三田 完 著『モーニングサービス』を読了。
浅草は観音裏、昭和の香りを色濃く残す喫茶店「カサブランカ」。美味しいコーヒーと亭主夫妻の人柄に惹かれ、今日もまた、風変わりな客たちがやってくる。芸者の大姐さん、吉原の泡姫、秘密を抱えた医大生・・・それぞれの複雑な事情がカップの湯気に溶け、そっと飲み干せば少し力が湧いてくる。疲れた心がじんわり温もる人情連作集。
新潮社HPより
今はなかなか見ない個人経営の喫茶店。
ドアにはカウベル、常連さんはカウンターで新聞を読み、
マスターはマンデリンコーヒーはサイフォンで煎れ、ナポリタンとサンドイッチは定番メニュー。
表表紙にはマスターの北村士郎さんと文造さん、
裏表紙にはマスターの妻・富子さんと富江姐さんらしい人物が描かれている。
私が吉原界隈を徘徊したのは今から9年ほど前のことだったが、この本の「トロゲンさん」のくだりを読んで、浅草裏から吉原にかけての風景とその時に感じたことを懐かしく思い出した。
トロゲンさん
カサブランカに初めてやってきた髪の長い女、歳の頃は三十前後といったところ。テーブル席について不愛想な声でコーラを注文したあと、彼女はLVのモノグラムのついたバッグからケータイを出し、うつむいてひっきりなしにタバコを吸っている。
会計の時には1万円札を、その一万円札がいい香りがする。お線香の香りだった。
「あれはトロゲンさんだね」
写真は吉原のソープ街 2015年撮影 吉原 あたりを歩く - Garadanikki
けげんな表情の富子に、澄江さんはにっと笑う。
「あんた知らないの、トロゲンって言葉。花柳界だけで使う符牒なのかしら。トロゲンてのは、吉原のこと。<吉>という漢字は土の上に口があるだろう。漢字の<口>はカタカナでの<ロ>と同じだから<トロ>。それに吉原の<原>を音読みにして<ゲン>。」
「ひとつ勉強になった」
富子は素直に関心する。
~中略~
「ありゃ、ソープで働いているお姐さんだよ。化粧といい、情緒不安定な様子といい、うん、間違いない。出勤前のひととき、店のある地元で知った顔に会うのが嫌だから、すこし離れた浅草で油を売ってたということさ」
p.40
下の写真も、2015年に撮影したもので吉原の喫茶店。
本に出てくる「カサブランカ」という喫茶店はこんな感じじゃないかと思った。
・・・ところが
吉原の喫茶店は、喫茶店といっても・・・・
カサブランカは、常連もご新規さんもウェルカムの普通の喫茶店だけれど、
吉原地区に点在する喫茶店は、女性が気軽に入れる店ではない。
写真のエイトは普通の喫茶店らしいが、吉原の殆どの喫茶店は紹介所なのだ。
紹介所とはつまりお店 ( ソープランド ) を紹介してくれる店。
「18歳未満お断り」とか、店によっては「女性お断り」という札が下がっている。
昔は喫茶店と区別するため「情報喫茶」という看板がかかっていたらしいが、
売春斡旋につながるからというお上のお達しで「情報」の文字が消えたらしい。
浅草からずっと歩き詰めだった私は、珈琲を飲みたくなり入ろうとしたが、
どの店もなんとなく入りにくい雰囲気で断念した。
「あの入りにくさは一体なんなのだろう」
帰宅し調べたところ、いわくつきの店だとわかった。
カサブランカの貸し切りパーティに、あら?と思う名前が
澄江さんの人間国宝を祝う身内のパーティが開かれました。
で、そのメンバーに・・・
会に参加したのは宗巌住職のほか、文造さん、ヒカル君、菊江ちゃん、見番で藝者周の着付けや雑役を一手に引受ている一夫君、澄江さんと小学校が同級で見番前で長寿庵という蕎麦屋をやっているキンちゃん、踊りに欠かせない扇を商う宝扇堂の若旦那、それに、澄江さんと同じ年に見習いになった文子姐さんという顔ぶれた。もうじき江華飯店が店じまいしたら、ズオンさんも駆けつけることになっている。
p.176
文中に「踊りに欠かせない扇を商う宝扇堂の若旦那」という文字がある。
宝扇堂とあるが、多分これは「荒井文扇堂」の第四代当主・故荒井修さんのこと。
修さんには生前 二度ほど、神宮球場ヤクルト戦を御一緒した。
とても明るく周りを盛り立て、賑やかでチャーミングな方だった。
これがホントの「チャキチャキの江戸っ子」なんだなと思った。
この小説は何年ごろの話?
この話は今よりちょっと古い、懐かしい感じがする。
本の初出は、2010年 ( 平成22年 )~ 2011年 ( 平成23年 ) 8月だから、今より13年前に書かれたものだから、出てくる事柄もそれより古いはず。
ということで年代がわかりそうなところをピックアップして、いつ頃の話か、富子さんは何歳かを考えてみた。
- 澄江さんは、富子が中学に入ったのと同じ年に入れ違うで卒業し、藝者だった彼女の母親と同じ世界に入った藝歴45年の大姐さんだ。 (p.11)
※ 中学1年は13歳。中学3年は15歳。
15歳で卒業し45年のうことは、澄江さんは60歳。
富子は澄江さんより4つ下だから56歳。 - 三社祭の踊りに「お馴染の『かっぽれ』『さわぎ』のあいだに流行りのEXILEの歌なんかもちょっと入る趣向。(p.41)
- SKDが解散したのが1996年 ( 平成8年 )
- 富子が光男さんとデートしていたのは21歳の頃、「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」が流行っていた。(p.131)
※ 港のヨーコは、1975年 ( 昭和50年 ) 4月発表。 - 1975年 ( 昭和50年 ) 暮 光男さんの父倒産夜逃げ、富子妊娠。
携帯電話からも社会情勢がみえる
- ケータイの表面にはガラス玉で一面装飾がほどこされ、ストラップにはフィギアがいくつもジャラジャラついている。見るからに重そうな電話機だ。(p.36)
- 富子は携帯も持っていない。落合光男さんのことで警察に駆けつける時に、澄江さんからお守りだの根付だのがじゃらじゃらついた携帯を借りていく。(p.130)
- 富子の息子・太郎も、ズオンさん、菊子、トロゲンさんも、皆まだガラケー。
※ アンドロイドのスマホが誕生したのは2009年
結論 この物語は、2009年 ( 平成21年 ) の話で、富子さんは56歳と思われる。
解剖学のシーンに感動
登場人物のそれぞれの事情はみな感慨深いが、とくにヒカリ君が通う医学部の解剖学実習の話に心打たれた。解剖実習というのは、大学一年生の時に行われるそうだが、これはこれから医学を学ぶ学生に「医学とは」「患者とは」を理解させるためにも大切なことなのだという。
本には献体されたご遺体に礼をつくす様子や、実習が終了した後の納棺の儀式、慰霊祭の様子が詳細に書かれていた。その中で教授が学生に言った言葉に心を打たれた。
隣の学生たちが膀胱がんのために82歳で亡くなった男性を解剖している。その胸を切り開いたとき、鎖骨から腋窩にかけての筋肉組織が赤黒くぼろぼろになっているのが見つかった。ちょうどそのチームの様子を背後から眺めていた重原教授が作業を停めさせ、周囲の学生たちを集めて説明した。
⸻カテーテル挿入の失敗だ。患者はさぞかし辛かっただろう……。
患者が食物を経口摂取できなくなったのち、医師は大静脈にカテーテルを挿入して高カロリー輸液を送り込む中心静脈栄養法の措置をした。その判断は医師として正しいことだったに違いない。だが、治療した医師のカテーテルを挿入する技術が稚拙だったために、大量の内出血が起き、このようになってしまった。主治医も、遺族も知らなかったことが、献体ののちに解剖学実習の場で明らかになったのだ。
⸻死亡から長い時を経て、このひとは医師の未熟な技術をわれわれに訴えた。諸君が今後医師となり、生ける患者を苦しませないためにも、解剖学学習は非常に貴重な体験なのだ。
説明の最期に、教授は重々しく語った。
死者が訴える真実⸻解剖学実習の厳粛な哲学に、ヒカリたちは打ちのめされた。
p.199
本日の昼ごはん
明太子パスタ
最近自分の食べられる量と、作る量が一致しなくなっている。
その為、昼に食べたパスタやオムライスが、夜再登場してしまう。
でもまあ、付け合わせ的になればそれはそれでいいかも・・・・⤵ 夜の献立
そんな本日の夜ごはん