Garadanikki

日々のことつれづれ Marcoのがらくた日記

六の宮~につまづき、六の宮~を読む・・・

 

北村薫『六の宮の姫君』を牛歩のごとスピードで読み続けています。

正しくは《行ったり来たり》です。

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実は半分、、、やっと円紫さんが登場するところまで読んだのですが、

物語の序盤に「私」と友だちの正ちゃんが旅行をしているシーンが気になって中断することにしました。

この本を読む前に、芥川龍之介 著『六の宮の姫君』を読んでからでないと楽しめないと思ったからです。

出来ればもう一冊、京伝三馬きょうでんさんばの『六の宮の姫君』を読んでみたいとも思ったぐらい。

 

 

序盤のシーンというのは、以下のようなもの⤵

主人公の「私」は、運転免許を取得したという同級生の正ちゃんにドライブ旅行に誘われる。

道すがら ( ドライブ中 ) 、「私」は正ちゃんに芥川文学について語る。

※ 龍之介の六の宮と、三馬の六の宮の違いや、

  版の違いによって『羅生門』の結末が違うなんて話をこまごまと。。。

それがかなり深くて細かい話でして、

卓上で読んでいる私も集中しないと置いていかけそうな内容なのに、

初心者マークの運転手--正ちゃんは「へえ」「なるほど」とキチンと受け答えをしています。

 

 

主人公の「私」は凄まじい読書量の女子大生なので、本の中には私の知らない本がポンポン出て来ます。

正ちゃんも文学部でインテリなんでしょうが、きょうびの女子大生は、

こんなに博学かい? 日常会話がこれかい? と思うほどなのです。

 

百歩譲って、芥川文学を語り合える女子大生の友だち同士だったとしてもです、

私はハッキリおいていかれてました。

初心者マークの女性ドライバーである正ちゃんが、高速道で運転中に、

こんなややこしい文学の話に対応できるのかって、思ってしまいました。

私が初心者マークの時は「はい」とか「いいえ」で応えられる会話だけにしてねと家族に頼みました。

 

2人の芥川文学論においてかれた私は、考えました。

勿論その辺を読み飛ばし先に進んでも、円紫さんが出て来くれば内容がわかってくるだろう、、

でも、それではひどく悔しい (;'∀')  と。

 

結局、芥川龍之介の『六の宮の姫君』を先に読み、この本は最初から読み直すことにしました。

なるほど、実際に芥川さんのを読んだ後だと、この本の入り方も深まる。

いいぞいいぞという感じです。

 

私にとって「円紫さんと私」シリーズは、面白いが進まない珍しい本です。

でも。嫌いじゃないんです、こういう牛歩読み。

 

 

 

本日の夜ごはん

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MOURI がサラミハムを買ってきました。

これでサラダにすると彩がいいもんですな、いつものハム入りサラダと段違い。

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自分じゃ買わない食材が手に入ると食卓が変わるから楽しい。

 

こっちはにんにく漬けになってた牛肉らしい。

悪くなりかけのをスーパーでよくこういう風にしますよね、まあ、おいしければ

もーまんたい

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私は麻婆豆腐を作るつもりだったので、それも作りました。

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そしたら「ご飯で食べたい」と言い出すやつがいた。

慌ててご飯を炊きましたわ、わからないでもないです麻婆ライスって。

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とじ込みは、芥川龍之介 著『六の宮の姫君』です。

短いのでアップしました。

   一

六の宮の姫君の父は、古い宮腹(みやばら)の生れだつた。が、時勢にも遅れ勝ちな、昔気質(むかしかたぎ)の人だつたから、官も兵部大輔(ひやうぶのたいふ)より昇らなかつた。姫君はさう云ふ父母(ちちはは)と一しよに、六の宮のほとりにある、木高(こだか)屋形(やかた)に住まつてゐた。六の宮の姫君と云ふのは、その土地の名前に()つたのだつた。

 

 父母は姫君を寵愛(ちょうあい)した。しかしやはり昔風に、進んでは誰にもめあはせなかつた。誰か云ひ寄る人があればと、心待ちに待つばかりだつた。姫君も父母の教へ通り、つつましい朝夕を送つてゐた。それは悲しみも知らないと同時に、喜びも知らない生涯だつた。が、世間見ずの姫君は、格別不満も感じなかつた。「父母さへ達者でゐてくれれば好い。」――姫君はさう思つてゐた。

 

 古い池に枝垂(しだ)れた桜は、年毎に乏しい花を開いた。その内に姫君も何時(いつ)の間にか、大人寂(おとなび)た美しさを具へ出した。が、頼みに思つた父は、年頃酒を過ごした為に、突然故人になつてしまつた。のみならず母も半年ほどの内に、返らない歎きを重ねた揚句、とうとう父の跡を追つて行つた。姫君は悲しいと云ふよりも、途方に暮れずにはゐられなかつた。実際ふところ子の姫君にはたつた一人の乳母(うば)の外に、たよるものは何もないのだつた。

 

 乳母はけなげにも姫君の為に、骨身を惜まず働き続けた。が、家に持ち伝へた螺鈿(らでん)手筥(てばこ)や白がねの香炉は、何時か一つづつ失はれて行つた。と同時に召使ひの男女も、誰からか暇をとり始めた。姫君にも暮らしの(つら)い事は、だんだんはつきりわかるやうになつた。しかしそれをどうする事も、姫君の力には及ばなかつた。姫君は寂しい屋形の(たい)に、やはり昔と少しも変らず、琴を引いたり歌を()んだり、単調な遊びを繰返してゐた。

 

 すると或秋の夕ぐれ、乳母は姫君の前へ出ると、考へ考へこんな事を云つた。

(をひ)の法師の頼みますには、丹波(たんば)前司(ぜんじ)なにがしの殿が、あなた様に会はせて頂きたいとか申して居るさうでございます。前司はかたちも美しい上、心ばへも善いさうでございますし、前司の父も受領(すりやう)とは申せ、近い上達部(かんだちめ)の子でもございますから、お会ひになつては如何(いかが)でございませう? かやうに心細い暮しをなさいますよりも、少しは益ましかと存じますが。……」

 

 姫君は忍び()に泣き初めた。その男に肌身を任せるのは、不如意な暮しを(たす)ける為に、体を売るのも同様だつた。勿論それも世の中には多いと云ふ事は承知してゐた。が、現在さうなつて見ると、悲しさは又格別だつた。姫君は乳母と向き合つた儘、(くず)の葉を吹き返す風の中に、何時までも袖を顔にしてゐた。……  

 

   二  

 しかし姫君は何時の間にか、夜毎に男と会ふやうになつた。男は乳母の言葉通りやさしい心の持ち主だつた。顔かたちもさすがにみやびてゐた。その上姫君の美しさに、何も()も忘れてゐる事は、(ほとんど)誰の目にも明らかだつた。姫君も勿論この男に、悪い心は持たなかつた。時には頼もしいと思ふ事もあつた。が、蝶鳥(てふとり)几帳(きちょう)を立てた陰に、燈台の光を眩しがりながら、男と二人むつびあふ時にも、嬉しいとは一夜も思はなかつた。

 

 その内に屋形は少しづつ、花やかな空気を加へ初めた。黒棚や(すだれ)も新たになり、召使ひの数も()えたのだつた。乳母は勿論以前よりも、活き活きと暮しを取り(まかな)つた。しかし姫君はさう云ふ変化も、寂しさうに見てゐるばかりだつた。

 

 或時雨(しぐれ)の渡つた夜、男は姫君と酒を()みながら、丹波の国にあつたと云ふ、気味の悪い話をした。出雲路(いづもぢ)へ下る旅人が大江山の麓に宿を借りた。宿の妻は丁度その夜、無事に女の子を産み落した。すると旅人は生家(うぶや)の中から、何とも知れぬ大男が、急ぎ足に外へ出て来るのを見た。大男は唯「年は八歳、(めい)は自害」と云ひ捨てたなり、(たちまち)何処(どこ)かへ消えてしまつた。旅人はそれから九年目に、今度は京へ上る途中、同じ家に宿つて見た。所が実際女の子は、八つの年に変死してゐた。しかも木から落ちた拍子に、鎌を(のど)へ突き立ててゐた。――話は大体かう云ふのだつた。姫君はそれを聞いた時に、宿命のせんなさに(おびやか)された。その女の子に比べれば、この男を頼みに暮してゐるのは、まだしも仕合せに違ひなかつた。「なりゆきに任せる外はない。」――姫君はさう思ひながら、顔だけはあでやかにほほ笑んでゐた。

 

 屋形の軒に当つた松は、何度も雪に枝を折られた。姫君は昼は昔のやうに、琴を引いたり双六(すごろく)を打つたりした。夜は男と一つ(しとね)に、水鳥の池に下りる音を聞いた。それは悲しみも少いと同時に、喜びも少い朝夕だつた。が、姫君は不相(あひ)変かわらず、この(ものう)い安らかさの中に、はかない満足を見出してゐた。

 

 しかしその安らかさも、思ひの(ほかわ)急に尽きる時が来た。やつと春の返つた或夜、男は姫君と二人になると、「そなたに会ふのも今宵(こよひ)ぎりぢや」と、云ひ悪くさうに口を切つた。男の父は今度の除目(ぢもく)に、陸奥(むつ)(かみ)に任ぜられた。男もその為に雪の深い奥へ、一しよに下らねばならなかつた。勿論姫君と別れるのは、何よりも男には悲しかつた。が、姫君を妻にしたのは、父にも隠してゐたのだから、今更打ち明ける事は出来悪(できに)くかつた。男はため息をつきながら、長々とさう云ふ事情を話した。

「しかし五年たてば任終(にんはて)ぢや。その時を楽しみに待つてたもれ。」

 

 姫君はもう泣き伏してゐた。たとひ恋しいとは思はぬまでも、頼みにした男と別れるのは、言葉には尽せない悲しさだつた。男は姫君の背を撫でては、いろいろ慰めたり励ましたりした。が、これも二言目には、涙に声を曇らせるのだつた。

 

 其処へ何も知らない乳母は、年の若い女房たちと、銚子(ていし)高坏(たかつき)を運んで来た。古い池に枝垂(わしだれ)た桜も、(つぼみ)を持つた事を話しながら。……  

   三

 六年目の春は返つて来た。が、奥へ下つた男は、遂に都へは帰らなかつた。その間に召使ひは一人も残らず、ちりぢりに何処かへ立ち退()いてしまふし、姫君の住んでゐた東の(たい)も或年の大風に倒れてしまつた。姫君はそれ以来乳母と一しよに(さむらひ)(ほそどの)住居(すまひ)にしてゐた。其処は住居と云ふものの、手狭でもあれば住み荒してもあり、僅に雨露(あめつゆ)(しのげ)るだけだつた。乳母はこの(ほそどの)へ移つた当座、いたはしい姫君の姿を見ると、涙を落さずにはゐられなかつた。が、又或時は理由もないのに、腹ばかり立ててゐる事があつた。

 

 暮しのつらいのは勿論だつた。棚の厨子(づし)はとうの昔、米や青菜に変つてゐた。今では姫君の(うちぎ)(はかま)も身についてゐる外は残らなかつた。乳母は()き物に事を欠けば、立ち腐れになつた寝殿(しんでん)へ、板を()ぎに出かける位だつた。しかし姫君は昔の通り、琴や歌に気を晴らしながら、ぢつと男を待ち続けてゐた。

 

 するとその年の秋の月夜、乳母は姫君の前へ出ると、考へ考へこんな事を云つた。

「殿はもう御帰りにはなりますまい。あなた様も殿の事は、お忘れになつては如何(いかが)でございませう。就てはこの頃或典薬之助(てんやくのすけ)が、あなた様にお会はせ申せと、責め立てて居るのでございますが、……」

 

 姫君はその話を聞きながら、六年以前(まへ)の事を思ひ出した。六年以前には、いくら泣いても、泣き足りない程悲しかつた。が、今は体も心も余りにそれには疲れてゐた。

「唯静かに老い朽ちたい。」……

その外は何も考へなかつた。姫君は話を聞き終ると、白い月を眺めたなり、(ものう)げにやつれた顔を振つた。

「わたしはもう何も入らぬ。生きようとも死なうとも一つ事ぢや。……」

 

       *      *      *  

 

 丁度これと同じ時刻、男は遠い常陸(ひたち)の国の屋形に、新しい妻と酒を()んでゐた。妻は父の目がねにかなつた、この国の(かみ)の娘だつた。

「あの音は何ぢや?」

 男はふと驚いたやうに、静かな月明りの軒を見上げた。その時なぜか男の胸には、はつきり姫君の姿が浮んでゐた。

「栗の実が落ちたのでございませう。」

 常陸の妻はさう答へながら、ふつつかに銚子の酒をさした。

   四

 男が京へ帰つたのは、丁度九年目の晩秋だつた。男と常陸の妻の(うから)と、――彼等は京へはひる途中、日がらの悪いのを避ける為に、三四日粟津(あはづ)に滞在した。それから京へはひる時も、昼の人目に立たないやうに、わざと日の暮を選ぶ事にした。男は(ひな)にゐる間も、二三度京の妻のもとへ、(ねんご)ろな消息をことづけてやつた。が、使が帰らなかつたり、幸ひ帰つて来たと思へば、姫君の屋形がわからなかつたり、一度も返事は手に入らなかつた。それだけに京へはひつたとなると、恋しさも亦一層(ひとしほ)だつた。男は妻の父の屋形へ無事に妻を送りこむが早いか、旅仕度も解かずに六の宮へ行つた。

 

 六の宮へ行つて見ると、昔あつた四足(よつあし)の門も、檜皮葺(ひはだぶき)の寝殿や(たい)も、(ことごとく)今はなくなつてゐた。その中に唯残つてゐるのは、崩れ残りの築土(ついぢ)だけだつた。男は草の中に(たたず)んだ儘、茫然と庭の跡を眺めまはした。其処には半ば埋もれた池に、水葱(なぎ)が少し作つてあつた。水葱はかすかな新月の光に、ひつそりと葉を(むらが)らせてゐた。

 

 男は政所(まんどころ)(おぼ)しいあたりに、傾いた板屋のあるのを見つけた。板屋の中には近寄つて見ると、誰か人影もあるらしかつた。男は闇を()かしながら、そつとその人影に声をかけた。すると月明りによろぼひ出たのは、何処か見覚えのある老尼だつた。

 

 尼は男に名のられると、何も云はずに泣き続けた。その後やつと途切れ途切れに、姫君の身の上を話し出した。

「御見忘れでもございませうが、手前は御内(みうち)に仕へて居つた、はした()の母でございます。殿がお下りになつてからも、娘はまだ五年ばかり、御奉公致して居りました。が、その内に夫と共々、但馬(たじま)へ下る事になりましたから、手前もその節娘と一しよに、御暇(おいとま)を頂いたのでございます。所がこの頃姫君の事が、何かと心にかかりますので、手前一人京へ上つて見ますと、御覧の通り御屋形も何もなくなつて居るのでごさいませんか? 姫君も何処へいらつしやつた事やら、――実は手前もさき頃から、途方に暮れて居るのでございます。殿は御存知もございますまいが、娘が御奉公申して居つた間も、姫君のお暮しのおいたはしさは、申しやうもない位でございました。……」

 

 男は一部始終を聞いた後、この腰の曲つた尼に、下の衣を一枚脱いで渡した。それから頭を垂れた儘、黙然と草の中を歩み去つた。

   五

 男は翌日から姫君を探しに、洛中(らくちゆう)を方々歩きまはつた。が、何処へどうしたのか、容易に()(がた)はわからなかつた。

 

 すると何日か後の夕ぐれ、男はむら雨を避ける為に、朱雀門(すざくもん)の前にある、西の曲殿(きよくでん)の軒下に立つた。其処にはまだ男の外にも、物乞ひらしい法師が一人、やはり雨止みを待ちわびてゐた。雨は丹塗(にぬり)の門の空に、寂しい音を立て続けた。男は法師を尻目にしながら、苛立(いらだ)たしい思ひを(まぎ)らせたさに、あちこち石畳みを歩いてゐた。その内にふと男の耳は、薄暗い窓の櫺子(れんじ)の中に、人のゐるらしいけはひを捉へた。男は(ほとん)ど何の気なしに、ちらりと窓を覗いて見た。

 

 窓の中には尼が一人、破れた(むしろ)をまとひながら、病人らしい女を介抱してゐた。女は夕ぐれの薄明りにも、無気味な程()()れてゐるらしかつた。しかしその姫君に違ひない事は、一目見ただけでも十分だつた。男は声をかけようとした。が、浅ましい姫君の姿を見ると、なぜかその声が出せなかつた。姫君は男のゐるのも知らず、破れ筵の上に寝反りを打つと、苦しさうにこんな歌を()んだ。

「たまくらのすきまの風もさむかりき、身はならはしのものにざりける。」

 男はこの声を聞いた時、思はず姫君の名前を呼んだ。姫君はさすがに枕を起した。が、男を見るが早いか、何かかすかに叫んだきり、又筵の上に俯伏(うつぶ)してしまつた。尼は、――あの忠実な乳母は、其処へ飛びこんだ男と一しよに、(あわ)てて姫君を抱き起した。しかし抱き起した顔を見ると、乳母は勿論男さへも、一層慌てずにはゐられなかつた。

 

 乳母はまるで気の狂つたやうに、乞食法師のもとへ走り寄つた。さうして、臨終の姫君の為に、何なりとも経を読んでくれと云つた。法師は乳母の望み通り、姫君の枕もとへ座を占めた。が、経文を読誦(どくじゆ)する代りに、姫君へかう言葉をかけた。

「往生は人手に出来るものではござらぬ。唯御自身怠らずに、阿弥陀仏の御名(みな)をお唱へなされ。」

 姫君は男に抱かれた儘、細ぼそと仏名(ぶつみやう)を唱へ出した。と思ふと恐しさうに、ぢつと門の天井を見つめた。

「あれ、あそこに火の燃える車が。……」

「そのやうな物にお恐れなさるな。御仏(みほとけ)さへ念ずればよろしうござる。」

 法師はやや声を励ました。すると姫君は少時(しばらく)の後、又夢うつつのやうに(つぶや)き出した。

金色(こんじき)蓮華(れんげ)が見えまする。天蓋(てんがい)のやうに大きい蓮華が。……」

 法師は何か云はうとしたが、今度はそれよりもさきに、姫君が切れ切れに口を開いた。

「蓮華はもう見えませぬ。跡には唯暗い中に風ばかり吹いて居りまする。」

「一心に仏名を御唱へなされ。なぜ一心に御唱へなさらぬ?」

 法師は殆ど叱るやうに云つた。が、姫君は絶え入りさうに、同じ事を繰り返すばかりだつた。

「何も、――何も見えませぬ。暗い中に風ばかり、――冷たい風ばかり吹いて参りまする。」

 男や乳母は涙を呑みながら、口の内に弥陀を念じ続けた。法師も勿論合掌した儘、姫君の念仏を(たす)けてゐた。さう云ふ声の雨に(まじ)じる中に、破れ筵を敷いた姫君は、だんだん死に顔に変つて行つた。……

   六

 それから何日か後の月夜、姫君に念仏を(すす)めた法師は、やはり朱雀門の前の曲殿に、()(ごろも)の膝を抱へてゐた。すると其処へ(さむらひ)が一人、悠々と何か歌ひながら、月明りの大路(おほぢ)を歩いて来た。侍は法師の姿を見ると、草履(ざうり)の足を()めたなり、さりげないやうに声をかけた。

「この頃この朱雀門のほとりに、女の泣き声がするさうではないか?」

 法師は石畳みに(うづく)まつた儘、たつた一言返事をした。

「お聞きなされ。」

 侍はちよつと耳を澄ませた。が、かすかな虫の音の外は、何一つ聞えるものもなかつた。あたりには唯松の匂が、夜気に漂つてゐるだけだつた。侍は口を動かさうとした。しかしまだ何も云はない内に、突然何処からか女の声が、細そぼそと歎きを送つて来た。

 

 侍は太刀に手をかけた。が、声は曲殿の空に、一しきり長い尾を引いた後、だんだん又何処かへ消えて行つた。

「御仏を念じておやりなされ。――」

 法師は月光に顔を(もた)げた。

「あれは極楽も地獄も知らぬ、腑甲斐(ふがひ)ない女の魂でござる。御仏を念じておやりなされ。」

 しかし侍は返事もせずに、法師の顔を覗きこんだ。と思ふと驚いたやうに、その前へいきなり両手をついた。

内記(ないき)上人(しやうにん)ではございませんか? どうして又このやうな所に――」

 在俗の名は慶滋(よししげ)保胤(やすたね)、世に内記の上人と云ふのは、空也(くうや)上人の弟子の中にも、やん事ない高徳の沙門(しやもん)だつた。

(大正十一年七月)

 

底本:「現代日本文学大系 43 芥川龍之介集」筑摩書房
   1968(昭和43)年8月25日初版第1刷発行