徳冨旧宅が見学出来なかったのでリベンジ。 前回と違うルートで、小田急線・千歳船橋からバスで蘆花恒春園 最寄りのバス停に…

気になる所を徘徊 その③

徘徊を思い立ち家を出たのが遅かった。 あちこちひっかかりウロウロするのはいつものことで最終目的地になかなかたどり着けない。 まあ、人と待ち合わせをしているわけでもないのでいいけれど。 千歳通りから左にそれて住宅地を歩いていると、鳥の声が騒がし…

Nori さんのナビが オカシいのです

一昨日、千葉のドライブで困ったのは、新しい車ノリタケさん ( 通称 Nori さん ) のナビ。 設定が一般道路優先になっているのか、有料道路から降ろそう、降ろそうとする。 鴨川に向っている時も、早々に高速道路を降ろされ、山道を走らされた。 帰路も同様で…

勝光院 吉良氏の墓所

世田谷城址公園から少し迷ったけれど、やっとたどりついた。 ここが勝光院の入り口か、な。 いやいや、門前はこの道のはるか先のようだ。 勝光院 閑静な住宅地の中にゆったりとのびる参道、静謐な空間。 吉良氏の墓所に伺う前に、まずお寺の方を。 世田谷区…

世田谷城跡の案内板がすごい!

世田谷城跡にある案内板がとてもわかりやすいので残しておくことにした。 吉良氏と世田谷城 世田谷城は、清和源氏・足利氏の一族である吉良氏の居城として知られています。 貞治じょうじ5年 ( 1366年 ) 吉良治家はるいえによって築城されたといわれています…

タモリさん いいなあ

昨日、watto さんから、こんなメッセージを頂戴した。 watto さん ありがとうございます。 早速、番組を見たら懐かしい町と、先月出かけた町が紹介されていた。 懐かしい町とは、20代前半に住んでいた桜新町、 そして先月出かけた町とは、世田谷上町界隈のこ…

松陰神社 松陰像と松下村塾

世田谷八幡宮を出て、最寄りの宮坂から世田谷線に乗ろう。 ホームに貼られているマップ 向いに古い世田谷線の電車が置いてある。今日は時間がないのでスルー まだかなまだかな。 この待っている時間が愉しい 松陰神社駅で下車し、5分ほど歩いたところに神社…

世田谷八幡宮 吉良頼貞が色々やったようです

豪徳寺を満喫し、井伊家のお墓も拝見した後、近所の世田谷八幡宮に移動。 世田谷八幡宮 世田谷八幡宮は、寛治5年 ( 1091年 ) 源義家が奥州からの帰途、この世田谷の地に寄り、戦勝を感謝し創建されたと伝えられています。 天文15年 ( 1546年 ) 8月に、世田谷…

豪徳寺 八角燈篭と無名戦士慰霊碑

豪徳寺で気になったものが二つあった。 青銅の八角燈篭 最初の灯篭は《八角燈篭》というそうで、豪徳寺を紹介するネットであまり触れている人はいなかったが、よく似ているものが東大寺にあることがわかった。 ※ 東大寺さんのは、国宝らしい。 ぐるりとひと…

豪徳寺の招き猫は誰に福をもたらしたのか

平日の豪徳寺に行って驚いたのは、外国人がとても多いことだった。 ひところは中国の旅行者が多かったが、最近はアメリカや中南米の方が多い。 京都や浅草ではなく、世田谷のこんなお寺さんをどこで知るのだろう。 Instagram? 豪徳寺のことを書き始めた時に…

豪徳寺を立派にした姫君

豪徳寺には説明板がとても多い。 下の説明板には、井伊直孝の娘と側室 ( 娘の母 ) がこの寺を井伊家の菩提寺に相応しいように大造したことが書かれている。 大谿山だいけいざん豪徳寺 ( 曹洞宗 ) 豪徳寺は、世田谷城主 吉良政忠が文明12年 ( 1480 ) に亡くな…

豪徳寺 梵鐘で思うこと

豪徳寺、山門で止まってしまったが中に入ろう。 境内中央に案内図があったので全体像を把握。 山門に近いところから、まず ⑩ の地蔵堂 新しい建物だと思ったら、令和2年 ( 2020年 ) 9月に落慶されたものだった。 扉が閉まっていてお地蔵様は拝見できなかった…

豪徳寺 石門から山門へ

昨日はフランス関連だったが、今日は昨日散歩した世田谷の話をつらつらと。 世田谷生まれ世田谷育ちで、世田谷城がある界隈はよく車で通る道だったが、 ちゃんと訪れることなく過ごしてきた。 そんな私が昨日行ったのは、豪徳寺・松陰神社など。 豪徳寺は安…

無意味にぶらぶらする日

喫茶店を出て、代田1丁目から世田谷代田駅の方に戻ってきた。 小田急線の「世田谷代田駅」~「東北沢駅」が地下化され、線路跡に新しい商業施設が誕生した。 世田谷代田に関しては「由縁別邸 代田」という温泉施設が出来たり、自然を生かしたゆったりした遊…

鎌倉 御谷から狻踞峰へ

久しぶりに鎌倉へ。 鎌倉は今年の4月、葉山の美術館に行くついでにMOURI と連れ立って来たけれど、 それは私の《鎌倉散策》の数には入らない。 私の《鎌倉散策》は一人と決めているし、あてもなく歩くことだからだ。 出発が遅かったので着いて早々にご飯を食…

国立国会図書館に行ってきました

秋日和 散歩に丁度良い気候になったので、さあ出かけよう 行先は、、、あちらにニョキっと見える建造物じゃなくて、 通りを隔てたこっち側にある施設、国立国会図書館です ずっと来たいと思っていた所に、やっと来れた。 利用者玄関 奥に見える屋根が新館ら…

道玄坂の富士講と森巌寺のつながり

「もういいよ」と言われること承知の上で、 弘法湯と森巌寺の繫がりについて書きました。 下記は、弘法湯についてまとめたものです。 江戸時代に神泉穏亡谷という火葬場のあったあたりに湧き水が出た。 湧水を利用して、上豊沢村十七戸の共有で村持の共同浴…

弘法湯の周辺 未解決事件のあった場所

昨日、たまうきさんがブックマークコメントでおっしゃられたように、 弘法湯のすぐ近くで、世間を震撼させた殺人事件があった。 ja.wikipedia.org 1997年(平成9年 )3月19日夕、東京都渋谷区円山町のアパート1階の空き室で、 39歳の東京電力女性社員の他殺…

弘法湯 その一

年金事務所に行った帰りに、自転車で円山町をぶらついてきた。 円山町エリアは、若い頃にはひとりで歩き回るのをはばかられる場所だった。 ラブホテル街だったから。 もっと昔は三業地だったし。。。 そんな円山町も今ではクラブが乱立し、若者たちが闊歩す…

森巌寺

昨日は病院の帰り、下北沢に立ち寄った。 4月22日放送のブラタモリ「下北沢」を見て、森巌寺というお寺を見てみたくなったから。 こちらが森巌寺 門の前に外人の男の子が座っていて、なかなか どいてくれないww くつろいでいるので フレームインしたままでパ…

いざ鎌倉リベンジ! 佐藤忠良展覧会

本日は先月のリベンジで葉山へ。 リベンジとは、間違って展覧会の公開日前に行って見られなかったから。 佐藤忠良さんの生誕110年を記念しで企画された「生誕110年傑作誕生佐藤忠良」の、 開催期間 ( 4月22日~7月2日 ) をよく確かめないで失敗してしまった…

齋田記念館

代田の図書館に本を返しに行くついでに、すこし徘徊した。 その一 コムギノホシでパンを買う ここは、旧芹沢邸の敷地を開発したこじゃれた通りにあるパン屋さん。 通りも素敵だが、パンも美味しいのであししげく通っている。 その二 齋田記念館へ行く パンを…

松本清張 著『時間の習俗』

先日の鎌倉で、古本を買った。 光文堂書店は由比ガ浜通りにある、私が一番好きな店tanosii-kamakura.jp 公文堂の包装紙には、高橋幸子さんの木版画が使われていて、 文庫本など2~3冊の購入でも、帯状の包装紙を巻いてくれる。 今回購入したのはこの三冊 幸…

ダイダラボッチの足跡の場所を訪ねて

ダイダラボッチについて調べていたら、 かつて読んだ「昔の代田」に貴重な記述があることがわかった。 代田の古老・故 今津博さんがこう書いていらっしゃる。 守山小学校北側に出頭山という立派な杉林があり、その中に「ダイダラボッチの足跡」と言われてい…

代田のダイダラボッチのこと

小田急線、世田谷代田の駅前広場に巨大な足跡が描かれている。 地名の由来となったダイダラボッチの足跡を表したものだ。 ダイダラボッチとは何なのか、ダイダラボッチの足跡といわれる場所はどこなのか、 を知りたくてこの本を読んだ。 左は小学生にわかり…

松野さんと天誅組

現在、頭の中の かなりの部分を占めているのが「天誅組」のことである。 キッカケは、松野文彦さんの記事だった tabinagara.j 松野文彦さんは、奈良県を中心にした史跡を探訪して記事を書かれているブロガーさん。 松野さんのブログには、若い女性にみられが…

成子天神社

12月19日記載 頸椎捻挫の痛みがなかなか取れないのでMRIを撮ることになった。 MRIは今年に入って二回目だ。 ドンガンドンガン煩くて狭いドームは嫌だけれど、終わったら美味しいものを食べて帰ろう。 新宿のビルの谷間に一軒家 自転車に子供を乗せたお母さん…

新平さんたちについて

芹沢家の歴史 芹沢家の家祖 ( 道春禅定門/俗名不肖 1697年 元禄十年没 ) は、寛文年間 ( 1661年~1672年 ) に 羽根木の地に入植し、煙草の栽培で財を成したと伝えられる。屋号は煙草屋。 芹沢家代々の当主は、新兵衛、新右衛門などと名乗り、世田谷村の名主…

『草の径』から「夜が怕い」

松本清張『草の径』を読了。 かなり難航した。 難しい話はひとつもないが、何が伝えたいのか受け止めらきれない作品が多かった。 「モーツァルトの伯楽」「ネッカー川の影」「呪術の渦巻文様」は、ドイツやアイルランドのダブリンの紀行文に小説をからめたよ…