先日は『志賀直哉の手紙』から、
『或る旅行記 青木と志賀と、及び其周囲』という未完の原稿の話になり、
その決定稿の『廿代一面』の話に転じましたが、この全集で読みました。
流石に有名な文豪だ、全集も分厚い ('◇')ゞ
図書館から借りてきた第一巻ですが、収録されている短編は殆ど既読だったので、
今回は『廿代一面』と『鳥尾の病気』を読了。
二作とも白樺の仲間との若い時の話を綴っています。
名前は変えていますが、こんな人たちが登場します。
『廿代一面』
米田英介…志賀直哉、仁木直三郎…三浦 ( 青木 ) 直介、伊作…里見弴、雨宮…田中作之助、
綾野…郡虎彦、池田湖山…生田葵山、南…九里四郎、山岸…園池公致、重見…武者小路実篤、
青山…正親町実慶、佐々木…佐伯、榊…柳宗悦、尾島…児島喜久雄、森下…木下利玄、金尾…有島武郎
『鳥尾の病気』
鳥尾…志賀直哉、私 ( 山本 ) …木下利玄
でもって、内容は実に他愛ない
20代の彼らが、やれ展覧会で、映画館だ、温泉だと誘い合って遊んでいる様子が綴られています。
後に大家といわれる志賀さんたちも、若くて幼くて寂しがり屋で、子供じみた喧嘩をしています。
白樺の同人はほとんどが、ええとこのぼん。
父親が士族だったり華族だったりで、当時の「人事興信録」に名を連ねて家柄ばかり。
志賀直温と長男・直哉
有島武と長男・武郎、次男・壬生馬
注 ) 里見弴は母の実家-山内の養子となっているので載っていません。
武者小路公共と弟・実篤
正親町實正と長男・公和、次男・實慶
《ええとこのぼん》は、皆 ええとこに住んでる
とにかく皆さん、山手線の内側どころでなく皇居の周りにお住まいです。
志賀直哉のお父さんは鉄道のお偉いさんで、家は三河台町 ( 現・六本木4-3-13 ) にあった。
敷地1,682坪、建坪300坪の大邸宅に住んでいたそうです。
※ 跡地はマンション、隣は桧町公園。
有島家だって麹町の一等地です。
そして友だちの家を訪ね合うんです。留守かどうかは行ってみなきゃわからない。
携帯電話なんてないですからね、閑だからと連れ立って「誰々んちに行こう」と徒歩で向かう。
で、留守だったから「じゃ、誰んちに行ってみよう」という感じで歩き回る。
今みたいに携帯で「今どこ?じゃ六本木に3時に集合」なんて夢の夢です。
二つの作品から、みんな結構歩いていることがわかります。
当時は今より市電が沢山走っていましたが、彼らは基本徒歩みたいです。
芝から銀座の丸善に寄って上野の展覧会を見て本郷の古本屋に回るなんてしています。
志賀直哉と里見弴は、しょっちゅうお互いの家を行き来していましたが、地図で見ると3キロはある。
歩いて30~40分の道を行ったり来たりしていたようです。
志賀直哉は寂しがり屋みたいです。
こんな文章があって笑ってしまいました。
こういうこと小学生の時にしていたなぁ。
英介 ( 志賀 ) と伊作 ( 里見 ) とはぶらぶら赤坂見附の方へゆるい坂路を上って行った。
「泊まりに来ないか」
「いやだ」
「まあそう言わずに来ないか」
「今日はいやだ」
「いやでもいいから、来たまえ」
「本当にいやだよ」
英介は嫌がる伊作の首を二の腕へ抱え込んで、華族女学校の角から三平坂の方へ曲がって行った。
伊作は抵抗したが、小男で力がなかったし、いやだという割に心持はどっちでもよかった。
むしろ英介が強いるのがいやらしかった。
志賀直哉著『廿代一面』志賀直哉全集 第一巻 P.379
本日の昼ごはん
我が家で食べている半田そうめんの会社と味覇がコラボで出したラーメン
おおおっ、味覇の味だ。
スープがついています。
本日の夜ごはん
ちりめんじゃことピーマンの炒め物
カリフラワーはマヨネーズで
豚バラ軟骨と大根を煮てみました
あとはこんなものたち
下は白樺同人の資料などです⤵
志賀直哉 1883 ( 明治16 ) 2月
家長は、父の直温 ( 士族 )
東京府東京市麻布三河台町27 ( 1915 )
現・東京都港区六本木4-3-13
武者小路実篤 1885 ( 明治18 ) 5月⇒1976 ( 昭和51 ) 4月 90歳没
家長は、兄の公共
東京府東京市麹町區元園町1-38 1916に我孫子
里見弴 1888 ( 明治21 ) 7月⇒1983 ( 昭和58 ) 1月 94歳没
家長は、父の有島武 ( 士族 )
東京市麹町區下六町10 ( 1903M36 )
三浦直介 1889 ( 明治22 ) 3月⇒
東京市牛込市谷仲ノ町12 (1928S3 )
木下利玄 1886 ( 明治19 ) 1月⇒1925 ( 大正14 ) 2月 39歳没
1891 (M24 ) 伯父利恭の死去により宗家・木下子爵家の養嗣子となり家督を継ぐ。
東京府豊多摩郡淀橋町大字柏木404 ( 1908M41)
田中治之助 ( ペンネームは田中雨村 ) 1888 ( 明治21 ) 7月⇒1966 ( 昭和41 ) 5月
東京都麹町區隼町13 (1915T4)
東京市四谷區南寺町13 (1928S3)
郡虎彦 1890 ( 明治23 ) 6月⇒1924 ( 大正13 ) 10月
家長は、養父 ( 伯父 ) の郡寛四郎
清澄2-2 ( 前島密宅跡 )
園池公致 1886 ( 明治19 ) 4月⇒1974 ( 昭和49 ) 1月
家長は、祖父の公静 ( 子爵 )
東京市神田區猿榮町2-10 (1915T4)
正親町公和 (おおぎまち・きんかず ) 1881 ( 明治14 ) 10月⇒1960 ( 昭和35 ) 12月
正親町実慶 (おおぎまち・さねよし 日下信念 ) 1887 ( 明治20 ) 6月⇒
家長は、父の実正 (公爵)
東京市麹町區富士見町5-12 ( 1908M41)
柳宗悦 1889 ( 明治22 ) 3月⇒1961 ( 昭和36 ) 5月 72歳没
東京府麻布區市兵衛町2丁目
志賀直哉年譜
生井知子さん
(1) 1882(M15)まで
https://dwcla.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=944&file_id=22&file_no=1
(2) 1883(M16)~1893(M26)
https://dwcla.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=1117&file_id=22&file_no=1
(3) 1894(M27)~1897(M30)
https://dwcla.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=1106&file_id=22&file_no=1
(4) 1898(M31)~1900(M33)
https://dwcla.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=1095&file_id=22&file_no=1
(5) 1901(M34)~1903(M36)
https://dwcla.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=1080&file_id=22&file_no=1
(6) 1904(M37)1月~4月
https://dwcla.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=1040&file_id=22&file_no=1
(7) 1904(M37)5月~8月
https://dwcla.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=1031&file_id=22&file_no=1
(8) 1904(M37)9月~12月
https://dwcla.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=1216&file_id=22&file_no=1
(9) 1905(M38)1月~12月
https://dwcla.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=1228&file_id=22&file_no=1
(10) 1906(M39)1月~12月
https://dwcla.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=1016&file_id=22&file_no=1
(11) 1907(M40)1月~6月
https://dwcla.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=1448&file_id=22&file_no=1
(12) 1907(M40)7月~12月
https://dwcla.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=1586&file_id=22&file_no=1
(13) 1908(M41)1月~6月
https://dwcla.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=1644&file_id=22&file_no=1
(14) 1908(M41)7月~12月
https://dwcla.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=1823&file_id=22&file_no=1
志賀直哉 実家