「ラパチーニの娘」を、阿野文朗訳で読了。
ナサニエル・ホーソーンというアメリカの小説家が40歳 ( 1844年 ) に書いた短篇。
【内容】
ラパチーニ博士の庭園に接する古い建物に下宿することになった学生ジョヴァンニ・ガスコンティは、博士の美しい娘ベアトリーチェに恋をして、毒の花の咲き誇る庭園で逢瀬を重ねるが、博士によって彼女が毒の体にされているため、次第にその毒に冒されていく。
やがてジョバンニは、博士のライバルを自認するバリオーニ教授に解毒剤を与えられるが、結局、ベアトリーチェがこれを飲んで死んでしまう。
毒の体を持つベアトリーチェにとって、解毒剤は薬ではなく毒として作用したという悲劇だった。
死んだのは恋人ではなくベアトリーチェの方?
この本を読むキッカケとなったのは、「メアリ・ジキルとマッド・サイエンティストの娘たち」という本だが、ベアトリーチェの設定が違っている。「メアリ・ジキル~」の方は、死んだのは恋人で、ベアトリーチェは恋人を失くした毒娘として登場している。
このように「メアリ・ジキル~」と原作とは、整合性が取れてはいない。
「ジキルとハイド」「フランケンシュタイン」「ラパチーニの娘」「モロー博士の島」「シャーロック・ホームズ」はあくまで原典で、シオドラ・ゴスはそれらの作品からインスパイヤを受け書き変えている。
彼女にとって原作との間に整合性がないことに問題はなく、読者はその違いを楽しめばよいのだろう。
違いといえば「ラパチーニの娘」の本でも、こんな違いが
私が読んだ 阿野文朗さん訳の「ラパチーニの娘」には、ストーリーの前に3ページほどの前置きがある。
ホーソーンは前置きで、オーベピーヌ ( Aubépine ) というフランスの作家を紹介し「この物語はオーベピーヌが書いた」としている。ところがこれは作者の悪戯。
オーベピーヌはフランス語で「サンザシ」、つまり、英語の「ホーソーン」 ( hawthorn ) を意味し、
作者はここで自分自身の作品と作風についての批判を展開して楽しんでいたようだ。
ところがこの前置き、とても読みにくい文章でなかなか頭に入ってこない。
「なくてもいいのに」と、途中で降りようかと思ってしまった。
しかし、この前置きが、ごっそり割愛された「ラパチーニの娘」があった。
岡本綺堂訳 世界怪談名作集「ラッパチーニの娘 アウペパンの作から」だ。
こちらの方は、青空文庫で読めるので、お時間とご興味があればどうぞ読んでみてください。
ホーソーン Nathaniel Hawthorne 岡本綺堂訳 世界怪談名作集 ラッパチーニの娘 アウペパンの作から
こっちの方は「アウペパン」
・・・・ん? アウペパンって何なんだろう (;´Д`)
ということで 感想
「ラパチーニの娘」は、男の醜さが痛い内容だった。
この本を読んで私は、可哀想な娘の悲恋より、男の嫉妬に目がいってしまった。
ラパチーニ博士は、確かに娘を毒娘にしてしまった。
だが彼の目的は、科学者の利己的な欲望だけでなく、彼なりに愛情もあった。
ラパチーニ博士は、娘が誰とも触れ合えないのを不憫に思い、
娘を恋するジョバンニが少しずつ娘と同じ体質になるようにと、画策する。
娘が父親に「どうして自分の子供にこんなみじめな運命をおしつけたの」というと、
父は毅然としてこう答える。
「惨めだと!」
「愚かな娘よ、どういう意味かね? 敵がどんなに権力や力を振るっても立ち向かえない、素晴らしい能力を授かることが、惨めと思うのか? 最強の相手でも息ひとつで打ち負かせることが、惨めなのか? 美しいと同じくらい恐ろしいことが、惨めなのか? では、弱い女の身であらゆる災いに晒され、何にもできない方がよかったと言うのか?」
ある意味、これも親心?
一方 恋人のジョバンナは、もっと利己的で幼い。
自分が毒体質になってしまったことに対して、ベアトリーチェをなじり、こう毒ずく。
「呪われた奴め!」
「だから、自分が独りぼっちでいるのにうんざりして、僕まで温かい人の世から引き離し、口にするのもおぞましい、お前の世界に誘い込んだんだ!」
ベアトリーチェは解毒剤をひとりで服用しようと決意する。彼女は、ジョバンナが《解毒剤》だと思って持ってきた薬が、自分にとっては《毒薬》であることを認識していた。
「さようならジョヴァンニ! あなたの憎しみの言葉は、鉛のように重く胸にのしかかっています⸺でも、それも天に昇っていくにつれ、消え去るでしょう。ああ、あなたの本性には最初から私よりも毒があったのではないかしら?」
そう、彼女はひとりで服毒自殺をしたのだ。
もうひとつ、この解毒剤が《毒》だと知っていた人物がある。
バリオーニ教授は最初からそれが《毒》だと知って渡したのではないかと私は思った。
彼はラパチーニ博士の才能と研究成果に嫉妬して、彼の愛娘を殺すことを考えたのではないかと。
娘の死に呆然とするラパチーニ博士に向って勝ち誇った声で、こう叫んだのだから。
「これが君の実験の結果なのか?」
以上、作品から、ラパチーニ博士、ジョバンナ、ベアトリーチェ、バリオーニ博士の四人の台詞を抜き出してみた。どの人間の言葉や言動に、本当の毒がはらんでいるかを考えさせれた次第。
本日の昼ごはん
焼きそば
ちょっと少ないかな、いやこのくらいが丁度よい。
本日の夜ごはん
なんか綺麗だ
京都のお揚げさんチーズ焼き
チーズ焼きにかかっている長ネギの青いところも、三品盛りの左のネギも同じもの。
MOURI が買ってきてくれた長ネギは青い部分が20㎝以上ある立派なものだった。
それが美味しいこと。
どこのネギなのかしら、と聞いたら「わからん。適当に選んだ」との返事だった。
神田染谷の鶏つくねで作ったスープ
オレンジはつくねの中に混ぜ込まれたにんじん