原田マハ 著『でーれーガールズ』を読了
ガハハと笑えて、じーんと涙する青春物語、これは面白い!
特に岡山弁が最高!!
【あらすじ】
40代半ばの秋の日、漫画家「小日向アユコ」として多忙の日々を過ごす佐々岡鮎子の元に、自身の出身校である岡山白鷺女子高等学校の同窓会から、同窓会の誘いを兼ねた記念講演の依頼状が届く。だが鮎子は依頼状の差出人である「萩原一子」という人物に心当たりが無い。手紙からすると一子は同校の女教師で、鮎子のデビュー当時からのファンらしい。結局、誘いと依頼に対して断る理由を見いだせなかった鮎子は一路、岡山に向かう。懐かしい地に降り立った鮎子は、その光景に遠い昔を断片的に思い出していく。
1980年。
鮎子は父の転勤で東京から岡山に引っ越してきた。
転校した高校では、標準語をからかわれてばかりでクラスに馴染めずにいた。
そんなある日、鮎子は憧れの大学生ヒデホくんを主人公にした自作の恋愛マンガを、
活発で美人のクラスメイト秋本武美に見られてしまう。
すると武美は、鮎子のマンガを面白いと褒め、2人はやがて親友に。
しかし、ある出来事がきっかけで2人はケンカ別れをしてしまう。
翌日、同窓会場である母校で旧交を温めていた鮎子の前に、招待者である荻原一子が挨拶に来る。同様に挨拶を返す鮎子だったが周囲の同級生たちが笑い出す。一子は意味ありげなそぶりをすると鮎子だけに見えるようにジャケットの袖を裏返し「その部分」を見せる。そこには鮎子と武美だけが知る、2人の青春時代を象徴する、ある印が存在した。実は荻原一子は鮎子の高校時代の友人である秋元武美、その人だったのだ。
物語は、彼女たちの高校時代と現在の話が交差して描かれている。
原田宗典・マハ兄妹が青春時代を過ごした街 岡山
作品の舞台となった岡山は、著者である原田マハが思春期を過ごした場所で、
本作の主人公たちが通う学校も、著者の母校である山陽女子高等学校がモデルだそうだ。
私はこの本を、Googleのストリートビューを見ながら読み進めた。
鶴見橋、旭川、奉還町の商店街などなど、岡山の街を知らない私にとって、
ストリートビューで市内の風景をめぐりながらの読書は、ひと味違うものになった。
駅前から路面電車で桃太郎大通りから城下、県庁通り、中納言、門田屋敷の交差点と、
実際に自分が高校に通学している気分になった。
この本の魅力は、やっぱり岡山弁
この本の最大の魅力はやはり岡山弁だ。
東京から転校してきた鮎子の標準語をクラスメイトがからかうシーンは、
本人には気の毒だが、笑ってしまう。
「佐々岡さんって、でーれーお嬢さんぶっとるが」
「佐々岡さんってお上品すぎるんじゃが。でーれーとっつきにくいんじゃ」
「でーれーって、なに?」と聞くと、「でーれーは、でーれーじゃが」とまた笑われる。
一番笑ったのはここ⤵
女子高生たちが使う岡山弁は、私の耳にはとても野性的に聞こえた。
「あんたは何を言いよるん? そねーなこと言い寄ったらおえんが!」
「でーれーあんごうじゃな」
「ちばけんでよ」などなど、十六歳女子全員が長門勇になったかのような話し方になかなかついていけなかった。
けれどそのうちに、岡山弁の持つゆったりして語感、おおらかでのびのびした抑揚が心地よく感じられるようになった。p.180
岡山と広島がごっちゃになる私
鮎子の担当編集者の荒川君が東京から講演会を聴きにくる。
彼は岡山は初めてだそうで、そのシーンも面白い。
「荒川君、岡山は初めて?」
「全然、初めてっていう気がしません」
ひねった答え方をするのも、この青年の特徴のひとつだ。
「要は初めてってことだね」一応、念を押す。
「いえ、広島には行きました。そういえば、カキってまだシーズンじゃないですよね?岡山に来たら、名物のお好み焼きを食べてみたいと思ってたんですが、ダメでしょうか?」
どうやら彼の中では岡山と広島が混然一体にとなっているようだ。p.150
実は私も、岡山と広島に共通点があるように感じていた。
テクノポップユニット Perfume の、特にかしゆかさんが喋る広島弁が岡山弁と似ていると感じていたからだ。
「じゃが」「~しとる」「ほうじゃろ」とか、同じじゃないのかしら?
でも地元の方にしてみたら、微妙に、いえ大きく違うのかも知れないですね。
東京育ちの私にとっては、岡山も広島もどちらの方言も暖かて、心地よくて大好きなんですが。
本日の昼ごはん
五目冷やしそうめん ふたたび
今日は焼いたズッキーニも乗っています
本日の夜ごはん
冷蔵庫に、熟したキウイが二つ。
どちらを先に使うか、えーい、両方使おう。
交互に乗せたので色違い。