青山美智子 著『月の立つ林で』読了
青山さんの本は随分読んできたが、毎回読後に《あの章でA・Bのキャラクターがすれ違った》という気づきを楽しませてもらっている。
今回も5人のキャラクターがあっちこっちですれ違うけれど、今までとひとつ違うことがある。
もうひとつ仕掛けが増え、縦糸と横糸の織物のような二重構造になっていることだった。
※ ここから先は、ネタばれ気味です。
5人の主人公
- 長年勤めた病院を辞めた元看護士
- 売れないながらも夢を諦めきれない芸人
- 娘や妻との関係の変化に寂しさを抱える二輪自動車整備士
- 親から離れて早く自立したいと願う女子高生
- 仕事が順調になるにつけ家族とのバランスに悩むアクセサリー作家
5人は、自分がおかれている日常にもどかしさを感じている。
彼らは『ツキない話』というポットキャストの番組と出会う。
『ツキない話』は、タケトリ・オキナという男性が毎日配信していて、
月についての豆知識や想いを語り続けている番組。
「竹林からお送りしております、タケトリ・オキナです。かぐや姫は元気かな」で始まるオキナの語りは穏やかで優しい。彼は博識で、ちょっとユーモアがあって、年齢不詳。
5人はオキナの《月》に関する話題から勇気をもらったり、生き方のヒントを得たりする。
と。
ここまでは従来の青山さんの作風だが、今回はもうひとつ別の仕掛けがあった。
タケトリ・オキナとは別に、もうひとりのキーパーソンが登場してくるのだ。
彼の名は朔ヶ崎佑樹といい、タケトリ・オキナとは対照的な人物。
5人は、タケトリ・オキナの番組で ( 竹の地下茎のように ) 間接的に繋がっているが、
朔ヶ崎佑樹という人物とは、直接関わっている。
形容が適当かはわからないが、
タケトリ・オキナが横糸ならば、朔ヶ崎佑樹は縦糸のような気がする。
別の言い方をするならば、タケトリ・オキナが《月》で、朔ヶ崎佑樹が《太陽》かな。
このように今回 二つの人物をおいたことにより、作品がより重厚になった気がした。
《月》をモティーフにしたことにより、作品にしっとりと静かな大人感が漂った感もある。
月が好きです
青山さんはインタビューで、月が好きだとおっしゃっている。
太陽は眩しくて直接見ていられないが、月はずっと見ていられるし、満ち欠けもあるから飽きないとのこと。
同感 同感!
さらに私が感じるのは、月の方が私を見ていてくれている感覚だ。
夜道を歩いていて、ふと見上げた先には必ず月がある。
まるで月が私に「ここよ」と呼びかけている感じだ。
私が見上げた場所と寸分の狂いのないところには必ず月がいて、私を見ていてくれる感じ。
これが小さい時から月に対して感じていることなのです。
月の形が毎日違うことも、色や明るさが違うことも月の魅力のひとつだし、
月の満ち欠けの周期により色々なことが影響を受けることも神秘的だ。
タイトルにある「月の立つ」とは、新月のことをいうらしい。
旧暦では新月の日が月の始めで、この日を「月の立つ日」といい、
月の立つ日→つきたちひが、一日 ( ついたち ) の語源になっているのだと、この作品で知った。
「月の立つ日」なんと美しい言葉なんでしょう。
そして《朔》
新月のことを《朔》といい、
月が見えない新月という現象は、月の向こうに太陽があるからだ。
上の画像は「月と月齢」さんからお借りしました
そうか。
朔ヶ崎佑樹の《朔》は、新月と太陽の関係から命名したのかしら。
そんなことを思いついて、二ヒヒと笑ってしまった。
表紙がエンボス加工になっている。
帯もエンボス。
エンボス加工にするのって、凄くお金がかかるのだそうだ。
出版社の意気込みを感じるが、「青山美智子最高傑作」と書いてしまうのは如何なものか?
テレビによくある映画の大宣伝で「不朽の名作」とか「全米が泣いた」くらいの
かっちょ悪いキャッチが、わたしてきには残念。
本日の昼ごはん
大好物またまた 美登利寿司のちらし
なんでか、ちらし寿司にはとろろ昆布の汁物が定番になってしまった。
本日の夜ごはん
ピザ大好き、薄いのが好き!
デザートは昨日 買ったスイートポテト