Garadanikki

日々のことつれづれ Marcoのがらくた日記

島木健作の居所を追って

 

タイトルを見ると実に物騒、ストーカーめいている。

先日来、久しく島木健作マイブームとなり、

新しく入手した全集の第15巻を拾い読みしてニタニタしている。

今回の収穫は、島木さんが住んでいた住所が正確にわかったことだ。

島木さんの家といえば、終の棲家となった《鎌倉 扇カ谷の家》があった辺りや、

出所後身を寄せた兄の店と家《赤門前の路地の家》あたりを、

ウロウロと彷徨い歩いて楽しんでいた。

 

 

当時は正確な番地までわからなかった為、あと一歩のところで引き揚げていた。

それが今回、島木健作全集 第15巻 国書刊行会発行の年譜 ( 高橋春雄編 ) によって明らかになったのだ。

1903年 ( 明治36年 )

北海道札幌區北一條西十丁目一番地に、父朝倉浩、母朝倉マツの末子 ( 異母兄を含めて六男 ) として生まれる。

 

1932年 ( 昭和7年 ) 29歳

3月、仮釈放となり、大阪に出向いていた母に迎えられて出所、共に上京して、東大赤門前で島崎書店を経営していた実兄八郎方に寄寓した。

※ 八郎は、大正10年、札幌區南四條西八丁目八番地の島崎家に養子縁組した実兄。

 

1935年 ( 昭和10年 ) 32歳

5月「女性藝術」の記者であった彌富幸枝の媒酌で青森県北津軽郡沿川村五林平に病院を開いていた相澤武良、同 秀の三女 京と結婚 ( 婚姻届出は十三年八月一日 ) 、森川啓・渡邊順三の世話で世田谷區世田谷二丁目2024番地に新生活を営む。

 

1937年 ( 昭和12年 ) 34歳

2月、鎌倉雪の下690に転居、孤独の中に潜んで制作に没頭する。

 

1940年 ( 昭和15年 ) 37歳

11月、爾後の生涯を過ごした鎌倉扇ヶ谷441に転居

 

 

そういえば。

偶然 泊まった札幌のホテルの隣が、《島木健作の生誕地》だったなんてこともあった。

あれには驚いた。仕事先が手配してくれたホテルだったから奇跡のようで「島木さんに呼ばれたんじゃぁないか」と思ったものだ。

garadanikki.hatenablog.com

 

島木さんに呼ばれた》というより《念ずれば繋がる縁》かも知れないが、こんなこともあった。

趣味の物件探しで、気になる家をファイルする私が、

最近見つけた一番お気に入りの家と、島木さんが住んでいた《雪ノ下の家》と同じ番地だったのだ。

 

物件がこれ。

古都鎌倉を満喫できる雪ノ下に佇む、趣のある和風邸宅 鎌倉市雪ノ下3丁目(hrkw23G301)の物件情報|中古一戸建てを探す|湘南・鎌倉の不動産情報は明治地所株式会社

 

私は気になる家があると、どこにあるかを探してブックマークするのが趣味。

※ 家の写真 ( 周辺に移っている景色や、家の形・形など ) から、住所が探せる特技がある。

 

で、判明したのがここ。

紫の印が、物件の場所。

赤い  6つ のどれかが、島木健作が世田谷から移り住んだ家のあった場所。

※ 鎌倉雪の下690 というのが島木さんが住んでいた旧番地で、

  自治体の住居表示新旧対照表を見ると現在の住所がわかります。

 

 

住居表示新旧対照表で、《扇カ谷の家》の場所もわかりました。

こんなお家が、

赤い★のどれかに建っていたようです。



本日の昼ごはん

 

ご飯を炊いたのは、これが食べたかったから

自家製なめたけ

えのきに出汁、みりん、酒、醤油を入れてレンジでチン。

瓶詰のなめたけよりも、味が柔らかくて美味しくできました。

 

ご飯がすすむくんのおかずたち



 

 

おまけの気になる家

作家:里見弴ゆかりの西御門サローネから1分 平屋の古民家 鎌倉市西御門1丁目(ohnu23D252)の物件情報|中古一戸建てを探す|湘南・鎌倉の不動産情報は明治地所株式会社

 

 

参考にさせていただいたサイト

uakira.hateblo.jp

鎌倉の住居表示旧新対照表

https://www.city.kamakura.kanagawa.jp/kurashi/juukyo/documents/kyushin.pdf

 

世田谷区世田谷の住居表示旧新対照表

https://www.city.setagaya.lg.jp/mokuji/sumai/002/001/004/d00009592_d/fil/9592_13.zip