どでかい本
レディーはこんな表現はしないものです。(レディーじゃないしぃアタシ)
でも、この本は「大きい」というより「どでかい」というほかないのです。
改造社 昭和6年初版本 「里見弴全集 第一巻」
こんなに大きくては、片手で持てない。
またやってしまった。
私の手が大きいから本が普通に見えるじゃないか。
これならどうだ。
テーブルコショ―と古書
おやじギャクにもほどがある。
普通の新書と並べてみました。
・・・まだ比較対象としてどうなのかな。
㎝でいいます。縦27㎝、横19.5㎝、厚さ3.5㎝ 重さは1.5kg
百科事典を想像してください。
やっと1巻だけ手に入りました。
挿絵は、中川一政さん
今では見られないような舞台化になった写真もついていて、
この家族写真は、鎌倉の西御門サローネですね。
斜めに並んだ楕円の顔写真は、里見弴さんの幼少期からの変遷。
凄いわ、ご幼少の時の写真があるなんて、流石ええとこのボンや。
こんな写真が見られるのも貴重ですし、収められている作品の数々も凄い。
これだけの作品が入っているわけです。
まさに事典です、里見弴の。
三段に収めないと入らない。
重いし、持ち歩いて、電車なんかで読めるもんじゃない。
これは「作品を読むためのもの」ではなく「資料」ですな。
私のお宝です
なぜ欲しかったかというと、こういう本でないと読めない作品もあるからです。
里見弴さんの作品、特に短編は、現在発行されているものが少ないの。
埋もれてしまっている、残念ながら。
里見弴全集は、全部で4巻あるのだそうですが、なかなか世の中に出回らない。
里見弴全集 (改造社): 1932|書誌詳細|国立国会図書館サーチ
筑摩からも全集は出てまして、そちらの方が正に本当の意味での全集です。
何故なら改造社版は、里見さんがまだ43歳の時に発行されたものだから。
つまり94歳でお亡くなりになった里見さんにとって、人生の折り返し地点にもなっていない年齢に出た本は全集というのも妙だもの。
ご本人も「序文」に、こう書かれています。
序厳密には、作家の死後、或いは一切文筆の業から身を退くに決した後でなければ、全集の名は、事実その当を得たものとはいいかねる。それ故に、先年某出版書肆 ( 本屋 )
の勧誘に接した時にも、「百作集」と呼ぶことを条件として承諾を與へて置いたようなわけで、もしこれを、単に用語に対する潔癖、拘泥とのみ解するならば、或いは滑稽かも知れないけれど、私としては、衷心、それほど自分の仕事の、未だ半途にあることを痛感しているのだ。更にこれを他の半面から云うならば、それほど、将来の仕事に重きを置いているのだ。今度の刊行だけが、文字通り「全き作集」となるのでは、俗に、死んでも死にきれないといふ、あの感じだ。
ほかに、これと云って感想もない。
昭和六年四月二十六日
里見弴
それはそうだ。これが「全き作集」となるのはつらいよね。
ううむ、複雑な事情だ。
・・・でも。
それなら出さねばいいが、と、ちょっと思ってしまったりもしましたが。。。
皆出しちゃったからね、お兄ちゃん ( 有島武男 ) も 親友 ( 志賀直哉 ) も、
「仕方ない俺も」って流れだったのかな (笑)