今、一番気に入っているカバー
カバーをはずすと、、、
今、いちばん気に入っている本の表紙。
スピリットベアにふれた島
こたつ猫の森のマミーさんが紹介していらした本です。
マミーさんの書評で、是非読んでみたくなったんですが、
仮にもしこの本を書店で見たら、ジャケ買いしていたでしょう。
装画はヒロミチイトさん。
装幀の長坂勇司さんは、人気の装丁家。
ザッザッザッと無駄のない筆で描かれたヒミチイサさんの油絵に、
乳白色で半透明なボックスに丸ゴシック体の読みやすいタイトルの見事な装丁です。
スピンも絵に合わせて水色
こんなに発色の良い水色のスピンはなかなかない。
厚みといい、手触りといい、色あいといい、、、ずっと抱えていたい本です。
因みに原作のペーパーバックの表紙がこれ。
リアル過ぎて、これじゃ、読みたくない。
日本語の装丁で読めたことを幸福に思います。
さて。
この本のあらすじをざっくりと。
舞台は現代のアメリカ合衆国。
金銭的には不自由なく育った15歳のコール・マシューズは、
両親との関係がうまくいかずにたびたび警察沙汰を起こしている。
ある日、同級生のピーターに後遺症が残るほどの傷害を与えてしまう。
ことの重大さは未成年のレベルではない。
刑務所送りにされるところ、アメリカ先住民の血をひく保護観察官ガーヴィーの提案で「サークル・ジャスティス」を受けることになり、アラスカ州南東部の無人島に一年間追放となった。
島に着いたコールは、怒りを抑えることが出来ず、暴れ回る。
ガーヴィーたち世話人が用意してくれたログハウスも生活物資にも火をつけ燃やしてしまい、
泳いで本土に渡ろうとする。
しかしコールが思うほど、自然は甘くなかった。
潮に流されおぼれそうになりながら、元の無人島に漂着した。
住む家も生活物資もないコールは、怒りの矛先を動物に向ける。
スピリットベアと呼ばれる真っ白なクマに刃向かっていくが、
クマから半死半生の傷を負わされ、自然界の恐ろしさを痛感する。
奇跡的に生き残ったコールは、アラスカの厳しい気候と、
ガーヴィーやトリンキッド族の古老エドウィンに鍛えられ、
死について、怒りについて考えるはじめる。
やがて自分を見つめ直したコールは、被害者ピーターへの償いを考え始めるのだった。
「サークル・ジャスティス」っていうのは、あれでしょう?
アルコール中毒とか麻薬中毒とかの人が、みんなで輪になって話をするあれのことじゃないかしら。
《人に話をすることで自分の置かれた状況が明確になっていく》という、あの治療法。
でもちょっと違うみたい。
本作に出て来る「サークル・ジャスティス」は、元々は、北アメリカ先住民のあいだで何世紀にもわたって行われてきた慣習で、ごく最近、その概念がアメリカ合衆国内の西欧的な司法制度の一部にとりいられ、有効に機能する機会を与えられるようになったのだそうです。
罪を犯した人が判事により裁かれるのでは、被告人の根っこにある反省が導き出されない。
「裁かれた」という気持ちだけでは怒りが生まれ、更生にはつながらないというのが、
サークル・ジャスティス導入の考え方のようです。
「サークル・ジャスティス」には、被告のコールと両親、進行役の他に、
原告のピーター とその両親も参加します。
そして
・事件が何故おこったか
・どうすれば罪を犯した者が更生するか
・どうすれば二度とこんな事件が起こらないか
という問題と同時に、
・どうすれば被害にあった人 ( 関係者 ) が救われるか
も突き詰めて、皆で話し合います。
サークル・ジャスティスのルールは以下の通り⤵
皆が手を握り輪になって、意見をのべる人は羽を持ちます。
羽を持っていない人に発言権はありません。
意見を述べたら、その羽を隣の人に渡していき、次に羽を持った人が話します。
司法制度では、原告の家族が意見を述べる機会は限られますが、
サークル・ジャスティスの集会は、被害者側も参加し、発言する権利を持ちます。
ピーターの弁護士は「更生の余地なし、刑務所に入れるべき」と強く言い張ります。
ピーターは「コールも僕と同じように、頭を道路にたたきつけられればいい」と言います。
様々な立場の人たちの意見が出尽くした後、進行役が会をしめくくるべくこう言います。
「今夜は、それぞれの思いがむき出しになり、鋤で畑を掘り起こしたようでした。
でもこれで種をまく準備ができました。
わたしたちがとりくもうとしている問題への理解が深まり、
解決策を見出そうという思いをみなさんが強くもったことでしょう。」
《種をまく準備を整える》これがサークル・ジャスティスの目的だったのです。
話し合いの結果、コールは刑務所ではなく無人島で一年生活することになりました。
《未成年が島流し》
ちょっと荒唐無稽で、実際にアメリカであることなのか否かはわかりませんが、
物語の主人公は、無人島で一人で一年間暮らしていくことになります。
島についたばかりのコールは、むかっ腹を立てどおし。
彼の人生で起きる嫌のことは、全て人のせいという考えでした。
しかし、そんなコールを自然は甘やかしません。
コールは自然界で色々なことを学んでいきます。
弱い動物の死を見て《生きることの難しさ》を知り、強い動物からは《死への恐怖》を学びます。
トリンキッド族の古老エドウィンの水あび
コールは古老エドウィンに、水行やダンスや石運びなどの儀式を教えられます。
初めは何も従わなかったコールも、ひとり島に取り残されると、自ら水行を日課にしていきます。
毎日、凍てつく池の中で精神統一が出来るようになると、それをしないと気持ちが悪くなりました。
ある日、池の中でこんなことが起こります。
池の中ですわっていると、一頭のビーバーがまわりを泳ぎはじめた。
最初、V字型のさざ波が水面に見えているだけだったが、大きなビーバーはしだいに近づいてきた。
コールはなにも考えず、深呼吸しながら、じっとすわっていた。
ビーバーはさらに近づいてきた。
コールはいきなり手をのばし、そいつをつかもうとした。
ビーバーは盛大なしぶきを上げ、尻尾でバシャンと水をたたいて逃げていった。
ビーバーは、それ以来二度と近づかなくなった。
コールは、ビーバーの信頼を裏切ったことを後悔した。
そして、自分は同じようなことを、まわりの人たちに何千回もしてきたのだと思わずにいられなかった。
コールは、もう一度スピリットベアに会いたくなりました。
彼が殺そうとしたスピリットベアにです。
クマは自分の殺意に殺意をもって対しました。
ところが瀕死の状態の時には、クマは静かに寄り触らせてくれたのです。
《心を無にしなければならない。それが秘訣だ》
池の中の自分に、魚やビーバーが近づいてきたのは、あいつらに危害を加えようと思う前だった。
スピリットベアにふれた時、おれは瀕死の状態で、なにかしようなどという気はまったくなかった。
そのことに気づいたコールは、心を無にし意識を消す術を磨くようになりました。
古老のエドウィンが教えた水行もダンスも石運びも、怒りを克服する方法だったようです。
カーヴィーやエドウィンがどうしてコールの協力者、支援者だったのか。
それがわかる一節がありました。
エドウィンはちらりとコールを見て、言った。
「なにを学んだ?」
「赦すことだ。腹をたてれば、感情を支配する力を他人に与えてしまい、おれはそいつらにあやつられてしまう。赦せば、おれはまた、おれ自身のものになる」
「で、赦しを表すために、トーテムポールになにを掘った?」
「まだ、なにも」
コールはぼそりと答えた。
「なにかが足りないんだ。反省して、赦すだけじゃ足りない。おれはどうにかして、ピーターを助ける方法を考えださなきゃならない。それまでは、トーテムポールの空いたところに、なにも掘ることはできない。それが見つからないかぎり、おれはまともな人間になれないんだ。だろ?」
エドウィンはかすかに微笑み、うなずいた。
「どうすればピーターの回復を助けられるか、その悩みは、この先もおまえにつきまとい、指に刺さった棘のようにいつも頭の隅に残るだろう。おまえがピーターに与えた傷は、そのつぐないができないかぎり、一生おまえを悩ませ、苦しめるぞ」
「もしピーターを助けてやれなかったら、どうすればいい?」コールは不安になった。
「その時は、だれかほかの人間を助けてやれ」
「あんたやガーヴィーが、おれのためにいろいろしてくれるのも、そういうことなのか?」
エドウィンはうなずくと、背をむけてボートにもどっていった。
まるで禅問答です。
ペイフォワードの精神です。
http://www.awaji-net.com/pay-forward/
が。それにしても、
「こんなことに気がつく15歳がいるのだろうか。気づいて欲しいけれども」と思いました。
もうひとつ、印象的な言葉があったので書き記します。
フードをかぶらず、頭と五感を周囲の空気にさらしておく。
冷たい雨が髪をぬらし、やがて水滴が頬から頬にしたたりはじめた。
目をとじると水滴が頬に温かい。
最初はそれが、怒りやお恐れで流した自分の涙に思えた。
現実の問題として、この本のような体験をさせることも多分はないでしょうし、
仮にあったとして、全ての少年がコールのように悟れるとは思えません。
しかし、この本を読んで同じ立場になって想像することは誰にでもできます。
本紙は、子供たちにむけて書かれた作品です。
だけれど大人にとっても十分意義のある作品でしょう。
想像の翼を広げて感じる力が、私たちにあるのなら。