1994年版映画『フランケンシュタイン』を観た。
イギリスの俳優ケネス・プラナーが監督と主演をつとめている。
1931年ユニバーサル映画版と違い、原作にほぼ忠実に作られていると聞き、
期待値大だった半面、残念な点もあった。
フランケンシュタイン博士は、ケネス・プラナー
彼が神を冒涜する人造人間の研究に猛進したのは、母親の死がキッカケだった。
この作品では《愛するものの死》がフランケンシュタイン博士を、研究に向かわせた動機になっている。
写真は、フランケンシュタインが作った
羊水に漬かってぬるぬるになっている創造物を、
フランケンシュタインがツルツル滑りながら抱き起しているシーンが割と長くて、
コントのようで笑ってしまった。
このキャスティングは、宣伝効果も高かったことだろう。
ところが。。。
デ・ニーロさん、私には 化け物 に見えなかった。
どんなに顔をゆがめた特殊メークにしても、目が美しかったり、動きがしなやかだったりして、
大怪我をした人間にしか見えない。
《人間とは非なるおぞましさ》といった点では、1931年版の方が勝る。
キャスティングの失敗
前述のデニーロさんもそうだが、
エリザベス役のヘレナ・ボナム=カーターもミスキャストのように感じる。
エリザベスは、貧しい農家に引き取られていた貴族の女の子。
農民の子供達と一緒に育つのだが、いわゆる掃き溜めに鶴。
その美しさがフランケンシュタインの母の目にとまり、引き取られるといった境遇。
つまり、気品と美しさを備えたヒロイン。
ヘレナ・ボナム=カーターは素晴らしい女優で、私も大好きだが、
ハッキリいって美女ではないし、ヒロインには見えない。
むしろ小間使いのジュスティーヌの方が ( 金髪で ) ヒロインっぽい。
大人のジュスティーヌの写真はこのくらいしかなかった⤵
刑場にひったてられる時の写真
トレビン・マクダウェル (Trevyn McDowell ) という女優さんが演じていたけれど、
エリザベス ( ヘレナ ) と同じ画角に納まると、彼女の方に目がいってしまった。
大人になったエリザベス。
どこか所帯臭いというか、、、なんというか。
ヒロインというよりも、家庭教師か何かにしか見えない。←個人の見解です。
ところが。
ケネス・プラナーがヘレナを起用したのには、別の理由があった。
原作とは違う、最後のシーンに彼女が必要だったのだろう。
映像はあえて割愛します。とてもインパクトがある姿なので。
《愛するものを生き返らせたい》
これが本作の、フランケンシュタインのテーマだから、
ケネス・プラナー監督は、ここに心血を注ぎたかったのだろう。
エリザベスの女
フランケンシュタインは、最初に作った
⤴ こっちの方が醜いだろうに、どうしてだろう
時既に、ケネス・プラナーはヘレナ・ボナム=カーターにぞっこんだったから?。
※ ケネス・プラナーとエマ・トンプソンの離婚
下世話の話になってしまった 本題の戻します。
《愛するものを蘇らせたい》というテーマは素晴らしい発想だ。
本作で最初の
そしてエリザベスの死により、女の
だけどね。うーんなんとなく悶々とするのです。
本来の
それがこの作品を観て、残念に思ったところである。
ラストで、フラケンシュタインの死を悲しむ
「お父さん」という台詞が胸につまった。
がしかし、このシルエット
やっぱり二枚目感がただよっていていませんか?
化け物が薄い感じがしてしまうのは、私だけでしょうか。
本日の昼ごはん
ペペロンチーノ しめじ入り
餃子をつくりました。
本日の夜ごはん
餃子まつり
水餃子は、フンドーキンの甘口ごま風味ポン酢で
焼き餃子の真ん中にあるのは、皮が足りずに残った餡
きゅうりの酢の物でさっぱりと