島木健作著『獄』を読了。名著でした。考えさせられました。
収録されているのは「癩(らい)」「苦悶」「転落」「盲目」「医者」という5篇で、いずれも獄中での思想犯の話。
癩……思想犯として投獄された太田は、刑務所で結核を発症し隔離監房に移される。
そこに入監してきた新入は、かつての同志の岡田だったが、彼はらい病に侵され面影はなかった。
苦悶…転向 ( 共産主義箒の表明を行うこと ) することで出獄出来ることになった石田順吉は、自分の影響
で共産党員になった後輩が、主義を曲げずに獄死したことを知り苦悶する。
転落…愛する妻のために刑期を短縮すべく転向表明し、模範囚となった横田三作だが、妻の方は転向を
理由に他の男に走る。
盲目…獄中の劣悪な環境から、失明してしまう男の悲しみと抑圧された精神が描かれている。
医者…極中医として赴任してきた若い医師が、前任者の作ったつまらないしきたり、看守らの囚人を人
とも思わない振る舞いに怒り、劣悪な医療体制を改善すべく果敢に奔走する。
あらすじでは味気ないものこの上ないですが、どの短編も、抑圧された苦しみや心の変化が、とても丁寧に描かれていて見事です。島木健作さん自身「共産党員として当時の治安維持法に基づき服役するが、肺結核の悪化に苦しみ隔離病棟に移された」という経歴を持つ人で、これらの作品は、その体験に基づき書かれています。
当時、共産主義から転向した物書きの作品を “転向文学” というそうですが、島木健作さんは、思想や政治批判を抜きにして、人間の持つ強さや悲しさやエゴといったものをキチンと読ませる筆力があり、どれも素晴らしい短編集でした。
またこの本を通して、当時の在り様を深く考えさせられました。
随所に「・・・・・・」となっていて、話には聞いていたけれど、この本で初めて “伏字” というものなんですね。
膨大な「・・・・」に前後で判断しても意味がわかりません。
本を出版するのにも、これが当たり前だった当時を思うと気分が重くなると同時に、「一体何が伏せられていたのだろう」と気になりました。
たまたま夫婦善哉を読もう思い手に入れた本「武田麟太郎・島木健作・織田作之助」の中に、伏字になっていない「癩」が 収められていたので、何が伏字になっていたかを拾うことが出来ました。
下記は、それを拾ったものです、赤の部分だけ見て、飛ばし読みしてください。
p.009 10
・・・・・・・・・・・・ 人間によつて満たされてゐるのだ。
193×年、この東洋第一の大工業都市にほど近い牢獄の独房は、太田と同じやうな
罪名の下に収容されてゐる 人間によつて満たされてゐるのだ。
p.009 12
こゝでも大抵一つおきの監房にゐることをすぐに悟ることができた。
太田は鍛へ上げられた敏感さをもつて、共犯の名をもつて呼ばれる同志達が
こゝでも大抵一つおきの監房にゐることをすぐに悟ることができた。
p.021 04
それは想像するに難しくはないのである。
監房内にはだからどんな反則が行はれつつあるか、
それは想像するに難しくはないのである。
p.021 05
だが、決して病人に對する寛大さから意識して自由を與へてゐる、という性質のものではなく、それが彼等に對するさげすみと嫌悪の情とからくる・・・・・・・・・・・・・、
事々にあたつての××たちの言動に現はれるのであつた。
すべてこれらの取締上の極端なルーズさといふものは、
だが、決して病人に對する寛大さから意識して自由を與へてゐる、という性質のものではなく、それが彼等に對するさげすみと嫌悪の情とからくる放任に過ぎないといふことは、
事毎にあたつての役人たちの言動に現はれるのであつた。
p.022 04
あんたも・・・・ぢやないか。
第一、坊主なんかに頼んで何がしてもらへます?
あんたも共産党ぢやないか。
p.025 07
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
物音に驚いた看守と雜役夫とがかけつけて漸く組み伏せるまで、若者は狂氣のやうに荒れ狂つた。
後手に縛り上げられた静脈のふくれ上がつた拳にはガラスの破片が突き刺さつて鮮血で染まつてゐた。
p.031 10
「始めてこゝへゐらした時には嘸びつくりなすつたでしやうね。・・・あなたは共産党の方でしやう。」
p.031 13
「そりやわかります。赤い着物を着てゐてもやつぱりわかるものです。わたしのこゝへ入つた當座は丁度あなた方の事件でやかましい時であつたし・・・・、それに肺病の人はみんな向こふの一舎にはいる規則です。肺病でこつちの二舎に入るのは思想犯で、みんなと接近させないためですよ。戒護のだらしなさは、上の役人自身認めてゐるんですからね。・・・・あなたの今ゐる監房には、二年ほど前まで例のギロチン團の小林がゐたんですよ。」
p.032 06
その名は太田も知つてゐた。それを聞いて房内にある二三の、ぼろぼろになつた書物の裏表紙などに、折れ釘の先か何かで革命歌の一くさりなどが書きつけてある謎が解けたのである。
p.037 11
牢死人の死體は荷物のやうに扱はれ、鼻や、口や、肛門やには綿がつめられ、箱に入れられて病人に運ばれ、そこで解剖されるのである。
p.041 11 (p.042 10, p.043 12, p.062 02)
――若い共産党主義者としての太田の心に、
p.45 07
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
――そして同居人である同じ病人達は、この死に行く老人の枕もとでこの老人に運ばれる水飴の争奪に餘念もなかつたのである。
おなじ夏のある暁方、肺病の病舎では、三年越し患つた六十近い老人が死んだ。(中略)
敷布団と畳の間には白いかびが生え、布団には糞がついてそれがカラカラにひからびてゐた。
――そして同居人である同じ病人達は、この死に行く老人の枕もとでこの老人に運ばれる水飴の争奪に餘念もなかつたのである。
p.055 12
――じつは今度、クウトベから同志がひとり帰つて来たのだ。
p.57 13
・・・・・・・・・・・・山本正雄こと岡田良造は、
・・・・・・・・・・・・・姿をかくしたのである。
――192×年11月、日本の党は漸くその巨大な姿を現しかけ、
大きな決意を抱いて帰つた山本正雄こと岡田良造は、
その重要な部署に着くために姿をかくしたのである。
p.058 07
なんといふ精鋭な理論と、その理論の心憎いまでの実践との融合であらう!
p.061 05
ある同志の入獄中に彼の同志であり愛する妻であつた女が子供をすてて、どつちかといへばむしろ・・・・に属する男と一緒に出奔し、そのためにその同志は手ひどい精神的打撃を受けて遂に没落して行つた事實を太田はその時まざまざと憶ひ出したのであった
数へがたい程の幾多の悲惨事が今までにも階級的政治犯人の身の上に起つた。
ある同志の入獄中に彼の同志であり愛する妻であつた女が子供をすてて、どつちかといへばむしろ敵の階級に属する男と一緒に出奔し、そのためにその同志は手ひどい精神的打撃を受けて遂に没落して行つた事實を太田はその時まざまざと憶ひ出したのであった
p.063 12
「僕は太田です。太田二郎です。(原文3字欠)にゐた(原文2字欠)、知つてゐますか。」
p.065 10
「他の運動も随分変つたやうですね。」
p.067 08
彼が・・・・・・・・・・・ことを物語つてゐる。(中略)
だが、彼の×××における態度が、その病氣によつてどうにか變らなかつた事だけはたしかである。
七年といふ刑は岡田が転向を肯じなかつたこと、
彼が敵の前に屈服しなかつたことを物語つてゐる。(中略)
だが、彼の公判廷における態度が、その病氣によつてどうにか變らなかつた事だけはたしかである。
p.73 09
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、どこかへ引きずられて行つたが、その夜から、この隔離病舎にほど近い狂人監房からは、咽喉の裂けるかと思はれるまで絞りあげるる男の叫び聲が聞えはじめたのである。
五年の刑を四年までここでばかりつとめあげて来た朝鮮人の金が、ある雨あがりのカッと照りつけるやうな真ッぴるまに突然発狂した。頭をいきなりガラス窓にぶつつけて血だらけになり、何かわけのわからぬことを金切声にわめきなながら荒れまわつた。
細引が肉に食ひ入るほどに手首をしばり上げられ、ずたずたに引き裂かれた囚衣から露出した両肩は骨ばつていたいたしく、どこかへ引きずられて行つたが、その夜から、この隔離病舎にほど近い狂人監房からは、咽喉の裂けるかと思はれるまで絞りあげるる男の叫び聲が聞えはじめたのである。
見比べた第一印象は、「何でこんな言葉を伏せるのか」ということでした。
残酷な部分を伏せるのは、理解出来ますが、それにしても一部の人間にとって “都合が悪いこと” からです。治安を維持する為という名目で、こういう方法が取られていたことに愕然としました。
最近取沙汰されている “漫画『はだしのゲン』の閲覧制限” の問題も、子供を守る為という名目の、教育の名を借りた誤った方法論だとワタシは思います。
今回の『癩』『はだしのゲン』をキッカケに『図書館戦争』を思い出しました。
『図書館戦争』(有川浩著)は、公序良俗を乱し人権を侵害する表現を規制する「メディア法」なるものが制定された近未来の話です。
不適切とされる創作物が「良化特務機関 ( メディア良化隊 ) 」により取り締まれられるようになるが、武力制圧も行われるという行き過ぎた弾圧行為に対抗して、公共図書館が立ち上がり抗戦するという荒唐無稽な内容ですが、実に面白く痛快なストーリーに、全4巻 一気に読了しました。
有川浩さんは、この題材をエンターテイメントに仕上げていますが、根底には「人間のエスカレートした考え方により、メディアや創造物が脅かされるという話は、いつ起こっても不思議ではない」という警鐘を込めているように思いました。
『獄』に収められる残りの4作品の伏字の解明は、どうやら2004年、国会刊行会発行の「島木健作全集 第1巻で出来そうです。閑をみて、少しずつ紐といていきたいと思っています。