Garadanikki

日々のことつれづれ Marcoのがらくた日記

『善助と万助』 海音寺潮五郎 著

 

今年はじめの読書は簡単なものから。

百年文庫2《絆》の本から、海音寺潮五郎 著『善助と万助』を読む。

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ポプラ社「百年文庫」は、テーマに沿って国内外とりまぜた三人の作家をセレクトしているシリーズ本。

第2巻《絆》には、海音寺潮五郎、コナン・ドイル・山本周五郎の短編が収録されている。

海音寺・周五郎とくれば時代小説家として有名だが、そこにコナン・ドイルを混ぜてくるのが愉快だ。

 

 

海音寺潮五郎について

名前はよく知っていたが読むのは初めてである。

本名は、末富東作すえとみとうさく( 1901年~1977年 )

ペンネームの海音寺潮五郎は、京都府立第二中学校の教員だったころ「サンデー毎日」の懸賞小説に応募する際、本名を隠すために用いたものらしい。

新たな時代小説の開拓に努めた海音寺は、文献を渉猟し、史実に基づいた文学としての史伝を復興させたことでも知られているとのこと。

そうなれば『西郷隆盛』も読んでみたい気もする。※ただし未完に終わっている。

 

 

 

私は戦国時代あたりの武士の名称が苦手だ。

幼名があり、通り名があり、 殿から頂戴した名があり、剃髪後の号まであったりする。

例えばこの物語に出て来る《如水じょすい》というのも、黒田官兵衛と言ってもらえれば「ああそうか」と思うが、黒田孝高よしたかとか如水とか言われると、不勉強なものでさっぱりわからなかった。

ja.wikipedia.org

 

 

タイトルの『善助と万助』も、如水の家臣の 若い頃の通称であり、

善助は栗山利安としやす、万助は母里もり友信とものぶという武将のことだった。

本の中では栗山利安は「栗山」で話を進めているので、母里友信は「母里」かと思えば《但馬 たじま》で物語られている。

 

だからややこしいのです戦国あたりの名称は

取り合えず物語の主人公「但馬」から予習しておこう。

万助は、もとは父親姓で曽我万助と言った。

それから母方の母里姓に代わっているので、兄弟たち( 曽我 ) と姓が違う。

曽我万助から母里友信となった彼は、《母里》の字を家康に間違われたために改名し毛利友信となり、拝領した国の名がついて毛利 但馬守 友信という表記になった。

※ 拙ブログで主人のことを「MOURI 」と表記しているのはなんら関係はありません。

 

さて物語の方は《但馬》で展開しているが、母里友信として人物紹介を続けると、

母里友則は「黒田節」に謡われる名槍「 日本号ひのもとごう」を福島正則から呑み獲った逸話で有名な人物だった。

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黒田節の逸話とは

ある日、黒田長政は酒好きの福島正則のところに家臣の母里友信を使いに出した。

友信もまた酒豪であったため、長政は酒の上での間違いを恐れ、杯を勧められても飲むことを禁じた。

しかし行ってみると案の定酔っぱらった正則は、よい飲み相手が来たとばかり酒を勧めてきた。

固辞する友信に正則は「黒田の者は、これしきの酒も飲めぬのか」と執拗に酒を強い、巨大な大盃を出して「これを飲み干せば、何でも褒美を取らす」と言った。

心を決めた友信は杯を見事に飲み干し、褒美に正則が豊臣秀吉から下賜された自慢の槍の日本号を所望。

その話が黒田節となり、博多人形となったとのこと。

 

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母里太兵衛 (母里友信)の解説~黒田節でも知られる黒田家を支えた武に強い猛将 -武将辞典

 

 

母里友則は、筑前黒田家の由来が書かれている古書「古郷ふるさと物語」に、このように書かれているらしい。

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但馬 ( 母里友信 ) 武辺ぶへんの道では間然かんぜんするところなき人物であった。

栗山備後くりやまびんごにくらべると、采配さいはい取っての働きはいくらかおとったが、個人としての武者働きでは優劣がなかった。第一男ぶりがよかった。近頃では似たものすらないくらい骨格雄偉こっかくゆういで、ししおきたくましく、顔色がよく、ひげ多く、面つき憎体にくていで、見事な容貌であった。

わがままで、無法もので、言いたいままにガムシャラなことを言い、したいままにふるまって、一生を通した。剛情もので、何でも言い出したからには、黒を白と言い通した男であり。たとえ途中で自分の言うことが間違っていたとわかっても、意見をかえるのは男でないと信じていたようである。気に入らねば主人にもすね放題にすね、万事気ままを専らとして、こまった男であった。普通の主人なら一日とてがまん出来ないはずの人柄であったが、長政様は如水様から相伝した家老であるとて、かわらず立ておかれた。

www.wul.waseda.ac.jp

 

話は脱線するが、古文書のこんな文章がスラスラ読めればいいなと思う。

今年の抱負、目標にしてみようかな。挫折すると思うけど。

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『善助と万助』は、

そんな無法者で剛情ものの《但馬 》を取り立てた如水が、但馬の世話を 但馬の同僚の栗山に委ねる。

如水は、栗山と但馬を呼び誓約書を書かせた。

 

その方共はかくべつおれの気にかなった者共だ。ついては、兄弟の約束をせい。

万助は無分別な乱暴もので、まことにこまった性質だが、導きようでは抜群のよい侍になるとおれは見ている。善助は年長ではあり、分別もので、おれも感心しているほどのもの故、よく万助を導くよう、万助はまた善助のことをよく聞くよう。その方共がそうしてくれれば、おれがためにもなる

 

誓約書を二通ずつ書かせ、一通はたがいに取り交させ、一通は、これはおれがもらっておくと、手許にとどめた。

 

こうして如水の命により、筆頭家老・栗山利安と母里友信は義兄弟の誓紙を交わした。

如水は死ぬ間際に二人を呼びこんなことを言ったというのも有名な話らしい。

 

これはあの時の誓紙。本来なら今はもう返すべきだと思うが、最後まで約束を守ってくれた頼もしい誓紙だから冥土まで持って行こうと思ってる。自分が死んだら、お守りとして棺の中に入れておいてくれ。

と笑いながらそれを大切そうに懐中に入れたという。

 

 

栗山と但馬は、如水の死後、如水の息子である黒田長政に仕える。

長政も二人を重用したが、但馬の方は元来の剛情さで長政までも度々 辟易させた。

『善助と万助』の終盤では、但馬の剛情で長政や居合わせた家老たちもヤキモキさせる事件が起こり、栗山と但馬の《絆》の深さで一件落着する話になっている。

 

毛利 但馬守 友則。

なかなか興味深い人物だ。

掘り起こせばさらに面白いエピソードが出て来そうなキャラクターだなと思った。

 

 

本日の朝ごはん

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我が家の雑煮は関東風。

鰹だしメイン ( どんこと昆布もつかっている ) のつゆに、少量の白だし・みりん・醤油で味付けし、具は鶏・椎茸・筍・にんじんである。

三つ葉とゆずもトッピングされている。 

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小腹が空いて昼ごはん

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本日の夜ごはん

三品盛りは昨日と同じかんじ。

スープは酸辣湯系。←あまり得意じゃないらしい

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おせち二日目に、スペアリブを追加。

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