井上靖 著『夏草冬濤』読了
昨年行った沼津の千本浜公園で、この文学碑を見て読みたくなった作品だ。
井上靖さんは軍医の父が赴任する際、祖母に預けられたり、父方の叔母宅に下宿したりして育つ。その幼少期を『しろばんば』に書き、中学時代の話を『夏草冬濤』に書いている。
『しろばんば』は、よんばばさんに教えていただいた本だった。
更によんばばさんからは、主人公が豊橋で食べたというゼリーまで御馳走になったことも、嬉しく懐かしい思い出だ。
ゼリーを販売している若松園のHPにはこう書いてある。
文豪・井上靖の自伝的小説「しろばんば」の中で、尋常小学校二年生の洪作少年(=井上靖本人)が若松園の喫茶部で黄色いゼリーを食べたとあるのは、大正初頭ごろと思われる。
「黄色のゼリーの菓子でスプーンを入れるのが勿体ないように、洪作にはそれが美しく見えた。口に入れると溶けるように美味かった。(中略)言葉でいくら説明しても、説明できるとは思われなかった。」
「おぬい婆さんは豊橋のことを自慢しづめに自慢していた。(中略)毎朝、箱入りの見本を持って菓子の注文を取りに来る若松園のことや、(中略)豊川稲荷のことや、話はあとからあとから湧いて来て尽きなかった。(中略)こうしたことにおいては、洪作も同じ気持ちだった。」
などと書かれている。
一方、千本浜公園の説明板には、沼津時代についてこう記されている。
井上靖文学碑について
井上靖は、「私が小説を書くようになったのは、沼津の町のお陰であり、その頃一緒に遊び惚けていた何人かの友達のお陰である。人生というものがどんなものか、生とは、死とは、文学とは、⸻そうしたことに関する最初の関心を、私はこの町とこの町の友達から教わったのである」と述べ、中学時代に、文学少年達と香貫山を歩き廻ったり、千本浜で泳いだりして過ごしたすばらしい青春の日々に思いを寄せ、井上文学の原点が沼津中学時代にあったと述懐しています。
この本には、ちょっと生意気だけれど純粋な少年たちの様子が面白く描かれている。
主人公の洪作 ( 井上靖 ) が通う頃の旧制中学は5年制で、彼は中学二年の時に親元を離れ沼津中学に転校する。
そして、中学三年の夏休みに魅力的な上級生たちに出会うところから物語は始まる。
洪作の下宿先である三島の叔母の家から ( 当時の ) 沼津中学までは約6km離れているのだが、
多くの生徒が自転車か電車で通学する中、洪作は二人の同級生 ( 小林と増田 ) と一時間半かけて徒歩で通っている。
上巻は主にその同級生たちとの話で、下巻になるとひとつ年上の金枝、木部、藤尾、餅田との話になる。
10代の頃は、年がひとつ上なだけで体格も違うし、大人びて見えるもの。
洪作も同級生がいやに幼く疎ましく感じ、金枝たちとつるむ方が楽しくなってくる。
本を読んでいてクスクス笑ってしまうことが随所にあった。
いずれも年の違いや関係性がよくわかるエピソードだ。
正月に故郷に帰省した洪作は子どもと遊ぶ
洪作は年末年始を湯ヶ島の祖父母の家で過ごす。
湯ヶ島は洪作が幼少時代に住んでいた場所だが、一緒に暮らしたおぬい婆さんはもういない。洪作は実の祖父母の家に逗留するが、村では都会 ( 沼津や三島 ) から帰省する人がいると「〇〇んとこに △△が帰ってきたぞ」と、大人もわさわさする。
小さい子どもだって初めてみる洪作にわちゃわちゃとまとわりついて離れない。
その、なんとも愛らしく微笑ましいシーンがこちら
洪作は外で自分を呼んでいる子どもたちの声で眼を覚ました。
すっかり子供たちの遊び仲間にいれられている格好だった。
「今日は何をするかな」
洪作が言っただけで、子供たちはうわあっと歓声を上げた。
「
鵯 の罠を作るか」洪作は男女混合の二十人ほどの一隊を連れて、田圃に鵯の罠を仕掛けに出かけることにした。しかし、いずれにしても、頭数が多すぎるので、洪作は一緒に行く連中と、残って待っている連中とを分けた。一、二年の小さい子どもたちで残留組を編成した。しかし、歩き出すと、みんな一緒について来た。
「お前は残っている方だ」
洪作が小坊主の一人に言うと、相手はうわあっと、ありったけの声を振りしぼって泣き出した。
「お前も残れ」
もう一人に言うと、言われた相手は、これもまた火でもついたように泣き出し、泣き出しただけでは足りなくて、地面の上にひっくり返った。それと同時に、残留組に編成されている者はいっせいに泣き出した。
洪作は構わず歩き出した。すると、泣いている連中も泣きながらみんな歩き出した。
p.32
洪作、上級生たちを慌てさせる
上級生たちのたまり場は、紐問屋をやっている藤尾の家だった。
藤尾が腹を壊して学校を休んでいる時、みんなで見舞いに行こうということになったが、みんな藤尾の父親のうけが良くない。
部屋で遊んでいて退屈になり、千本浜にくり出すことになった。1人また1人と家人に見つからないよう抜け出すが、藤尾が屋根から降りると言い出し洪作が付き合わされる。結局屋根から降りるところを藤尾の母と姉に目撃され、洪作も信用をなくす。
やっとのことで到着した浜でまたひと騒動。
かけっこをしていた藤尾が「足が折れた」と言い出した。
「戸板で運ぶしかないな、親父さんとおふくろさんをなるべく刺激しないような言い方で、実情を報告。店の若い連中に戸板を持って来てもらうように頼む」
「誰が行く?」
「俺はダメだ」
「俺も嫌だ」
みんなの視線が洪作に集まる。
「お前、下級生じゃないか、それに、お前のことはまだよく家の人は知っていないんだ、お前が一番無難だ、頼む、言ってくれよ」
難題を押し付けられた洪作は戸板を借りに藤尾の家に行くが、事情をうまく説明できずに逃げ帰る。
不首尾の洪作を、みんながからかうものだから洪作がキレた。
「おい、来たぞ」洪作が言った。
「誰が?」木部が訊いた。
「藤尾のお父さんとお母さんだ」
「親父が来た?!」
藤尾が悲鳴をあげた。
「巡査も居る」
みんなは蜘蛛の子をちらすように逃げ出した。
「もういいだろう」木部は言って、立ち止まると、
「巡査とは変なものを連れて来たもんだな」と言った。
「巡査のほかに、坊主も居た」洪作は言った。
「すると、藤尾の親父さんと、おふくろさんと、姉さんと、巡査と、坊さんなんだな」
「そう」
「みんな固まって来たのか」
「縦に並んできた」
「縦に並んで? 一列か」
「一列縦隊だ」
「ふむ」
木部は大きなため息をついてから、にやにやすると
「こいつ!」と言って、いきなり洪作に飛びかかって来た。
p.205
この頃の少年はいやにマセたところがある反面、親や先生や他所の大人のことを、キチンと怖がっている。
《キチンと怖がる》というのも変な言い方だが、昔の大人はよその子も厳しく叱ったし、子どもの方でもそうされるのが普通で、大人は厳しく怖いものと認識している。
成績が下がった洪作は、母親から「寺に預けて生活態度をあらためさせる」と言われると、皆から「いいじゃないか、俺が住みたいよ」と羨ましがられる。
藤尾の家族の信用を失った彼らは、洪作が下宿する寺を遊び場にしようと考えたようだ。
ここでも木部の言葉が可愛い。
木部と洪作が、寺の下見に行くシーンである。
「お前、先にはいって行け。そして友達を連れて来たといえばいい。お前が呼んだら、俺がはいって行く。あとは俺がお前に替って、具体的な交渉にはいってやる。先ず机があるかないかを訊く。それから弁当のおかずも毎日卵焼きぐらいはつけて貰ってやる。こういうことは初めが肝腎なんだ。それから友達が来たら、お茶ぐらい出してもらうことにする。たまには葬式饅頭ぐらいにはありつきたいからな」
p.313
結局作戦は、、、木部も大人の前ではたじたじで交渉は不成立に終わった。
中学生のこんな言葉に感心した。
「少し、お伺いをたててもいいでしょうか」p.341
寺の娘・郁子に対して藤尾がおどけて言った言葉であるが、やんちゃな中学生でも目上の人に対して、こんな言葉遣いがあることを知っていることに驚かされた。
新年最初に読んだ『夏草冬濤』は私に、思わずふき出してしまうほどの楽しい時間を与えてくれた本だった。
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