現在、併読している本は以下の3冊。
島木健作『扇谷日記』
野田宇太郎『文学散歩 別巻1』
ダーチャ・マライーニ『メアリー・スチュアート』
どれもすぐにピンと跳ね返るようなフレーズには乏しいが、
考えさせられる事柄は満載で、ここから関連して読みたくなる本があまた出てくる困った本です。
関連本を読む時間と、それらを結びつけて物を考えたり、記事を書いたりするには、
時間が足りません。
例えば、島木健作『扇谷日記』
これは島木さんが亡くなる2カ月前に書いた日記です。
この本には、病床で島木さんが読んだ数多くの本の感想が綴られています。
大好きな島木健作がどんな本を読んだか、そして、どう思ったかはファンにとって興味深い。
しかしそれを理解するには、私もその本を知っていなければならない。
そうして中断してきたのです、「扇谷日記」を読むのが。
でもまあ、本は逃げませんし。
いくら時間をかけたって、至福の時なのだからいいんじゃないかと思います。
もうひとつ、この本で交友関係がわかることも面白い。
解題を書いているのは、あの、川端康成さんなのですから、そこからしても凄いでしょう。
島木さんは古い日記は全部自分で焼き捨てていたらしい。
川端さんの解題にもこう書かれています。
「今回残った日記も、もう少し生きていれば、この本の日記もまた古い日記のやうに焼却される時が来たかもしれない。」
本人にしてみれば自分が死んだ後、世間にさらされるとは思わないで書いたものです。
そんなプライベートなものを読んでもいいのだろうか、と思うと、私は本を幾度も閉じました。
でもまた何年かして気になって、引っぱり出してきては、読むという感じでした。
日記には、当時交流のあった作家たちのことも沢山書かれているのですが、
その中には、残念な気持ちになる事柄もありました。
大好きな人と大好きな人同士が、大好きな仲ではなかったという話ですから複雑なんです私にとって。
島木健作と里見弴の間柄がわかるエピソード⤵
仕事の腹案があるので、いつものくせでそれに直接参考になるもの、無関係なもの、なんでも手あたり次第によむといふことをこのごろずっとやつてゐる。今まで敬遠してゐた作家、毛ぎらひしてゐたものなどもかういふ時にはどんどんよむ。
この間はしばらく里見弴をよんでゐた。初期の短編は二度目以上だが、なかなかおもしろかった。が、長編はほとんど、やはり、よみつづけることが出来なかった。短篇も後期になると、噺家みたいなうまさになつて来てゐて感心しなかつた。鏡花臭がいよいよ露骨になつて来てからのものはどうしてもよめなかつた。論理的な追求の
衰頽 ( = 勢いや活力が衰え弱まること ) と噺家のやうなうまさとが互ひに呼び合つてゐることを感じた。
昨年に作家等が顔を合した時、中山君が里見氏に「金に感心した」といふやうなことをいつていたのが耳にあつたので、「金」もよんでみたが、これは少しも感心できなかつた。かういふ人間の生涯を描くには、作者のうちに神があつて、そこからの光りによつて照らされるのでなければ全然無意味である。作者は一體かういふ生涯のなかに何を見てゐるのだらう。「遺聞」のなかの、常吉にとつて、札は切手やペーパーとおなじだつたのだ、などといふ繪描きの解釈などもなくもがなである。中村の眼を疑つた。 厚物咲 を書いた中山好みのものといふことはわからなくなないが。
島木健作著『扇谷日記』p.41より
こりゃ手厳しい。
世間は里見弴のことを 「小説家の小さん」と彼のウマさと洒脱さを賞賛していたが、
島木健作にとっては、その文章は気に入らぬようである。
同時代に同じ鎌倉で生活し、ペン倶楽部や、鎌倉文士の会や、『文学界』の執筆者としてすれ違っていたハズの2人で、互いの交友関係も被っていたのに、
探しても探しても2人の接点が見つからなかったのは、こういうことだったのか。
里見さんは、久米正雄につぐお祭り男だし。←失礼。
交友関係も広く、人嫌いではないから、相手からシャッター下ろされない限り、付き合っていたハズ。
しかしここまで嫌われたら、察しのいい里見さんだもの、わかっていたでしょう。
やっぱり。
人の日記というのは読むものではないなと思います。
でもでも。。。
島木さんの視点でもう一度、『金』を再読してみたくなるし、中山義秀の『厚物咲』も読んでみたいと思います。
これだもの、すすみませんわ「扇谷日記」は。
本日の昼ごはん
日曜日のたのしみ、MOURI のお弁当土産、ふっふっふ
ここのスーパーのちらし寿司は、何日か前の海鮮丼屋さんと同じくらいの値段。
なのに、比べようもないほどコチラの方が美味しい!
本日の夜ごはん
いつもの冷凍ポテトフライ、酢の物と、明太子コリンキーで乾杯!
MOURI からハムエッグが食べたいとリクエストがありました。
卵料理の火加減、わたしが一番苦手なやっちゃ。
卵をフライパンに落として10秒くらいしたら蓋をして、火をとめて放置すればいいんじゃと。
放置すること1分。
あらまあ、美しく。
膜もはらない目玉焼きが出来ました。
ほとんど生です。これでいいんだそうです。ほう~。
海老がアレルギーだという相方のためにずっと我慢をしてきましたが、たまには。
本人もバクバク食べています。
食べても大丈夫なんだそうです、そう毎回で大量でなければ。
なんだ、そうなのか。
最後に追加したのは、なんちゃって春巻き。
春巻きは、白魔女さんの食卓によく登場していて、
いつも美味しそうだなあと思っていたものです。
筍と肉と炒めて餡にして春巻きの皮につめる、、、
私には敷居が高いのと、実はMOURI がそれほど好きでないのが重なって、
作ったことがありませんでした。
でも、考え方を変えました。
なんでも巻きゃいいんだ、と。
今日は、ピーマンとひき肉を茹でて、春雨と混ぜたものを巻いただけ。
それだけですのに、美味しいじゃありませんか。
胡椒と、ほんのちょっとだけ味覇の海鮮味ペーストを入れただけです。
でも、何もつけずにこれで良しでした。
コリンキーと合わせた明太子マヨをちょっとかけてみた。
これも良しでした。
なんだ、またやろう!
春巻き、なんでも巻いたろーという気分になりました。