garadanikki

日々のことつれづれ 駄目駄目さんのガラクタ日記

併読中の本「志賀直哉・天皇・中野重治」

以下は現在、併読中の本

 藤枝静男:著「志賀直哉・天皇・中野重治」

 柚木麻子:箸「BUTTER」

 夏目鏡子:箸「漱石の思ひ出」

 

みなそれぞれに興味深く、面白さが違ってやめられない。

しかしこのラインナップ、頭がこんがりそうです。

BUTTERは、図書館で借りてきたものだから返却までに読まなければいけないが、

これがなかなか長編です。面白いんだけど。

 

志賀直哉・天皇・中野重治は、「藤枝静男全集1」に収録されたもので、

これまた図書館の返却日がせまってきてるもの。

この本、読みどころが満載で、ひとつひとつ道草したくなる困った随筆です。

志賀直哉に傾倒する作家-藤枝静男が、志賀直哉と中野重治が天皇をめぐる議論で仲たがいした経緯を、

二人の往復書簡をもとにつまびらかにしていく様が実に興味深いのです。

しかし、本文全体をキチンと理解するためには、志賀作品は勿論、中野作品も読んでいることは必須。

作品のみならず、二人の人となりや交友関係がわかればもっと面白い宝石箱のような一冊です。

私の好きな里見弴のことも色々出て来るし。

 

偉いものを読み始めてしまったものだ

志賀さんのことは、里見弴つながりで多少のことはわかります。←ごくごく浅い知識ですが。

しかし中野重治は、昔「春さきの風」「鉄の話」「第一章」を読んだところで頓挫しました。

代表作「村の家」くらいは読まないと、と思いながらそのままになっています。

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頓挫した理由は、好きな種類の表現者でなかったから。

中野重治という人は、文学者というより思想家といった印象が強くなりました。

原泉さんの配偶者だというのも後に知ったこと。

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少ない作品で決めつけはいけませんが、

中野さんにとって『筆』は、プロレタリア思想を主張する為のひとつの手段のように見えてきてしまったのです。

 

例えば、同時期に生まれ、同じプロレタリアの、同じ転向文学の作家である島木健作の小説は違います。

島木さんの本は、政治思想を抜きにした文学性が感じられる。

島木作品からは親と子の情愛や、人間関係のもつれやとまどいが、ひしひしと伝わってきて、静かな感動をいだくことが出来る。だから私はファンになりました。

 

しかし中野重治さんはちょっと違うんだな。

例えば「鉄の話」では、皇太子が行幸で、近くの村の前を通られる。

村民は稲刈りの忙しい時に神社を建て替えたり、道を綺麗にしたり散財しなければならない。

というようなことが書かれているんですが、村人がどんなキャラクターかイマイチ描き足りないので、状況が平べったく感じました。

結果として、物語性や文学性よりも、皇族のために皆がいらぬ苦労をしているという部分だけが悪目立ちしてした感がありました。

 

 ⵈⵈ と、これはあくまで私の感想。

代表作を読めば、もっと心にせまるものがあるのだろうし、

でなければ後世まで名が残る作家ではないハズです。

 

 

そんな風に思っていた中野重治と、特権階級の出である志賀直哉の結びつきが意外で、読んでみたくなったのです。

二人の交流については、Wikipediaの中野重治のエピソード欄にも書かれています。

【エピソード】

中野重治は、1945年(昭和20年)3月、世田谷区新町に住んでいた志賀直哉を訪ね、その後も交流があった。

戦後、「新日本文学会」を結成すると、中野の人柄に好感を持っていた直哉も賛助会員となる。

翌年3月中野は『学芸封鎖の悪令』(読売新聞)で「国民は飢ゑてゐて天皇とその一家は肥え太っている」と皇室を、『安倍さんの「さん」』(読売報知)では文部大臣安倍能成を批判する。

これを読んだ直哉は「何か復しう心のやうなものも感じられ兎に角甚だ不純な印象」と手紙に書き文学会を脱会。

直哉に畏敬の念を抱いていた中野は徳永直と手紙で慰留するが、これ以後直哉が新日本文学会に関わることはなかった。

 

一連の仲たがいについて、本書では往復書簡で詳しくわかります。

その手紙の中に、膝を打った文章がありました。 

昭和21年3月11日、志賀直哉が中野重治に宛てた速達でした。

前略 今日読売で君の「安部さんの ( さん ) を読み不愉快を感じました

天子様が太って ゐられるといふ文章を見た時も不愉快でした 

君が正直に買いてゐるのか或る成心で書いてゐるのかききたいと思ひます

 

何か復しう心のやうなものも感じられ兎に角 甚だ不純な印象を受けました 

君は此前来られた時純粋に文学的なものを書くやうにといふ事を書いて欲しいといはれましたが課題されて書くこともきらひなので生返事をしてゐましたが幸ひそれを書く気になったので「随想」お送りしました 

僕はさういふ事を望まれる君自身もさういふ考へだらうと思つてゐました

が前の二つの文章はその反対のものだといふ印象を受けました

 

文学者を全然捨てて書かれるならそれはその人の勝手です

然し文学者の看板をかけながら文学を手段として正直でない事を若し書くならばそれは嘘つきです

 

日本文学者の会趣意賛成なので入会しましたが、退会します

君の会といふのでもないかも知れませんが君が中心なのだらうと思うので退会します 草々

太字の部分を読んで、ハタと思いました。

私が中野重治の小説でもやもやとしたものを感じたのは、これだったと。

嘘つきとまでは思いませんが、「文学者の看板をかけながら文学を手段として」というフレーズがまさにそれだったのです。

 

 

本書には、他にも読めば読むほど味わい深いであろう話が満載です。

それを全部楽しむには、もっともっと中野重治のことも、安部能成のことも、当時の社会的背景も、和辻哲郎・山本有三・田中耕太郎と志賀直哉の交流関係。

小林秀夫、徳永直、などなどここに登場した人物のことを知っていた方が良い。

そうすれば何倍も何十倍もうなづけるようなエッセーなのだと思います。

勿論、作者-藤枝静男さんの作品も読んでみたい。

そんな欲望を掻き立てられる一冊だったので、

何年か後に、再読してみようと思いました。

 

 

里見弴さんのことも色々と出てきました。

下記は、里見弴や志賀直哉が、いかに特権階級の生まれであったかを

具体的に書き記している文章です。

貴重な話なので、備忘録として書き起こしておこうと思います。

彼らの天皇親近感と下級者蔑視とは、園池氏の類族においては恐らく癒着融合していたであろう。

その見事にして醜悪な例は公爵近衛文麿である。

彼は「貧乏物語」に心酔し、河上肇を慕って京大に転じ、一時は脱華族と観えたけれど、ひとたび総理大臣関白の位につくと正体を現し華族以外のなりあがり者は閣僚と謂えども冷酷無残にとりあつかって何の反省もなかったのである。

 

 しかし志賀、里見、長与などを例にとれば、種類はちがって両者は分離している。彼等は、大日本天皇の藩屏という特権優良階級意識の自覚養成を目的として設立された学習院の校風を身につけたし、実際に天皇一家とは学友として接したし、屋敷に帰れば奴隷的に訓練された使用人を顎で使っていたにちがいない。ここまでは同じである。しかし彼等の属した家庭は「一人狼的金銭成功者」の家であって「天皇血縁者」の家でもなければ「小天皇的大名」の家でもなかった。だから彼等は、自意識の発達によって個人の尊厳にめざめると同時に容易に特権階級批判者となり得たし、また敗戦後の天皇制廃止論に対しては極めて自然に ( 個人的心情的親愛の再生は別として ) 一様に首を縦にふったのである。

p.369

 

 

里見氏は、敗戦直後に稿を起こして東京新聞に連載した長編「十年」のなかに、天皇を指して「平ったく云やァ、軍部のボスだ」と放言する男を登場させたが、天皇自体に対しては同情と憐みの眼をもって静観しているのである。

つまり彼等には、いざとなると、われわれの頭には思い浮かばぬ緩衝クッションみたいなものが生まれるのである。

 

 そして私は、その眼が、彼等に特有な学習院的記憶と結びついた敗戦天皇への憐愍にあると推するのである。

志賀直哉は、明治二十二年学習院に入学したとき、校庭の木の下に後の大正天皇を交えた五、六人の上級生が待ち構えていて捕らえられ、頭のツムジを調べられたのち「二つふるから生まれ変わりだ」と云われて放免された。

里見弴の初等科クラスには皇族が五人いたが、東久邇宮と相談して習字の残り墨を腰掛におけておき、次に座ったものの尻を真っ黒にしたのがそろって三日間の放課後留め置きを食らった。

東久邇宮兄弟と同じ家庭教師についたが庭に出て暴れてばかりいた。

長与善郎は明治三十八年の十七、八のころ箱根に避暑中、五歳くらいになった今の天皇と弟の秩父宮に会った。同行の母堂が「抱っこさせて下さい」と云うと、すぐ肯いてチョコチョコ歩いてきて膝に腰かけて大人しくしていた。弟宮を「アッチャン、アッチャン」と呼んで仲良く遊んでいたが、丈夫ではなかったせいか顔の印象が暗かった。

── どれも極めて淡い平凡な思い出に過ぎぬ。だがそういう皇族に、自分の眼で、仰山な云い方をすれば肉体をもって接してした彼等と私たちでは、気持ちの及ぶ範囲は異なるのである。私たちとちがって隔てが一枚剥がれているのである。

p.373

 

追伸*

たまうき (id:ni-runi-runi-ru) さん<<<

ブックマークコメントを使ってしまいましたので、こちらの方に。

志賀直哉は、引っ越し魔で生涯23回転居したそうです。

ウィキペディアによりますと、

我孫子のあと、京都市上京区→京都府宇治郡 →奈良市幸町→奈良市高畑町→東京市淀橋区→世田谷区新町→静岡県熱海市→渋谷区常盤松町と転々としたらしい。

中野重治と往復書簡を交わしていた昭和20年~21年は世田谷区新町にいたようです。

因みに中野も近く ( 世田谷区二丁目1-172 ) に住んでいたようで、

往復書簡には志賀が中野に速達を送った、中野届かない、中野やっと届いた住所が違っていたみたいな緊迫するやりとりもありました。

志賀直哉はカー助ですから、番地を ( 1331 ) と、間違えて投函してしまったみたいです。

 

 

 

 

 

そんなワケ どんなワケか知らんが、とじ込みはいつものように

本日の料理とカロリーです⤵

 【朝食 396kcal】

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鶏蕎麦 396kcal

1041.5kcal ( 蕎麦220g…767.8kcal、鶏肉72g…144kcal、いんげん20g…4.6kcal、ごぼう42g…27.3kcal、長ネギ33g…9.24kcal、片栗粉2g…6.6kcal、出汁200g…16kcal、つゆ60g…66kcal ) の38%

 

【夕食 780kcal】

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枝豆 46kcal

枝豆…93kcal の50%

豚と大根の鍋 588kcal

1589.7kcal ( 豚バラ肉349g…1347.14kcal、大根584g…105.12kcal、にんじん248g…91.76kcal、出汁500g…40kcal、ポン酢30g…5.7kcal ) の38%

うどん 146kcal

うどん360g…488kcal の30%

 

 

【晩酌 102kcal】

ビール ( 40kcal×100g=40kcal ) ×1杯 =40kcal

焼酎 ( 2.06kcal×30g =62kcal ) × 1杯…62kcal

 

【その他 18kcal】

コーヒー ( 6kcal ) × 3杯…18kcal

 

 

【総摂取カロリー】 1296kcal

【運動消費カロリー】315kcal

【基礎代謝】1340kcal

 

12796cal-315kcal-1340kcal=★359 昨日★1♡1639+本日★359 =★1♡1998